物語の欠片 天鵞絨色の種子篇 16 スグリの話
-スグリ-
気まぐれにシヴァとレンの後について族長の家に行った。鳥を理由に誘われたが、ついて行ったのは最近カエデと話をしていないなと思ったからだ。
それなのに族長の家に着くと、まるでスグリが来るのが分かっていたかのように族長が玄関脇の部屋でカエデと話をしていた。スグリはそれと分かるように大袈裟に溜め息をついた。族長の口元に微かな笑みが浮かぶ。
「お前も奥へ来るか?」
「いえ。私は此処で」
スグリと族長のやりとりを見て、レンが素直に笑いを漏らした。
「お前、よくあの族長の息子をやってるよな。俺なら逃げ出す」
三人が奥の部屋へ消えたところでカエデに言うと、カエデは穏やかな笑みを浮かべた。
「スグリは逃げるのではなく、自らの道を進むのだろう? 私にはそんな風な軽やかさも賢さも勇気も無い」
「お前は自己評価が低すぎる」
「それはスグリも同じだ」
スグリは言葉に詰まったが、カエデは相変わらず穏やかな笑みを浮かべたまま「お茶を飲むか?」と尋ねた。
「お前の茶を飲みに来たようなものだ」
茶を淹れるためにキッチンへと向かったカエデの背中を眺めながら、スグリはぼんやりと、初めてまともに族長と言葉を交わした日のことを思い出していた。
*****
商才の無さから工房の主を弟のカタクリに譲らざるを得なかったスグリの父親は、弟の下で働きながらも、工房での仕事とは別に、まるで当てつけのように新しい翼を造り続けていた。スグリが物心ついた頃には誰もスグリの父親とカタクリが兄弟であることを口にしなくなっていたが、時折同情の眼差しが向けられることにスグリは気がついていた。
母親は採羽師で家を空けることが多かったので、村の女たちが交代で家の手伝いに来てくれていたのだが、彼女たちの気の毒そうな眼差しと、父親に聞こえないように交わされる噂話とにうんざりして、スグリは見様見真似で早々に家事を身につけ、手伝いは不要だと宣言した。
手伝いの女たちが出入りしなくなってから、スグリの気ままな生活はそれほど長くは続かなかった。スグリが翼の訓練をする年齢に達すると、父親は他の子供が使うような練習用の翼ではなく、自作の翼を与え、言うなれば自分の作った翼の実験台にするようになった。早く自分で飛べるようになることはスグリにとっても望ましかったが、いちいち飛び方に自分の理想を押しつけ、少し慣れたかと思ったら改良を加えようとする父親には辟易した。更に、事細かに翼の仕様を説明しようとする父親は、スグリが翼技師になることを望んでいるようだった。父親が熱くなればなる程、スグリは冷めていった。
母親は「お父さんは悔しいのよ。だから貴方がこの先悔しい思いをしないように英才教育をしているんだわ。解ってあげて」と言うばかりだ。親の夢を押しつけられるスグリの気持ちは、誰が解ってくれるというのだろう。
翼の訓練をしてくると言って外へ出れば誰も文句を言わなかったので、スグリはよくそうやってひとりで外へ出た。向かう先は、あまり人が来ず、来たとしても隠れる場所に不自由しない東の森がほとんどだ。東の森の飛行台からは、戦士たちの訓練場がよく見えた。赤い翼が戦士のリーダーの証だということは知っていたが、黒髪に赤い翼、長身のその人は、それを知らなくともよく目についた。遠くから眺める訓練場だけでなく、その人の姿はあらゆるところで見かけた。大抵は誰かと一緒に居たが、何故かどんなに多くの人に囲まれていても、その人は孤独に見えた。
そうか。戦士は隊列を組んでいても、結局は孤独な職業なのかもしれない。本当に闘う相手は、自分なのだ。
そう気がついた時、将来は戦士になろうと心に決めた。
ある時、東の森の飛行台から眺めた訓練場に、赤い翼が見当たらなかった。
