物語の欠片 濡羽色の小夜篇 19
-レン-
アグィーラから戻った翌日、レンは久しぶりに土木師たちと鍾乳洞へ行った。先日シヴァとスグリから聞いたとおり、土木師たちは交代で鍾乳洞に寝泊まりし始めていた。行き来に時間が取られない分、調査がずっと捗っているそうだ。
「もう、大きな危険は無いと言っても良いと思う」
率先して鍾乳洞に入り浸っているらしいレンギョウが、僅かな疲労も見せずに爽やかに言った。
「あ、カエデさんが、何日も陽に当たらないのは良くないから、きちんと交代の期間は守るようにって」
「おっと。そうか。うん、分かっているつもりだ」
「あと、アグィーラのクコ殿からいくつか助言をもらってきたよ」
「おお、そうか。それは有難い」
大きな空洞の部分はまだ手付かずだったが、小さな横穴のいくつかには折り畳み式の簡易な家具が運び込まれ、図面を引いたり座って休んだりできるようになっていた。レンとレンギョウはそのうちの一箇所に陣取り、小さなテーブルを挟んで向かい合って座った。レンギョウはそこに、これまでに調査が完了している部分の地図を広げた。
「これが階層を無視したおおまかな平面図だが、ここが今俺たちの居る場所でここが、入り口だ。つまり、こちら側が村だな」
一番広い広い空洞から細長い空洞が四方八方に伸びていたが、全体としては凡そ双子の峰の一方を、アルカン湖側から、マカ二の村に向かって伸びているようだった。
「双子の峰を跨いでいるのかな?」
「そうだと村に近いから良いんだが、もしかしたら弟の峰の端で終わっているかも知れない」
「それなら僕が最初に洞窟に落ちたのはイカルの滝よりは下流だったんだろうね」
「そうなるな」
次にレンギョウは断面図のようなものを見せてくれた。
「伸びた空洞をおおまかな階層で分類すると、七階層くらいになる。勿論全ての地点に七階層在るわけではないが、この中央広場……俺たちはそう呼んでるんだが……にはほとんどの道が通じている。まあそりゃ、ここを起点に調査しているんだからそうなんだが」
「うん。分かりやすいね。贅沢な七階建の建物だ。アグィーラ城より大きい」
「いやいや、床材が分厚くて天井は低い回廊のようなものさ。中央広場を別にしてな」
レンギョウは苦笑する。
「ええと、これと、こっちを組み合わせると……」
図面を見慣れないレンが頭を捻っていると、レンギョウは双方の図面を左右の人差し指で差し、こことここが同じ地点だ、と教えてくれた。
「つまり、もしこの七階の道を、こちら側に伸ばすことができれば、村に比較的近い入口を作ることができると俺は見ている」
「第二見張り台の近くってことになるのかな?」
「まあ大体そうだ」
「もうひとつの案は、もしこの中央広場が訓練場になるならば、大胆に天井を斜め上に向かって伸ばすと言う手もある。そうすれば双子の峰の間のこの辺りから、直接訓練場に降りられるようになる」
「ここってほぼ真ん中辺りなんじゃない? 地面を突き抜けるまで掘るのは大変だと思うけど」
「まあそうだが、天井付近はそうでもないんじゃないかと思ってな」
「それなら、僕が最初に落ちてきた滝の広場が使えれば、ここからより掘る距離が短くて済みそうだよ」
「川の外まで道を引っ張れば良いだけだから、確かにそうだ。ただ、まだそこまで行き着いてないんだ。お前は四日で入口から出口まで辿り着いたっていうのにな」
「仕方無いよ。僕が通らなかった道含めて慎重に調査しながら進んでいるんだから。寧ろここまで図面ができているのが凄い」
しかしその日の夕方、レンがそろそろ引き上げようと思っていた頃、ある土木師の班が興奮した面持ちで中央広場へ戻ってきた。その班に付き添っていた戦士のクサギも、物言いたげにレンの顔を見ている。
「親方。見つけました。滝の広場です。凄い、凄いんです!」
「中央広場よりはやや小ぶりですが、広さは十分。何より、あの幻想的な様子と言ったら……」
「時間が足りなくて測量までできませんでしたが、明日は朝一番で真っ直ぐあそこへ向かおうと思います」
「いや、今日のうちに途中まで戻ってそこで寝よう」
四人は口々に報告ともつかない言葉をレンギョウへ浴びせかける。レンギョウは苦笑しながらそれを受け止めた。
「おいおい、お前たち。漸くレンが入ってきた入口まで辿り着いたのは確かに嬉しいが、それじゃあ全く俺たちに状況が伝わらん」
四人の中の、おそらく班長なのだろうハギという名の土木師が、すみません、と頭を掻きながら状況を説明し始めた。
その通路はあまりにも狭いので後回しにしていたのだという。漸く調査を始めても、這うようにして進まなければならないので、測量しながらだとなかなか先に進めない。それでも、一度測量した場所は翌日はそのまま前に進めるので、毎日少しずつではあるが先に進んだ。そして漸く昨日、拓けた場所に出ることができた。期待に胸を膨らませて今日の午前中から調査を続けていると、大きな水音が聞こえた。付き添いの戦士も含めた五人は、測量も疎かに、灯りを手に水音の方へ走ったという。
