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物語の欠片 濡羽色の小夜篇 14

-カリン-

 梟の間に入って来た局長たちは、カリンの姿を認めるとそれぞれ意味深な表情を浮かべたが誰も何も言わなかった。その表情だけを見たのでは、彼らが何を考えているのだかカリンには全く分からない。
 医務室長のヘムロックと薬師室長のバーベナは、ツツジの手前、カリンの居ることに疑念や不満を感じている気配すら見せなかった。
 最後に入って来たのはレフアとローゼルだったが、おそらくツツジから事前に聞いていたのだろう、不思議そうな顔も見せず、レフアはカリンにいつもどおりの微笑を向けた。
 報告は事前の打ち合わせどおり、恙無く終わった。
「順調に進んでいるようで嬉しく思います。その裏には医局の大変な努力と被験者の皆の協力があることでしょう。心より感謝いたします」
 レフアの言葉に、ツツジは深々と頭を下げた。
「まだ何も結果を出していないというのに、勿体ない程の御言葉です。では、これより実際の治療現場で、相手の同意の元、少しずつ治験の輪を広げてゆくことを許可いただけますでしょうか」
「ええ。どうぞよろしくお願いいたします。他の皆様も、異論はありませんね?」
 レフアが出席者の顔を順に見ながら言うと、皆は次々に頷いたが、プリムラが口を挟んだ。
「数値は、確かなのでしょうな」
 ちょうど対面に座っていたツツジとプリムラの視線が交差する。プリムラは、口元に不敵な笑みを浮かべていた。
「プリムラ殿も研究者であるからお分かりであろう? 実験や治験に於いて正確な数値は基本中の基本だ。何重にも確認を重ねている」
「さすがツツジ殿だ。私とて何も本気で疑っているわけではない。誰も訊かぬから訊いただけのこと。数値が確かならば私にも異論は無い。是非新たな技術を無事に導入してもらいたい。何と言っても医局の治験は人の命にかかわりますからな」
「プリムラ殿こそさすがだ。目の付け所が違う」
 文化局長のランタナが調子よく合いの手を入れた。ツツジはこれには反応を示さなかったが、ランタナの言葉を皮切りに、各局長の間で一見他愛のない会話が始まる。次に口を開いたのは法務局長のシェフレラだった。
「そういえば先日のローゼル殿下の誕生の宴の際、リクニス様から身体を大事にせよと言われたな。我々とて、いつ医局の世話になるか知れん。ツツジ殿を怒らせぬようにせねばいざという時に何をされるか分からぬ」
「シェフレラ殿も人が悪い。法務局こそ健康体であっても世話になる局だ。医局の仕事を進める上でも避けては通れん」
 ツツジは表情を変えない。つまり、不機嫌な顔のままである。
「はっはっは。まあ、そうではある」
「今回の治験も、そろそろ並行で法的認定を進める予定だから、早速世話になる」
「うむ。そこは任せておいてくれ。とはいえ、私は最終的に判を押すだけだがな」
 カリンは、アオイがシェフレラの孫娘との縁談を破談にしたことを知っている。いや、カリンが知っているというよりは、アグィーラでは有名な話だ。しかし一見シェフレラとツツジの中は悪いようには見えない。実際はどうなのだろう。それぞれが勝手に話し始め、収拾がつかなくなりそうなところで凛とした声が響いた。
「皆様、誰ひとり欠けてもこの国は回りません」
 レフアの声に、局長たちは声を収めた。レフアは再び参加者の顔をぐるりと見渡すと言葉を続けた。
「法務局や医局は勿論、建築局が無ければ国の基盤が整いませんし、文化局は我々の生活の基礎を担ってくれています。傭兵局が無ければ安心して暮らすことはできないでしょう。リクニス伯父の言うとおり、皆様にはお身体を大切にしていただいて、これからも国を支えていただかなければなりません。どうぞよろしくお願いいたします」