リーダーにだって休養は必要だ。今日は非番なのだろうと深く考えずに東の森へ足を踏み入れたスグリの前に、その赤い翼が立っていた。咄嗟に言葉が出て来ずに、スグリはその場で固まる。
「スグリ。此処で、何をしている?」
普段ならば面倒くさくて適当に答えるのだが、その人の口調は決して強い口調ではなく、表情も柔らかいのに、抗うことができない。
「どうして俺の名前を知っている?」
嘘をつくことが躊躇われて、代わりに質問を返した。
リーダー相手に失礼な口調かもしれないと思ったが口から出てしまったものは仕方がない。相手は特に不快そうにも見えなかった。可愛げのない子供だとでも思っているだろうか。
「私は村人たちの名を皆憶えている」
「へぇ、それは凄い。じゃあ、俺が誰の子供かも知っている?」
「カラタチとクチナシの息子だな」
「正解。凄いな。リーダーって皆そうなのか?」
「さあ。私の前のリーダーは今の族長だが、尋ねたことは無いな」
「リーダーの仕事というわけでも無いってことか」
自然に憶えるものだろうか? それとも、憶える努力をしたのだろうか。あんなに、孤独に見えるのに。
相手がふっと口元に笑みを浮かべたので、スグリは心の声が聞こえてしまったかと思ってどきりとする。
「賢いな」
「え?」
「まだ、十にもなっていないだろう? それなのに、考えがしっかりしている」
「ふぅん。そんな風に言われたのは初めてだ。だいたい、生意気だって言われる」
「周囲の大人にも悪気はなくて、お前のことを気遣っているのだとは思うが、だからといってそれに従う必要もない。ただし、従わないならば自分で責任を負うべきだ……というのは、まあ大人になってからだな。子供のうちは、親が代わりに責任をとってくれることの方が多い。いずれにせよ、自分の思ったとおりに進めば良い」
「そういうの、面倒くさい」
「面倒?」
「そう。その、親が責任取ってくれるってやつ」
「そうだな。それがあるから親もつい子供のやることに口を出したくなる」
その答えに驚いて、まともに相手の眼を見てしまって後悔した。
なんだ、この眼は。
漆黒の瞳は、どこまでも慈悲深いようでいて、その更に奥が見通せない。
反対に、自分の全てがそこに映ってしまうような気がした。
そっと、目を逸らす。
「なあ」
「何だ?」
「戦士って、孤独?」
今度は相手が僅かに驚いた表情を浮かべた。再び瞳を覗き込みたくなったが、誘惑よりも恐ろしさが勝ってできなかった。相手の眼を見なくとも、この人は嘘をつかない人だと思った。
「戦士に限らず、人間とは……いや、生きているものはすべて、ある意味孤独なものだ。最終的に、自分の責任を取る者は自分しかいない。自分のしたことの結果は全て自分に返ってくる。……少し、難しいだろうか」
スグリは首を横に振る。
「いや、なんとなく、分かる気がする」
そして、スグリはその方が気が楽だった。それなのに、どうして人は、仲間を作ろうとするのだろう。自分と意見の同じ人を探して、そうでない人を排除しようとする。いや、排除ならまだしも、自分と同じ意見に変えさせようとしたりする。
「皆、不安なのさ」
「え?」
またしても、心の声を聞かれてしまったように感じた。
「本当は知っているのに、孤独を……自分自身に対する責任を、忘れたいのだと思う。あとは、自分だけが人と違うことが恐ろしいのだろう。だから、少しでも仲間を見つけて安心したい。それを人の弱さだと思うか?」
「……分からない」
弱いと言える気もするし、仲間を作ることで強くなれるようにも思うし、そもそも弱いことが悪いことなのかどうかも分からなかった。スグリは軽く混乱する。
大きな掌が、スグリの頭に置かれた。不思議と安心感を与える掌だ。
