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物語の欠片 韓紅の夕暮れ篇 18

-レン-

 クコ殿も気の毒に、というのが、事の顛末を聞いた族長が最初に発した言葉だった。シヴァも頷き、レンも返事をする声に思わず力が入る。
「はい。僕はずっとクコ殿の仕事に対する姿勢を尊敬していました。それなのに、それが今回は裏目に出てしまって……というか、あんな風に言う人が居るなんて……」
「妬みは、多かれ少なかれ誰の中にもある感情だ」
「それは……」
 レンはふと思い当たる。
 自分は昔、ローゼルに嫉妬していた。
 カリンの幼馴染で、若くしてアグィーラの戦士として認められ、国の英雄である光の戦士となり、カリンの宿命に関わっているローゼルに対して、長らく真っ直ぐに称賛の気持ちを持てずにいた。
 それどころか、カリンの近くに居るならば、もっと早くカリンの苦しさに気がつけよ、と思っていた。
 しかし実際に深く関わってみたローゼルは、誰よりも自分に厳しく、レンと同じくらいカリンを大切に思っていて、素直に敵わないと思える人物だった。今ではレンの方が、もっと力を抜きなよ、と言ってしまうような性格だ。
「しかしお前は、不当な方法でそれを邪魔しようとは思わぬであろう?」
 考えを見透かすように言った族長に、レンはすぐに言葉を返すことができない。
 本当に、そうだろうか。
 黙り込むレンに、族長は穏やかに微笑みかけた。
「お前は、相手よりも努力しようとするはずだ。その力でもって相手を見返す。それが私のこれまで見て来たお前の姿だ」
 族長は、同意を求めるようにシヴァを見た。
「間違いなくそうでしょう。妬みの感情を持つこと自体はそれほど悪いことではない。ただ、レンのような人間ばかりではないことは事実です。中には、相手を引きずり降ろそうとする悪意を持つ者も居る」
「そう。そのような者も居る、ということだ。まあ、引きずり降ろそうとしないまでも、素直に協力しようとしない者は意外に多いかもしれぬな。さて、シヴァ。お前ならどうする?」
 問われたシヴァは苦笑して族長を見る。族長の口元にも幽かに笑みが浮かんでいた。
「私ならば……まず味方を見つけます」
「なるほど」
「いきなり全ての人を味方にすることはできないかもしれませんが、少なくとも信頼できる味方が数名居れば、事は始められる。そして少しずつ、味方を増やしていく」
 レンは、あっと思った。
 最年少で戦士のリーダーに抜擢されたシヴァは、まさに似たような経験をしていたのではないだろうか。何度も話を聞いていたのにもかかわらず、なぜ今まで思い浮かべなかったのだろう。自分の浅はかさを呪いたくなる。
 そんなレンを可笑しそうに見遣ってシヴァは続けた。
「とはいえ、族長の治めるマカニに、俺を引きずり降ろそうとするような人は居なかったよ。せいぜい、信頼してもらえなかった程度だ。それに、族長は最初から手がかりを用意してくださっていた。俺には、既にスグリという味方が居た。むしろ、族長が戦士のリーダーになった時の方がご苦労されたのではないですか?」
「さほどでもない。私には族長の後ろ盾があった故、シヴァよりは楽だったのではないだろうか。当時の族長には、自分の選んだリーダーに文句はつけさせないくらいの威光があった。私は、最初のうちは族長の飾りだったと言っても過言ではないであろう」
 族長が自らの過去を話してくれることは珍しかったので、レンは自分のもやもやする気持ちを忘れて聞き入った。
「シヴァは憶えておらぬか? 当時の族長は私と違って、朝晩自ら訓練場に現れ、話をしていた」
「確かに……私が訓練場に通い始めてから程なくして族長が交代されましたが、初めはそうだったような気がします」
「記憶が薄いのも無理はない。その頃には既に随分と様子も変わっておった。私は最初、族長が言ったことを戦士たちが忠実に実行するよう監督する役割のようなものでしかなかった。しかし、リーダーを継いで暫くすると頻繁に族長とぶつかるようになった」
 原因は主に当時の戦士たちの負担の軽減につながるものだったから、戦士たちは次第に当時の族長よりも、リーダーであった族長を慕うようになっていったという。
「族長は、そうやってご自分で信頼を築いて行かれたのですね」
