物語の欠片 金色の馬篇 14 金色の馬の謎 解
-レン-
ポハクに到着したのはちょうど昼頃で、太陽が真上に上っていた。相変わらず陽射しが強く、少し歩くだけでくらくらする。レンも族長も薄い布を頭から被っていた。
賑やかな町を抜けてパキラの館に着くと、最初に通されたのと同じ、中庭の見える開放感のある部屋に通された。パキラはいつものように植物で編まれた大きな椅子にゆったりと腰かけている。
これまでと違うのは、その周りに三人の娘たちが居たことだ。見たことのない女は、おそらく次女のカメリアだろう。
「取り込み中だとは思わなかった。すまなかったな」
「マカニの族長が訪ねてきたと言われたら通さずにはおられまい?」
族長の言葉にパキラが答える。その声は不快そうには響かなかった。パキラは三人の娘を紹介する。思った通り、初めて見る女はカメリアだった。三人は族長に向かって会釈をする。
レンたちは族長の後ろに三人並んでそのやりとりを見ていた。
「ここ数日、これたちの母親の調子が悪くてな。アグィーラに助けを求めるか話していたところだ」
「それは尚更申し訳ないな」
「いや。お前がわざわざ来るということは余程のことだろう。先日はすまなかったな。まさか、その苦情を言いに来たか?」
パキラは笑ってそう言い、族長の斜め後ろに立っているカリンをちらりと見る。
「お前は私をそのような目で見ているのか?」
「冗談だと解っているくせにそう言うところは相変わらずだ。まあ、立っていないで座れよ」
族長は自分がパキラの正面に座り、隣にカリンを座らせた。カリンの正面にはアベリアが座っている。既に他に二人の娘たちが座っているため、それだけで元々在った席がいっぱいになる。レンとイベリスは予備の椅子を族長とカリンの後ろに並べて座った。
「で? 何が解った?」
パキラはカリンに向かって尋ねた。カリンは族長の顔を見た。三人の娘たちに聞かせていいのかどうか図りかねているのだろう。
「お前の娘たちには面白くない話だ」
「……構わんさ」
パキラは族長の顔を見ず、カリンの顔を見詰めたままそう答えた。カリンはその視線を受け、心を決めたように話し始めた。
「……金色の馬に乗っていけば、苦しみのない世界に行くことができる」
カリンがそう言うと、パキラは驚いた表情を浮かべた。その後一度イベリスに視線を送り、再びカリンの方を向く。
「イベリスのお母様にその話をしたのはポハクの族長様ですね?」
「何故、そう思う?」
「イベリスのお母様が姿を消したからです」
「それだけで……何が解る?」
「順番が……反対だったのです」
カリンは昨日までの苦しそうな様子とは打って変わり、まだ身体に痛みが残っているようには見えないほどしっかりとした口調で話した。
「族長様は、サフィニア様よりも先に、イベリスのお母様に出逢っておられた」
パキラは黙ってカリンの顔を見詰めているが、三人の娘たちが息を呑んだ。
「何……言ってるの?」
カンナが声を出す。
「族長様はイベリスと同じ優秀な採掘工でした。石を扱う商売をしていたイベリスのお母様とは顔見知りだった。そして、その石を見る目と……不思議な眼に惹かれた」
「勝手なこと言わないで」
カンナが再び声を出すのをパキラが目で制した。
「しかし、族長様は先代の族長様に見い出され、金の化身の候補となった。先代の族長様の元に出入りするようになり、サフィニア様にも見初められてしまった。そして……サフィニア様の婿になることになった」
パキラの表情は動かない。何を考えているのかレンには分からなかった。
「……イベリスのお母様のことを愛してらしたのに、何故そのお話を受けたのですか?」
カリンはそこは解らなかった、という風にパキラに尋ねる。
「……族長の命令は絶対だった」
そう言うパキラの答えはその事実を認めているに等しかった。
「嘘よ!」
カンナが叫ぶ。パキラはもう止めなかった。その代わりに話し続ける。
「逆らえば、俺もシュンラン……イベリスの母親だ……二人ともポハクに居られなくなるだろう。俺もシュンランも石を見出す才能しかなかった。ポハク以外で二人で暮らしていける気がしなかった。その勇気が……無かったんだ」
カリンは頷く。
