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物語の欠片 緋色の山篇 14

-カリン-

 目を開けても、辺りが薄暗くなった以外は仮眠をとる前と風景は何も変わっていなかった。レンはまだ戻っていないのだ。
 気配を感じたのかコキオが振り返る。
 「目、醒めたか?すまないな、こんなところで仮眠させてしまって。」
 「大丈夫。私、戦医だったって言ったでしょう?どこでも眠れるわ。」
 「レンはまだ戻っていない。もう日が暮れた。いい加減遅すぎると思うんだが。」
 「多分、ポハクに寄っているのではないかしら。」
 「ポハクへ?」
 「うん。マカニへ行って族長様とお話しして、ポハクのパキラ様に報告して帰ってくるなら少なくともあと二時限か三時限はかかる。それを過ぎても帰って来なかったら少し心配だけれど。」
 「ポハクに寄るなんて言ってなかったぞ?」
 「族長様に言われたのではないかしら。」
 その推測が正しければ、やはりポハク族が関係していることになる。族長はアキレアの様子をパキラに知らせたかったのだ。
 アキレアは犯人に心当たりがあるのではないかとカリンは考えていた。だからこそ庇っているのではないかと。しかしそれがポハク族だということになると少し事情は複雑だ。
 思わずポハク族に罪を擦り付けてしまったアヒ族を庇っているのではなく、本当にポハク族が関わっている可能性が高くなるということは、今自分が立てている仮説だけでは足りず、まだ少し考える余地がある。
 カリンは見張りを続けていてもポハク族は現れないのではないかと思っていたが、もしここにポハク族が現れたとしたらそれは何を意味しているのだ。
 とりあえず最初から見張りを続けているホオズキを避難所に帰してやらなければと思い、話しかけようとすると、そのホオズキ自身に目で止められた。何か察知したのだ。
 その場にさっと緊張感が走る。
 耳を澄ますと、カリンの耳にも微かな足音が聞こえた。後方だ。
 しかしカリンはすぐに緊張を緩める。
 「レンだわ。」
 「よく分かるな。」
 驚いた表情のホオズキにうふふと笑って見せると、本当に後方の茂みからレンの顔が覗いた。
 「遅くなってごめん。」
 「ポハクへ行っていたの?」
 「なんだ、やっぱり分かっていたのか。」
 「遅かったからそうかな、と思っただけ。でもポハクに寄ったにしては早かったね。」
 「できる限り急いだからね。」
 「族長様が行けと仰った?」
 「うん。」
 「そう…。」
 「えっと、とりあえずホオズキさん、休む番だよね。カリンは?ちゃんと休んだ?」
 ひとまず一日中飛び回っていたレンとホオズキは避難所へ戻り身体を休めることになった。その後、これからのことを話し合う。それまでに自分の頭の中をまとめる必要があった。
 周囲に目と耳を配りながらも、カリンの頭の中はぐるぐると考えが渦巻いていた。