「他人がどうであれ、お前はお前のままで良い」
「その……つもりだよ」
「そうか。子供には、少し大変かも知れぬが、何かあったら私のところへ来ると良い」
「何かって?」
「そうだな、例えば、戦士になることを親に反対されたり」
赤い翼の主は不敵な笑みを浮かべた。
「誰も、戦士になるだなんて言ってないだろう?」
「例えばの話だ」
例えばにしては的を射すぎてるんだよ、と思ったが口にしなかった。それなのに相手は種明かしをしてくれた。やはり心の声が聞こえているとしか思えない。
「お前は戦士は孤独なのか、と尋ねた。普段からよく戦士を観察している証拠だ。そして、どうやら人との関わりを面倒だと感じているらしい。だから戦士になりたいのかと思った。単純だろう?」
「簡単に言うけどさ、その単純なことが、できない人は多いと思うよ。やっぱりリーダーになる人は凄いんだな」
「さあ、どうかな」
戦士にはなりたいが、戦士のリーダーには絶対になりたく無い。まあ、なりたくてなれるものでもなさそうだから心配はいらないだろう。
*****
あれから族長は、時々スグリに声をかけてくれるようになった。交わす言葉はほんのひと言か二言だったが、言葉を交わすたびに自分の心を見透かされているようで、ひやひやした。しかし、心を見透かされたからといって、それ以上深く踏み込んでは来ない族長は、他の村人たちよりは煩わしくなかった。
それでも、苦手だ。大人になっても、それは変わらない。
「昔族長に、『スグリはお前とそれほど歳は変わらないだろう?』と尋ねられたことがある」
茶を淹れて戻ってきたカエデが徐に言った。こういう時、族長とカエデは親子だな、と感じる。カエデも、他人の心の内を読んだような振る舞いをすることが度々あった。
気が向いたので、素直に心の内を晒す。
「ちょうど思い出してた。族長と初めて話した時のこと。族長は何か言っていたか?」
「いや。『ひとつ歳上です』と答えたら、『そうか』とだけ。私も、それ以上訊けなかった。比べられるのが、怖かったからかな」
「シヴァならともかく、俺と比べられたって、大したことはないだろう。俺が規格外だ。だいたい族長は、誰かと誰かを比べたりはしないだろう」
「よく、分かっているじゃないか。そう、今ならば私も分かる。でもその頃は、私は周囲の目を気にしてばかりいた」
「そりゃそうだよなあ。あの族長の息子だものな。族長は比べないが、一般的な人間はすぐ比べたがる。だから言ったんだよ。お前は凄いって。よく逃げ出さずにやってる」
「スグリも比べないだろう?」
「まあな」
「シヴァも比べない。私は、身近な人に恵まれていたんだよ。だから少しずつ環境に慣れていった。私の場合、時間がかかるが」
「謙虚だな」
「臆病なだけさ」
「それが臆病ならば、臆病も悪くない」
「口が上手いな」
「シヴァほどじゃない」
ふ、とカエデが笑う。スグリも、愉快な気持ちになってくつくつと笑いが零れた。
「危ないな」
言ってスグリは立ち上がる。
「危ない?」
「お前と話していると気が緩む。そろそろ帰るよ。茶、ごちそうさま」
「シヴァとソレルの訓練を見ていくのではなかったのか?」
「予定変更。シヴァに言っておいてくれ。スグリは帰ったって」
「……分かった。気をつけて」
驚きも戸惑いも見せず、いつもの穏やかな笑みを浮かべて言うカエデの引き際を、見事だと思う。
「またな」
スグリは片手を上げて挨拶し、カエデに見送られて第五飛行台に向かって歩き出す。
これもまた、族長にはお見通しなのだろうな、と思いながら。
しかしそれを、悪くない、と思っている自分を不思議に思いながら。
***
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