「ありがとうございます。……族長様はシュンラン様をお守りするためにサフィニア様と一緒になり、その後、族長を継がれた。しかしある日……夜に出歩いているシュンラン様と再会してしまった。周りには誰も居なかった」
「……一度だけだったんだ。まだ族長になる前だった」
パキラは呟くようにそう言った。
「夜を共にしたのは一度だったかもしれません。けれど、族長を継がれた後、昼間の町で見かけたシュンラン様は男の子を連れていらっしゃった。族長様はご自分の子だと確信された」
「放っておけなかった。俺は、すでに想いの人が居るのだということは、先代族長にもサフィニアにも正直に話していた。それに対しては、きっぱり諦めてサフィニアと一緒になれば、シュンランにも便宜を図ってやると言われていた。しかし、子供を連れたシュンランは相変わらず質素な暮らしをしているようだった。だから……シュンランの元を訪れた」
語り始めたパキラの言葉は止まらなかった。
「後からサフィニアに聞いたら、シュンランは族長の援助を断ったのだという。そういう女だった。しかし俺は諦めきれなかった。サフィニアは、シュンランが正妻の座を望まないならばシュンランとイベリスを家に呼んでもいいと言った。その時は、サフィニア以外には自分の子だと打ち明けるつもりはなかったんだ。親戚の親子を引き取る……それくらいのつもりだった。それなのに……迎えに行ったらシュンランは居なかった」
アベリアが、嘘だと繰り返すカンナの肩を抱いた。
「俺は目が曇っていたんだ。援助すら受け付けなかったシュンランが、家に迎え入れるという提案を受け入れる筈がない。しかし、イベリスは残った。シュンランも、イベリスの将来だけは心配だったのだろう。……そう考えた俺は、イベリスが自分の子であることを公表した。シュンランが何処に行ったのかは俺も知らない。それは本当だ」
「シュンラン様はおそらく、金色の馬に乗って苦しみのない世界に行かれたのです」
カリンが静かに言った。
「……そうか……」
「さっきから何言ってるのよ」
我慢がならないというようにカンナが立ち上がり、カリンを睨みつける。
「金色の馬に乗って苦しみのない世界に行く、というのは、砂漠で自害することの遠喩なのです。アーヴェ語の古い文献に黄金の馬に乗るという記述がありました」
カンナの視線を優しい表情で受け止めてカリンが説明する。カンナは絶句し、よろけるように再び椅子に腰を下ろした。
「族長様は昔、先代の族長様に婿になれと言われた際、一度はシュンラン様に心中を持ちかけたのではないでしょうか。一緒に金色の馬に乗って苦しみのない世界に行こう、そう言って」
「そなたは……まるで見てきたようなことを言うのだな」
「シュンラン様は、族長様のお命を助けたかった。だから心中には反対した。でも……イベリスを族長様に託した後、自分はもう居てはいけないと思った。だから、ひとりで金色の馬に乗って苦しみのない世界に行っておしまいになった」
アルカンの森に閉じ籠もったことのあるカリンには、シュンランの気持ちがよく解るに違いない。
パキラは目を閉じた。
「もう、生きてはいないのか……」
そう呟く。
「砂漠で自害すれば砂がすべてを隠してくれる。あの大きな馬の魔物の正体は、これまで砂漠で自害した人たちの想いの集まりです」
パキラは目を開けてカリンを見る。
「ポハクの遺跡の発掘が始まり、砂漠が掘り返され始めた。折角砂が隠してくれたものが掘り出されてしまう。そっとしておいてほしい。掘り返さないでほしい。その想いが集まって、あの魔物になったのです。馬の形をしているのは、金色の馬の話を受けているからです」
「よく、そこまで……」
「あの馬を浄化すれば、その想いも浄化されるでしょう」
カリンは優しく微笑んだ。
「……救えるのか?」
「……おそらく」
その時、地面が大きく揺らいだ。
カンナの脇にあった大きな甕がその揺れを受けて倒れる。陶器が割れる音が響き、悲鳴が上がった。
甕の破片の横に、イベリスとカンナが座り込んでいる。イベリスがカンナの手を引いたおかげで直撃は避けられたようだ。
「……何よ。触らないで!」
カンナがイベリスを突き飛ばす。
「俺だってお前のことは嫌いだ。でもそれとお前を助けるかどうかは別だ」