「そうしたら、突然ぼうっと道の向こうに光が見えたんです。一瞬恐怖を覚えたのですが、クサギが先に立ってくれて、光の方へ向かいました。そうしたら目の前に、長い長い滝が。そしてちょうど、滝の吐き出し口から光が射していて、滝も、地底湖も、とにかく広場全体が深い青色をしていました。光が時折揺れて……あ、いや、すみません。全く空間の説明にはなっていないのですが、とにかく、明日もう少し詳しく調査させてください。なんなら、こちらの人数を半分くらいあちらに回しても良いと思います」
「ああ、そうしよう。これは面白くなってきたな」
「レンギョウさん、今日もここに泊まるの?」
レンが尋ねると、レンギョウは笑う。
「いや、カエデに釘を刺されたからな。今夜は一度村へ戻るよ。明日の朝、朝日くらいは浴びてからここへ来よう」
「うん。そうした方がいいよ。こっちは明日はシヴァさんだと思う」
「分かった。……お前たちも早まったことはせず、それぞれ所定の場所で休むように」
レンギョウは言い置いて、他の面々にも今日の調査は調査は終了である旨を告げた。
「あの道、物凄く狭くなかった?」
帰り道で、レンはクサギに尋ねた。クサギは比較的身体の大きな戦士だから、レンよりも圧迫感を感じたに違いない。
「ああ、狭かった。俺は測量が終わっていた今日だったから良かったが、昨日まで付き添ってた奴らはもっと大変だったな。俺はあの滝の広場も見られたんだ。寧ろ役得だったさ」
「滝の広場、そんなに凄かった? 僕はさ、何でこんなところに居るんだっていう混乱と、これからどうしようか考えるのに一生懸命で、あまり憶えていないんだ。確かに長い滝は印象的だったけどね。どちらかと言えば、あそこから出るのは無理だなとか、陽が落ちる前に行動に移さなきゃとか、そういう感じだった」
「お前の置かれた状況ならそうだろうな。俺も光が見えた時には緊張したさ。でも、確かに凄かったよ。神秘的っていうのか? 空の青とも違う、深い色だった。何であんな色になるんだろうな」
さあ、と返すレンの声に重なるように、レンギョウが「光の性質さ」と言った。
「光の?」
「そう。太陽の光ってのは、白く見えるが、本来あの虹の七色が混じり合った色なんだ」
「へぇ」
「その七色の光の……波長って分かるか? 光にも波みたいなものがあるんだが、その長さが違うから色が違って見える。それでな、まあ難しい事を省くと、青い光の波長が一番水に吸収され難いんだよ。光の入口が即ち滝が流れ込んでいる穴だとすると、長い滝の水を通ってくる間に他の色は水に吸収されてしまって、青だけが残るってわけさ。穴が小さければ小さいほど、水を通る長さが長いほど、青は濃くなる」
「面白いね」
そうか。クコやレンギョウの眼には、レンとはまた違った世界が見えているのかも知れない。
「いや、俄然面白くなってきた。そんな場所がマカニの戦士の訓練場になるんだぜ? あ、出入口を作る角度は考えないとな。おかしな光が混ざったらせっかくの神秘的な雰囲気が台無しかも知れん」
面白いの意味が違うよ、と言いたかったが、レンは黙っていた。
戦士という職業が無かったら、自分の考えはまた違ったのかも知れないというようなことを思った。例えばこの世に魔物が居なければ、戦士という職業が無かったのだろうか。例えば人間同士が争う世の中だったら、レンは戦士という職業を選んでいただろうか。選んだかも知れない。それがマカニを守る最も直接的手段だったならば。そもそも自分は族長のように、なぜ魔物と戦わねばならないかなど考えずに戦士になったのだ。
この世に闇というものが無かったら、自分はカリンとは出会わなかったのかも知れない。いや、闇が無くてもカリンは薬師としてマカニを訪れはしただろう。けれど、レンとの出会いは全然別のものになっていたに違いない。
それでは、この世に闇が在った方が良かったのか、と問われると、そうとも言えない。カリンが存在する人生としない人生とを比較できるのは、今自分がカリンの存在する人生を知っているからだ。もしかしたら、今の自分が知らない、もっと違った素晴らしい人生があったかも知れないではないか。
けれど、だから、そんなことを考えても仕方がないのだとレンは思う。闇はこの世に在って、魔物も存在して、今自分はカリンと一緒に居る。今自分が手に入れていない人生を考えても仕方がない。自分はただ、自分が出会った時間軸のその時々を、その時にできる精一杯で生き切るだけなのだと思う。選択を誤ったって仕方がないではないか。その時には、それが自分には分からなかったのだから。その後を、なんとかするしかないのだ。
セダムは、二つの人生を生きようとしているのだろうか。だから心が分裂してしまった。しかしそんなものはいつか破綻するに決まっている。身体はひとつしかないし、周りの人が、別々の二人として見てはくれない。
カリンが昨夜話してくれたところによると、もし本当に解離性同一症と診断されたら、少なくとも医師は、複数の人格をそれぞれ尊重し、時には別の名前で区別して平等に接するそうだ。しかし噂に聞いているだけでも、セダムの母親がそれを受け入れるとは思えなかった。
ユウガオが上手くやってくれることを祈るしかない。
洞窟の出口から顔を出したレンの視界の遠く遠く、アグィーラの城郭の先端が、ほんのり灯りをともしていた。