「御意に」

「我々もついに身体を心配される年齢になったということですかな」
 梟の間を出て中庭まで歩く間、ランタナが隣を歩いていたシェフレラに話しかけた。カリンたち医局の面々はそのすぐ後ろを歩いていた。
「そうだな。しかし年齢の問題だけでもない。万が一の時のために後継者も意識しておかねばなるまい」
「その点、シェフレラ殿はご安泰でしょう。優秀な娘婿殿が居られる」
「ふむ。当然それを意図してのことではある」
「さすがでございます」
「ランタナ殿にもご子息が居ろう?」
「いやいや、あれはまだまだです。私の教育もまずかったかもしれませんが。孫娘の縁談にでも期待しますかなあ」
 ランタナの声は大きく、良く聞こえたので、アオイの後ろを歩くカリンは気が気ではなかった。そのカリンの耳にユウガオが「知ってるか? ランタナ様の孫娘の縁談相手ってアリウム殿なんだぜ」と囁いた。アリウムは医務室長ヘムロックの腹心の部下である。ランタナの孫とは随分年が離れてはいないだろうか。カリンは驚きの表情も抑えなければならず、ようやく中庭に差し掛かった頃には妙な疲労感が残っていた。
 前を歩くシェフレラとランタナはそれぞれ法務局と文化局のある棟へ向かって歩いて行った。カリンもツツジの後をついて医局へ向かおうと思ったのだが、思いがけずプリムラに声をかけられた。
「忙しいか?」
 プリムラの問いかけにツツジが眉を顰めるのを目の端で感じた。しかしカリンが何か言う前にツツジは「先に行くぞ」と言って歩き始めてしまった。アオイとユウガオはこちらを気にしながらもツツジと二人の室長の後を追う。結局カリンはプリムラと二人で取り残されることとなった。プリムラと一緒に歩いていたはずの傭兵局長の姿はいつの間にか消えていた。
 プリムラは医局の面々を何故か愉快そうな表情で見送った後、何も言わずに歩き始めた。カリンは仕方なく後に従う。プリムラが足を止めたのは図書室近くのベンチのひとつで、自らが腰を下ろした後、隣を顎で指し示す。カリンは不思議な気持ちでプリムラの隣に腰かけた。
 陽当たりが良い場所で、ベンチはほんのりと温かい。
「先日、ナウパカから興味深い話を聞いた」
「どんなお話でしょう」
「お前、一時期熱心に古い書物を調べていたそうではないか。図書室の本は古代アーヴェ語の本も含めてすべて読んでしまったとか」
「……はい」
「何が知りたい?」
「……」
 どう答えたら良いか分からなかった。正直に話すならば、カリンの予知夢の話をしなければならない。秘密にしておかなければならないことでもなかったが、あまり公に口にするのは憚られた。
「闇とは……何なのでしょう」
 質問を質問で返す形になったが、プリムラは「闇か」と呟いて空を見上げた。
「闇は、光の対極にあるものさ」
「光の……対極……」
「そう。闇は絶対的なものではない。相対的なものだ」
 プリムラの指が、すっと目の前の木陰を差した。
「それは一般的に影というがな、それは何故かと言うと面積が小さいからだ。影が大きくなって、お前をすっぽり包み込んだらどうなる?」
「……それが、闇?」
「光が何ものかによって遮断された状態、それが即ち闇であろう」
 何かが掴めそうだった。
 この世を闇が包み込んだ時、最初は小さな薄い膜のようなものだった。それが徐々に広がって、この世界をすっぽりと包み込んだ。
 カリンがアオイの心の闇と向き合った時もそうだ。カリンは闇に呑み込まれたが、その外に居たレンたちは外から闇らしきものを眺めていただけで、光の下に居たのだ。本当の闇を感じていたのはカリンだけだった。
 闇は何故生まれるのか。それは、光が在るから……なのだろうか?