イベリスはそう言って立ち上がった。
「怪我は?」
レンが尋ねると首を横に振る。
再び地面が揺れる。先程より小さいが、揺れは止まらない。
「地揺れだな」
族長が中庭に目をやりながら言った。
カリンが立ち上がり、傷が痛んだのか椅子に手をつく。
「そなた、まだ傷が……」
パキラがカリンの様子を見て声を掛ける。カリンはそれに答えず、よろよろと椅子から離れようとした。
「どうするつもりだ?」
族長が尋ねる。
「大地を……鎮めなければ」
「できるのか?」
「分かりません。でも……やってみます」
玄関に向かおうとするカリンをレンは呼び止めた。カリンが振り返る。
「走ったって間に合わないよ。乗って」
レンはカリンに手を差し出した。中庭から飛び立つつもりだった。
「おい、置いていくなよ!」
イベリスが叫ぶ。
「イベリス、みんなをお願いね」
カリンがそう言い終わらないうちにレンは羽ばたいた。少し浮いたレンの身体にカリンが掴まる。レンはそのまま高く空に舞い上がった。
町は混乱に陥っていた。ただでさえ店がひしめいている狭い道を人が様々な方向に逃げていた。簡易な造りの店舗は倒れ、道を塞いでいる。人々は倒れた店舗の上を乗り越えて逃げる。しかし、地面が揺れているのだ。何処にも逃げ場はない。
「どこに向かう?」
「死の砂漠へ」
カリンはそう言って自分の懐から取り出した布をレンの頭に被せてくれた。
「ありがとう」
レンは礼を言い、死の砂漠を目指した。
正確にはそう思われる方角を目指した。イベリスが居ないと正確な位置が分からない。
「そっちじゃない」
聞こえないはずの声が聞こえ、驚いて振り向くと、族長の背中に乗ったイベリスが斜め右方向を指さしていた。
「役に立っただろう?」
族長が笑って先を飛ぶ。レンは後について飛んだ。
死の砂漠は地揺れのせいで砂が空まで舞い上がり、視界が悪かった。
「この辺りだ」
それでもイベリスはそう言い、レンたちは砂煙の中に着陸した。砂の上に居るとあまり揺れを感じない。ただ、砂煙のせいで平衡感覚が定まらず眩暈がするように感じた。
カリンはその場に両膝をついた。そして静に祈り始める。砂煙で何も見えない中、カリンの緑色の光だけが辺りを照らした。
「お願い、鎮まって」
カリンが小さい声で言うのが聞こえる。
「お願い……」
暫くすると、砂煙の中に大きな馬の影が現れた。カリンの正面だ。レンとイベリスが駆け寄ろうとするのを族長が手で制す。族長の顔は真っ直ぐにカリンを見詰めていた。
カリンはゆっくりと顔を上げた。
馬の影は動かない。
カリンは緑色の光を纏ったまま立ち上がった。両手を馬の影に向かって差し伸べる。
馬が、大きく両方の前足を振り上げた。鋭い嘶きが聞こえる。
カリンは前回と同様大きく跳躍して鬣を掴み、その背中に跨った。馬はカリンを振り落とそうと飛び跳ねる。カリンは剣を抜かなかった。左手で鬣を掴み、右手で首筋を優しく叩く。大丈夫、そう言っているようだった。
カリンは両方の手で馬の首を抱きしめた。それは、まるで大きな木を癒しているかのように見える。暴れ続ける馬の身体をカリンの緑色の光が包み込んだ。
やがて、馬は大人しくなった。
カリンは背中から飛び降りた。そして再び馬の正面に立つと、先程と同様両手を差し伸べた。
馬の頭がゆっくりとカリンに近づいてくる。カリンは、いつもガイアにするように馬の頭を抱きしめ、自分の額を鼻先に押し当てた。そのまま、何か話をしているようだ。
馬は、突然消滅した。
気がつくと地揺れは収まり、砂煙も消えていた。少し傾きかけた太陽が、それでも燦燦と照りつけている。遠くに、蜃気楼が見えた。
あれは、黄金に光り輝く馬だ。
馬はしばらくレンたちの方を見詰めると、背を向けて走り去った。
レンがカリンの方を見るとカリンも走り去った馬を見ていたが、やがてレンの方を振り返った。
「あそこに連れて行って」
「え?」
「今、黄金の馬が居た場所」
カリンはレンの方に歩いてきたが、何かに気がついたように族長の方を向く。カリンは族長の頭に薄い布を被せた。族長は笑ってカリンの頭を撫でる。
「さあ、行きましょう」
再び空に舞い上がって、レンは目を見張った。先程黄金の馬が居たあたりの砂が陥没し、中から巨大な石の建物が姿を現していた。