「そうしようと思ってやったわけではなかったが、結果的にそうなった。戦士たちからの信頼が篤くなると、族長は私のことを力で押さえつけようとすることは少なくなり、ある程度自由が利くようになった」
 それでも度々衝突したが、と言って族長は笑いを浮かべる。
 しかしその笑みが楽しいものなのか、苦い思い出を嗤っているのか、レンには判断がつかなかった。
 穏やかな表情を浮かべている時も、感情が動いたらしい時も、レンにはその実族長の考えていることがよく分からない。
 それでも族長と居ると覚えるこの安心感はどこから来るのだろうか。
「族長はあらかじめ、ご自身の後継としてハシバミさんを育てておられた。それだけは記憶にあります。それなのに、その後継が五年もしないうちに亡くなって、再び新しいリーダーを選ばなければならなくなった。自分がもし同じ立場だったとしたらと考えるとぞっとします」
「幸い、お前が育ってくれていた」
「いえ、私は……」
「お前のことはきちんと育てた覚えはないが、勝手に育ってくれていた。だから次を任せることにした」
「……」
「いずれにせよ、少なくとも今は楽をさせてもらっている。お前とレンのおかげでな。それに、安寧な生活の中に居れば忘れてしまいがちだが、そのくらいのことはいつでも起こり得る可能性がある。備えておくに越したことはないのだが、当時は私もそこまで余裕がなかった」
 族長が族長になった翌年に妻であるスズナが亡くなったと聞いている。おそらくレンが想像できる以上に色々とあったのだろう。
 ああそうか、とレンはようやく納得した。
 族長は、レンのすっきりしない気持ちを解消するとともに、シヴァにそのことを伝えたかったのだ。
 シヴァは今、後継としてレンを育ててくれている。しかし、それだけではまだ十分ではないのだ、とシヴァは感じていることだろう。今の話から、レンなどより余程たくさんのものを受け取ったに違いない。
 それとも、もしかしたらこれは後継の話だけでもないのかもしれない。何手も先を読んでいても、まだ不足することがあるということか。それは何もシヴァだけに限った話ではなくレンにも当てはまる。しかしレンの場合、あまり先のことを考え過ぎると、何が正しいのだか分からなくなってしまう。そして、結局目の前のことに戻ってきてしまうのだ。
 族長の話の意図を考えているだけでも息が詰まり、大きく息を吐く。しかし、フエゴを出てくる時に感じていたようなもやもやはすっかり消えていた。結局は、その時に自分が考え得ることを最大限に考えることしかできない。それで及ばなければ自分が至らなかったということだ。
「そう、難しく考えずとも良い」
「はい。申し訳ありません。難しく考えるのは僕に向いていません。でも……」
「でも?」
「はい、なんだかすっきりしました。僕の考えの及んでいないところなど、山ほどあるのだろうなと思います。でも、だからと言って全てを放棄してしまってはいけない。僕は、その時にできることをやるしかないんだなって……結局いつもと同じ結論になりました」
「そう、お前のその考え方は、最終的にお前の成長に繋がっている……シヴァ、お前もそう深く考え込むものでもない」
「はい……」

 族長の家を出てからも、シヴァはいつもよりも口数が少なかった。
 そして、第五飛行台へ着くと、すぐに訓練上へ戻らず、飛行台の手すりにもたれた。話をしようと言われたわけではないが、レンは何も尋ねずに同じように手すりにもたれて空を見上げる。
 今夜も雪が降りそうだ。
「今夜も雪になりそうだな」
 と、シヴァも呟いた。
「うん」
 またしばらくの無言。
「戻らないのって訊かないのか?」
「いつかは戻るでしょう? シヴァさんは、無駄にだらだらとここで過ごしたりしない」
「凄い信頼だな」
「うん」
「その信頼はどこから来る?」
「え?」
 シヴァを待つつもりでぼんやりと空を眺めていただけのレンは、急に問われて言葉に詰まった。そんなレンに、シヴァは一瞬だけ笑顔を向け、すぐに真面目な表情に戻った。
「俺の族長への信頼はどこから来るのか、と考えていた」
 レンも先ほど似たようなことを考えたなと思ったが、それを告げることにあまり意味は無さそうだったので、黙ったまま話の続きを待った。何より、もうひとりの後継のことでも考えているかと思ったシヴァが、全く別のことを考えていたことに驚いた。
