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物語の欠片 七色の蛇篇 20

-カリン-

 夕方、宿にルクリアが訪ねてきた。
 久しぶりに昼寝をして、目が覚めたら陽が傾いていた。寝起きでまだぼんやりしているカリンの顔を、レンは楽しそうに見た。
「カリン、子供みたいな顔してる。よく眠っていたね。気分はどう?」
 子供の頃、よくローゼルと昼寝をした。いつもローゼルが先に目を覚ましていて、カリンが目覚めるとおはようと笑った。
「気分は、いいみたい」
「そう。良かった。おはよう」
 レンはカリンの額に口づけをした。
 自分は今、レンと一緒に居るのだ。もう子供の頃の自分ではない。そして今、子供の頃から憧れていたマカニで暮らしているのだ。自分はとてもしあわせだ。
 カリンはレンに笑顔を向けた。自分がしあわせだと伝えるために。
 ルクリアとは宿の食堂で話をした。レンとローゼルも一緒だ。宿の食堂にはワイ族は少ないので、男女が同じテーブルについてもおかしな目で見る人はいない。
 掟が取り払われても、すぐには人の目は変わらないだろうとカリンは思った。
「先日は命が縮むかと思いました」
「心配かけてごめんなさい」
「貴方もですわ、ローゼル。いくらカリンを助けるためとはいえ、あんな濁流に飛び込むなんて」
「すまなかった」
「まったく、困ったひとたちですわね」
 ルクリアはレンを見て笑った。
「ローゼルが飛び込まなかったら貴方が飛び込んでいたかしら」
「僕じゃ間に合わなかったよ。それに僕はそんなに泳ぎに自信はない。何か他の方法を考えただろうけど、でもローゼルが居てくれて良かった」
「わたくしね、許婚と一緒になることを決めましたの」
 ルクリアは突然そう切り出した。
「ワイの掟が変わってもルクリアの気持ちは変わらないの?」
 カリンは驚かなかったがそう尋ねた。
「ええ。……掟は無くなっても、人の心はいきなりそう簡単には変わりませんわ」
 ルクリアはカリンが先程考えていたことと同じようなことを言った。
「わたくしは親が決めたというだけで許婚が嫌で、みんなにも迷惑をかけてしまいましたけれど、みんなに出逢えたおかげで考えましたのよ」
 そう言って皆の顔を順番に見て微笑む。
「許婚にね、カリンの話をして、貴方ならどうするかと訊いたの。そうしたら、自分には何もできないって。助けられなくて、後から悲しむしかできないって。それを聞いて心を決めました」
「そうなの?」
「ええ。わたくしは、カリンのように生きることはできません。レンともローゼルとも、住む世界が違います。それが分かりましたの。わたくしは、許婚の言葉に安心したのです。彼はわたくしに雨乞いの女としての役割が無くなっても一緒になりたいと言ってくれました。その方は畑を持っているの」
 先程畑の周りに集まっていた人の中に、居たのかも知れない。
「ルクリアがしあわせならばそれでいいわ」
「ええ。しあわせよ。おかしいですわね。一年前は、あんなに嫌がっていたのに」
「良かったね」
 レンも笑顔でそう言った。ルクリアがレンを見る。
「あの時は焦っておかしなことをしてしまってごめんなさい」
「もう、忘れていたくらいだよ」
「わたくし、レンの自由な心に憧れていただけでした」
「改めて言われると恥ずかしい。もう、やめようよ」
 ルクリアはくすくす笑った。
「ええ。もうこの話は無かったことにしましょう。わたくしは、ワイで静かに生きていきます。時々お城に呼んでもらえるだけで十分。……でも、貴方たちのことは大好きですわ。出逢えて良かった」
「私も、ルクリアのこと好きよ。話してくれてありがとう」
 ルクリアはカリンと抱擁を交わし、レンとローゼルと握手をして帰って行った。ワイの婚姻の儀は親族だけで行われるようだ。招待はできないが機会があれば改めて紹介すると、すっきりしたような顔で笑った。
 皆、それぞれの生き方があるのだ。それでいいとカリンは思った。