 先に気がついたのはコキオだった。コキオの身体がぴくりと緊張し、遠眼鏡を握る手に力が入る。遠眼鏡は真っ直ぐ一点を指している。別の方向を見ていたカリンはコキオと同じ方向に自分の遠眼鏡を向けた。カリンたちがいる場所よりも山の麓に近い、土木師たちが使う小屋のある方向だった。
 その先に見えたのはアヒ族の、おそらく土木師たちだと思われる集団だった。男たちが持っている角灯の灯りがちらちらと揺れる。数は凡そ二十名。何かを秘密裏に行うには人数が多い。マカニ族の見張りが去ったので、通常の採掘のために山を訪れたのだろう。しかし気になるのは今が深夜だということだ。こんな遅くに火山を訪れるものだろうか。カリンはネリネに通常の採掘の工程を聞いておかなかったことを後悔した。
 暗闇の中この距離だ。角灯の灯りだけでは遠眼鏡に彼らの表情は映らない。勿論声も聞こえない。楽しげなのか、深刻そうなのか、それとも淡々と山を登っているだけなのか、全く分からなかった。
 「どうする?レンに知らせるか?」
 こちらの声も相手に届かないと判断してコキオが声をかけてきた。目は遠眼鏡を覗いたままだ。
 「いえ。余程のことがない限りこのまま見守りましょう。間もなく交代の時間になる。どちらが来るかは分からないけれど、多分ホオズキさんが来るのではないかしら。私は戻ってこれからのことをレンと話す。」
 「了解。」
 再び辺りに静寂が戻る。火山に生息する生き物はアグィーラやマカニとは異なる。時折、聴きなれない生き物の声が聴こえた。
 遠眼鏡の向こうの角灯の灯りは男たちの動きに合わせて揺れ、木や茂みに遮られたりしながら次第に近づいてきた。それでもまだ男たちの表情は見えない。突然角灯の灯りが消えたと思ったら例の小屋だった。小屋の影に男たちがすっぽり収まってしまったのだ。小屋の入口は山の麓の方を向いている。男たちは今その前に立っているのだろう。そろそろ角灯を消したかもしれない。そんなことを考えていると小屋に明かりが灯った。
 なるほど。もしかしたらアヒの土木師たちは、採掘を始める日の前夜遅くに小屋に入り、翌朝早くから採掘を始めるのかもしれない。確かにその方が効率が良いように思えた。
 しかしマカニ族が見張りを終えて去ったその夜から採掘を始めるとは、アヒ族にとって鉄鉱石は、既に重要な産物になりつつあるのかもしれない。アキレアがそう認識していないことは置いておくにしても。
 男たちがいったん小屋に入ったことで、なんとなくカリンとコキオの緊張が緩んだ。しかしまだ完全に見張りの手を緩めるわけにはいかない。小屋に入って必要なものを取り出してどこかへ向かうかもしれないのだ。入り口側が見えないのがもどかしかった。
 暫くすると再び小屋の灯りが消えた。少しの間待ってみたが何も起こらない。男たちが小屋を出た気配もしなかった。勿論灯りを持たずに闇の中出て来られたら、遠眼鏡にその姿が映るのかどうかは自信がなかった。男たちが小屋の中で眠ったのだと思いたい。
 カリンが小さく溜息を吐くと、コキオが疲れたか?と尋ねた。
 「いえ。ごめんなさい、大丈夫。」
 「無理するなよ。見張りは慣れないだろう?」
 「ありがとう。コキオさんはずっとこんなことをやっているのね。本当に大変そう。」
 「万年見張りだからな。」
 遠眼鏡に目を当てたままのコキオの声が少し自嘲気味に響く。
 「私、子供の頃マカニへ来る時、いつもコキオさんが一番に見つけて挨拶してくれるのがとても嬉しかった。」
 「あはは。そうだったな。」
 「…傷ついたゲイルをこの手で殺めてしまって、どうしていいか分からなかった時も、コキオさんの顔を見たら安心した。」
 「カリン。慰めてくれてるのか?」
 「違うよ。本当のこと。今までなかなか伝える機会が無かったから。マカニの見張りは最高だわ。」
 「…そうか。」
 「でもね、お城の門番の中にも素敵な人は居るのよ。自分が出入りする時にその人が立っていると安心するの。その町や村に入って一番先に会う人って、人の第一印象と一緒で大切だと思わない?」
 「それはそうかもしれないな。」
 「うん。それにマカニに住んでいる今だって、外から帰ってきて見張り台が見える辺りまで来ると安心する。」
 「そうか。」
 「うん。」
 「ありがとう。」
 「それは私の台詞よ。いつもありがとう。」
 「…どういたしまして。」

 レンとホオズキは二人で連れ立ってやってきた。カリンはひとりで戻って来られないでしょう?とレンに言われ、その通りだと気がつく。レンの背中に乗って避難所へ向かうと、空を飛ぶのが随分久しぶりである気がした。いや違う。昨日避難所から見張りの場所までホオズキの背中に乗って飛んだばかりだ。レンの背中に乗るのが久しぶりなのだ。そういえばフエゴで見張りを始めて以来かもしれない。とはいってもほんの数日のはずなのだけれど。
 フエゴの夜風もそれなりに冷たかったが、マカニの凍り付くような風とは比べ物にならない。マカニは大丈夫だろうか。大雪でもいい。マカニが恋しかった。
 そんなことを考えていたので、避難所に戻ってカリンが発した第一声は、マカニは大丈夫だった?だった。先ずマカニの話が聞きたい。
 レンもカリンの気持ちを汲んだようで、短い時間で見たマカニの様子と、族長から聞いた村の様子を話してくれた。それから、ヨシュアの話も。
 レンがヨシュアの所に寄ったのは想定外だったが、思いがけずヨシュアの様子を聞くことができて、やはり慣れない見張りで緊張していたカリンの心が少し解けた。
 「ほんの数日マカニを離れているだけで、マカニの日常が随分遠く感じたよ。フエゴやラプラヤとは随分様子が違うからね。」
 「分かるわ。私もさっきレンの背中に乗って飛ぶのが随分久しぶりだと思った。たった数日なのに。」
 「でも僕たちの今やるべきことは、マカニの心配をすることでも、それに対して何もできない自分を憂うことでもなくて、マカニの皆を信じて僕たちのやるべきことをやることだと思うんだ。」
 「うん、それも分かる。そしてとてもレンらしい。」
 「だから、これからのことを話そう。僕はいい加減に子供の遣いには飽き飽きしているんだ。」
 「なあに?それ。」
 「ううん。なんでもないよ。とりあえず族長とパキラ様からの伝言を伝える。」
 アキレアのお人好し具合は族長の想定以上だったこと、パキラの反応と閃光弾の話。そしてパキラの意味深な言葉。
 レンの話を聞きながら、欠けていたピースが次々と嵌まっていくのが自分でも分かった。しかしそのパズルの絵は、すべてのピースが嵌まった瞬間にくるりと裏返り、全く違う絵になってしまった。
 「つながったみたいだね。」
 「…うん。」
 「話せる?」
 「うん…。でも、先にお茶を淹れてもいい?」
 「勿論。」
 カリンは二人分のお茶をことさら丁寧に淹れながら、もう一度自分の頭の中で今回の物語を整理した。
 明日、再びアキレアに会いに行かなければならない。


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