「族長も人だ。それは解っているはずなのに、俺は族長に頼り切っている自分に気がついた」
「そうは見えないけど……」
「外面はな。でも、俺のやっていることは、結局は族長のお考えを読んでいるだけだ。族長ならこうされるだろう、と常にそう思っている気がする。今は答え合わせができるからいいが、例えばこの先族長が引退された後も、俺はずっと、族長ならば……を考え続けるような気がしてならない」
「別にそれでもいいんじゃない? 族長の考えを参考にしつつ、結局最終的な結論を出しているのは、やっぱりシヴァさんなんじゃないかな」
「そうなのかもしれない。しかし……族長は、どうやって族長として立っておられるのだろうな。族長ご自身に、俺にとっての族長のような存在が在るようには思えない」
「それは、そうだね」
 レンは、他の族長たちのことを考えてみた。
 パキラの拠り所は、完全に合理性であるように思う。自分の意に反することであっても、合理的な判断によって物事を動かす。
 エリカは、ワイの町を発展させることを主眼に置いているように思える。いや……以前カリンが話してくれたことによると、もしかしたらそれすらも、上皇の関心を引くためなのだろうか。いずれにせよ、族長とは全く違う心の持ちようであることは確かだ。
 アキレアは、自身がひとりで立っているというよりは、周囲との和を重んじているように感じる。
「うーん。シヴァさんに解らないものが僕に解るとは思えないけど、僕が族長のこともシヴァさんのことも尊敬してるのは事実で、それはもう、理屈ではなくて、これまでの積み重ねだと思う」
「積み重ね、か」
「うん。僕はそもそも族長の考えなんて分からないと思っているから考えを読むようなことはしないけど、シヴァさんはさ、毎回族長の考えを辿っているようで、少しずつその考え方そのものというか感覚というかを受け取ってるんじゃないのかな」
「……なるほど」
「例えば僕は未熟だから、以前、背中に傷を負ったカリンをポハクへ行かせようとした族長に反発した。でも結局そうすることが解決する手段だった。族長がカリンのことを想っていないはずはないのに、それでも僕は族長の考えに同意できなかったんだ。シヴァさんならば、きっと族長の考えを理解して最初から協力したと思う」
「……」
 パキラならば、もっと合理的に利点と欠点を説明してレンを説得したかもしれない。でも族長はそれをしなかった。族長はレンの感情も捨て置けないからだ。レンの反感をいったん全部引き受けて、事が解決した後でそっとレンの申し訳なく思う気持ちすら救ってしまった。
「少し、解った気がした」
「え? 解ったの? 凄い」
「結局のところ、族長が考えておられること以上のことを、今の俺は考えられないということだ。まったく及んでいないことの方が多い。だから少なくとも今は族長のお考えを追跡するしかない。もしこの先、そこに違和感を感じることがあったら……その時初めて俺は族長に反発するのかもしれない」
「シヴァさんが一番族長の近いところに居るってことだよね。僕は分からな過ぎて反発するんだ」
「そうでもないさ」
 シヴァはレンの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「つき合ってくれてありがとな。さて、じゃあ戻るとするか」
「うん」
 シヴァも不安なのかもしれないなとレンは思う。
 シヴァは間もなく族長が族長を継いだのと同じ歳になる。もう、いつ自分が族長を継いでもおかしくないが、その準備ができていないことに焦っているのかもしれない。
 しかし、レンは思うのだ。
 族長は決してシヴァの気持ちを無視して族長の座を引き渡したりはしないだろう。シヴァの心の準備が整わない間は、自分が族長で居るつもりに違いない。
 ただ、問題は想定外のことが起こった場合だが、先ほどの族長の言葉どおり、どんなに備えていてもそれを上回る何かが起こる可能性はある。自分たちにできることは、できうる限りの備えをすることなのだと思う。  
 まだ十五時を過ぎたばかりだというのに、太陽が向かいの峰の向こうに隠れてしまった空は、どこか薄暗く感じた。



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