 クコは楽しそうに図面を引いていた。他の三人は黙々と手を動かして、おそらくは地揺れでずれて噛み合わなくなり、壊れてしまった歯車を修理していた。
「今日か、遅くとも明日中には直ると思う」
「凄い」
「ま、五百年前の仕組みだからな。そんなに難しくはないさ。よくできてはいるが」
「クコさんは何をしているのですか?」
 カリンが図面を覗き込むとクコは手を止めた。
「図面を起こしておけば今後俺が居なくても大丈夫だろう? それに、これがあれば城に帰ってからも楽しめる」
「なるほど。さすがクコさん。応用して何かもっと凄いものを作ってしまいそうですね」
「実はもう案があるんだ」
 そう言ってにやりと笑い、再び手を動かし始めた。手を動かしながら話を続ける。
「あと、頼まれていた遺跡の件だけど……」
「何か分かりましたか?」
「地下に降りる通路は使ったみたいだけど、水路は別なところを通ってる。おそらく水没はしてないと思うぞ」
「では……」
「ああ。水路の向こう側に入口があるんだが、やろうと思えば発掘……というか、入ることができると思う」
「ジニア様が喜びます」
「お前さ、」クコは再び手を止め、今度はカリンに向き直った。「結局城のことに関わってるのな。お前はそれでいいのか?」
 どうなのだろう。確かに、あんなに城に居たくなかったのに、事あるごとにこうして関わっている。
「分かりません。……でも、助けを求められてしまったら……断れません」
 クコは溜息をつき、同情するようにレンを見た。
「レン殿は気苦労が絶えないな」
「ご理解いただき嬉しい限りです」
 レンは笑った。
「理解はしている。だが、俺も今回一緒に仕事ができて楽しかった。困ったな」
 クコはちっとも困っていなさそうにそう言った。レンは少し真面目な表情になる。
「カリンが城に居て城の仕事をやるのと、マカニに居て城のことに関わることはまったく違います。カリンは、間違いなくマカニ族です」
「そうか。そうだな。さすがレン殿だ」
 良かったな。クコはそう言ってカリンに向かって笑顔を見せた。
「レン、ありがとう」
「言っておくけれど、それとカリンが危険な目に遭うのはまた別の話だからね」
「うん。分かっているわ」
 きっと自分はこれからも関わってしまうのだろう。ルクリアの言うとおり、カリンにはそういう生き方しかできない。
 そんなカリンと一緒に居たいと言ってくれるレンの存在を、本当にありがたいとカリンは思う。レンが居てくれて良かった。
 そう、そしてカリンは、もうマカニ族なのだ。今日だってマカニの衣装を着ている。マカニに居ることが大切だ。カリンは、レンのおかげでマカニの大地に根を下ろすことができたのだ。
 ふと、ラウレルの居ない診療所を思い出して寂しくなった。
 大丈夫。あそこは確かにラウレルが居た診療所だ。そして、昔スズナが亡くなった場所でもある。あそこには、今のマカニの命の重みが詰まっている。
 自分はあそこでできることをやろう。あそこが自分が居るべき場所だ。
 カリンは安心して後の作業をクコに任せ、レンとローゼルと共にワイを出た。そして、王に報告をするためにアグィーラに向かった。

「レン。わざわざ足を運んでもらってすまなかったな」
 報告を終えてローゼルが退出すると、王は改めてレンに向き直った。
「いえ。ワイからの帰り道ですから」
「ポハクの件も、ワイの件も、カリンだけでなくそなたにも大変な思いをさせた」
「私はそれほどでもありません」
「いや……カリンが傷つけばそなたも苦しかろう」
「それはそうですが……お気遣いいただきありがとうございます」
 レンは素直に頭を下げた。カリンはふたりの話を黙って聞いていた。
「カリンがマカニの外のことに関わることを、そなたはどう思っておる?」
「危ない目に遭って欲しくはありませんが、困っている人々に手を差し伸べたい気持ちは理解しております」
「そうか」
 王は溜息を吐く。
「カリンは優秀な官吏だ。だからマカニへ行っても位を残した。しかし……正直に申せば少々行き過ぎているのではないかと悩んでおる」
 レンは少し考えているようだった。
「これはあくまで私個人の考えで、族長はまた違うことを考えているかも知れませんが、ある程度は仕方のないことではないでしょうか。アグィーラ人以外が官吏になるのは王国にとっても初めてのことです。カリンは……マカニにも新しい風を吹き込んでくれました。マカニ族はそれを歓迎しています。ですから、もし陛下が、マカニ族が国事に関わることを否としないならば、このままで良いのではないかと思います」
 王はじっとレンの顔を見詰めた。レンは穏やかな笑みを浮かべている。王と対峙する時のレンは誰といる時とも違うとカリンは思った。
 王が不意に笑いを漏らす。
「そなたはエンジュとは随分違うな」
「私は族長のようにはなれません」
「いや、悪い意味ではない。そなたの言葉は真っ直ぐに人に届く。そなたを呼んで良かった。改めてマカニ族の力を借りられることに礼を言おう。エンジュにもよろしく伝えてくれ」
 レンは頭を下げる。
「カリンよ」
「はい」
「そなたのマカニでの暮らしが少し分かった気がする」
「ご安心いただけましたか?」
 カリンが微笑むと、王も笑って頷いた。

「なんかさ、まんまと陛下に乗せられ気がするんだよね」
 マカニへ戻る途中、レンが言った。
「そんなことないよ」
 カリンは笑う。
「あれじゃあ、これからもカリンを自由に使ってくださいと言っているようなものだ」
「考えすぎよ」
「陛下が族長ではなく、僕を呼んだ理由がよく分かる」
 レンは憮然とした表情だ。
「大丈夫。陛下はレンに会いたかったのだと思うわ」
 カリンは本当にそうだと思っていた。
「陛下が僕に会いたい理由が分からない」
「レンは本当のことを教えてくれるから」
「それじゃあまるで僕が馬鹿みたいじゃないか」
「そんなことないよ。レンは、私が遠回りしてようや辿り着く真実に、一番最初に辿り着くの。そしてそれを真っ直ぐ他人に伝えられる。レンは凄いわ」
「よく分からないけど……結局陛下がどう考えておられようが、僕とカリンがきちんと話ができればいいんだ。それだけだよ」
「レン」
「何?」
「一度下に降りてきて」
 カリンはそう言って自分もガイアから降りた。アルカン湖の辺を迂回しているところだった。アルカン湖には今日も虹がかかっている。
 レンがカリンの前にふわりと着陸した。
「レンの言うとおりよ。私はついつい目の前にある問題に関わってしまう。でも、レンのことが一番大切。レンを哀しみの湖に沈めるようなことはしたくない。それは確か」
 カリンが言うと、レンは笑顔になった。カリンの大好きな笑顔だ。
「信じるよ。それに、僕もカリンを哀しみの湖に沈めるようなことはしない」
 二人は、七色の蛇の前で口づけを交わした。

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