 しかしそれを考え続けようとした時、プリムラが呟いた。
「そうか。闇について調べていたのか」
「あの……」
「お前はローゼル殿下の幼馴染だそうだな」
「え? あ、はい」
「光の戦士とはまた象徴的ではないか」
「……アグィーラは……光?」
「正確には光になりたかった国、という訳だ。言っただろう、相対的なのだ」
 一瞬、ぐらりと視界が揺れた。「先に相手に危害を加えたのは魔物か人か」という族長の言葉が思い出された。
「どうした?」
「いえ……あの、では、人の心の闇も……」
 プリムラはそれを聞いて大声で笑った。
「さよう」すぐに笑いを引っ込めたプリムラはしかし、「愉快だ」と言葉にして言った。カリンは誘惑に負けてさらに質問を重ねた。
「罪は……いつの時点で罪となるのでしょうか」
 口にしてから、前後の話題からすると支離滅裂だと思ったが、プリムラは気にした様子も見せず、ふむ、と少し考える様子を見せた。カリンはじっとその横顔を見詰める。意外と長い睫毛が影を落とす理知的な瞳が印象的だった。
「人の心は自然界の法則より複雑でな、先ほどの心の闇の話にしても光源を特定するのが難しい。おまけに人間は光を錯覚したりもする。その場合、闇も錯視によるものとなる」
「理解できます」
「お前の言う罪とは意識的な罪か? それとも無意識の罪も含むのか?」
「あ……」
「法的な定義は無論存在する。それは複数の人間が共生する上で秩序が必要だからだ。しかしそれと個人の心の動きは無関係だ。複数の人間が存在し、第三者が判断を下さねばならない時に初めて法的罪の定義が有効となる」
「よく、理解できました」
「それでお前は何を不安に思っているのだ?」
 プリムラにはカリンが不安そうに見えるのだろうか。そうかもしれない。しかしカリン自身何がそんなに不安なのか分からない。自分が他人の罪を暴いて人の心の闇を生み出してしまったことだろうか?
「自らの心に嘘はつけん」
 カリンはその言葉にはっとしてプリムラの顔を見た。プリムラはその視線を正面から受け止めてにやりと笑った。
「一般的に悪いことだと知っていて、それをやってしまう。理由はどうあれそれは露見すれば法的には罪だ。しかし露見せずとも、それをやった人の心には罪悪感が残る。いくら仕方のないことだと自分を正当化してもだ。その時点で闇の欠片は根付く。それが大きくなれば、いつかそれは宿主を喰い破るだろう。そうなる前に法的に浄化してやるのもひとつの手さ。あくまでも、ひとつの、な」
 続けてプリムラは、カリンの息が止まるような発言をした。
「同じ研究者でも、私は物理を扱うから全てを明らかにしたくなるのだが、ツツジ殿などは医療だからか、根本原因は分からずとも治れば良いと思っている節はあるな」
 プリムラは、何を何処まで知っているのだろう。カリンが言葉を挟めずにいると、プリムラは一瞬不敵な笑みを浮かべた後で真面目な表情になった。
「闇は相対的だが、無は違う。無はそれだけで無」
「無……」
「そう。無は在ることの対極だと思うだろう? しかしそれは違う。先に在ったのは無の方だ。そこから存在が生まれた。本当に恐ろしいのは、無だ」
 さて、と言ってプリムラはベンチから立ち上がった。カリンも慌てて席を立つ。
「あの、色々とありがとうございました。」
「誘ったのは私だが?」
「では、お誘いいただきありがとうございました」
「ふむ、その礼は受け取っておこう。私も愉快であった」
 カリンは様々な考えの渦巻くまま姿勢の良いプリムラの後ろ姿をしばらく見送った。
 その時、まるでプリムラとの話が終わるのを待っていたかのように、中庭を横切ってくるレンの藍色の翼が目に入った。
 カリンは大きくひとつ深呼吸をした。


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