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物語の欠片 濡羽色の小夜篇 22 最終話

-カリン-

光と闇 この世界を等しく満たす
ある時より闇 均衡をくずさむとして 光を阻む也
光を統べるもの 火水風金をして力と
すなわち闇 滅する也

 古代アーヴェ語の、古い時代の歴史の書はこう始まっている。
 カリンは自分の夢の謎を解いていた時、それまで教えられてきたとおり素直に、光は正義、闇は悪という二項対立を頭に描きながらこれを理解していた。
 少し後で、アルカンの森の主からメギの話を聞いた時、この話はメギによる、森の為の人間に対する復讐劇に変わった。確かにその時代に魔物が生まれ、闇が光を侵食し始めたものの、この話自体は、人間に森を大切にさせるためのメギによる作り話で、その話のせいで人柱が立つことになったのだ。
 そして今、プリムラと議論を交わした後のカリンは、再びこのことがよく分からなくなってきている。
 光と闇は相反するものではあるが、表裏一体である。善悪はない。そこまでは分かる。光と闇は、元々等しく存在していた。
 では、何故魔物は生まれ、闇が均衡を崩し始めたのか。いや、魔物はこの際置いておこう。闇が、大きくなり始めたのは何故だ。
 例えば昼と夜。
 太陽は常に位置を変え、夜の間に太陽の光を遮っているのは大地そのものだ。太陽が大地の影に入ると闇がやってくる。闇を作っているのは、大地なのか? そう考えると、すっと背筋が冷える思いがする。魔物も、大地から生まれる。どうしても、カリンはそこで思考を止めてしまうのだった。
 しかしこの日、カリンはひとつのことに気がついた。
 アーヴェ語の文献にも、特に闇が悪であるとは書かれていない。ただ、人間が光の側であるように書かれているだけだ。それを人間は、光即ち正義と解釈してしまいがちであるという事実。カリン自身ですらそうだった。
 光が正義でないならば、闇もまた悪ではなく、大地が闇を生むからといって大地が悪というわけではない。では、大地の役割は何だ。
 大地は確実に命を育む。一番分かりやすいのは植物だ。植物の種のほとんどは地に落ち、根を生やし、葉をつけて成長する。多くの命が、土壌が無ければ育たないだろう。動物たちはその植物や、時には大地そのものを拠り所に命を繋ぐ。
 魔物も、その一環とは言えないだろうか。
 大地から直接生まれる魔物は、まるで植物のようではないか。
 では、植物と魔物の差は何だ。
 人を襲うこと?
 しかしそれは、人が先に魔物に害を為したからかも知れないと族長は言っていた。
 闇が悪ではないように、魔物も悪でないとするならば、光と人間が共に在るのと同じく、闇と魔物が共に在り、それは単に属性の違いというだけのこと。それでも、やはり、相容れないのだろうか。これからも闇は光を侵食し、光はそれを滅する。人間は、魔物を浄化する。それは、変わらないのだろうか。
 大地は……大地は、闇の側なのか? だから自分は子供の頃、うまく人間と付き合うことができなかったのだろうか。

「魔物に触れてみたことがある、ということは話したな?」
 カリンの話を聞いた族長は穏やかな笑みのままそう言った。カリンは頷く。
「今は、魔物の考えを聞いてみたいと思っている。もし同じ言葉を話すことができればの話だが」
 族長が族長でなければ、きっとすぐにでもそうしているのだろうとカリンは思った。一族の族長ともあろう者が、ひとりで危険を顧みずに魔物の元へ出かけて行き、対話を試みるなど、普通は許されないだろう。しかし族長はその窮屈さはおくびにも出さず、優しい表情で続ける。
「そなたはもしかしたら、魔物と話ができるのではないかと私は思っておるのだ」
「私が……ですか?」
「そう。少なくとも空の魔物とは会話したな? あれはあの魔物が特別だったからなのか、それともそなたの方が特別だったのか」
 魔物となったアイリスと結ばれた大地の化身サルビア。
 アイリスが元々魔物となる運命だったとしたら……
「やはり大地の化身は……魔物の側に居るのでしょうか」
「いや、寧ろ繋ぐ者なのではないだろうか。そうであれば、そなたのその分け隔てない感覚も理解できる」
「繋ぐ者……」
「だから以前私は、そなたが鍵だと言った」
 ああ族長は、やはり自分の何歩も先を歩いているのだ。ふ、と気が軽くなる。自然と口元に微笑みが溢れた。
「族長様とプリムラ様がお話しされたらどうなるか、お傍で聞いていたい」
「そうだな。しかしプリムラ殿もそなただから話しておられるのだろう」
「いえ、プリムラ様はあまりそのようなことをお考えでもないような。寧ろご自分の話が通じる人を探していらっしゃるようでした。それならば、私などより族長様の方が余程お話が進むかと」
「本当に必要ならば、そのうち話をさせていただく機会もあるであろう」
 時が満ちたら。
 時が満ちるという概念を、カリンは最近、漸く実感として理解しつつあった。
 セダムのことも、きっとまだ時が満ちていないのだ。時が満ちれば、もう少し楽になる。それまで、セダムがなるべく穏やかに過ごすことができればいい。ツツジも、おそらくそう考えたに違いない。何もかもを即座に明らかにする必要はないのだ。それに、賢いセダムは、もしかしたらすでにうっすらと気がついているのかも知れない。いずれにせよ、医師の勉強をしていたら、そう遠くない未来に同一性乖離症の知識に触れるだろう。その時にセダムが何を思っても、まずは頼れる誰かが居れば良い。自分も少しは助けになるだろうか。

「族長様は、イヌワシの岩にいらしたことはあるのかしら」
 カリンが呟くと、レンは不思議そうに首を傾げた。
「あまり人が来ない場所ではあるけれど、何度か来たことはあるんじゃないかな。族長は族長になる前は色々な場所に行っていたみたいだし。でもどうして?」
「何となく」
 此処は、ひとりになるにはちょうど良い場所だ。何となく、族長にも、ひとりになる為の場所が在るように感じたのだった。
「少なくとも僕が此処に来るようになってから、此処で会ったことはないな。もし僕が此処へ来るようになる以前に族長がこの場所を使っていたのならば、それは少し申し訳ない。でも、何となく此処にひとりで居る族長は想像できないなあ。勿論、僕が解っていないだけかも知れないけど」
 二人の視線は自然とアルカン湖に向いた。
 深い深い水の底に居る族長の話をレンと二人でしたことがある。その時は特にアルカン湖を意図しての話ではなかったけれど、二人の知る最も大きく深い湖はアルカン湖だ。レンの言う通り、族長がひとりで居るのは、そのアルカン湖を俯瞰するこの場所ではなく、もっと昏い場所なのかも知れない。
「久しぶりの夕焼けだ」
 レンの言葉にはっとする。
 そう。二人は此処に夕焼けを見に来ていたのだった。冬の間は日没が早く、レンの訓練が終わった後ではイヌワシの岩の夕焼けは見ることができない。これは、春を告げる二人の間の風物詩のひとつだ。そのような特別な時間を、今年も持つことができることを感謝しなければならない。
「春だね」
「うん、春だね」
 マカニの夏も好きだが、カリンはやはり春が一番好きな季節だった。冬が終わり、冬の間隠れていた植物たちが次々と芽を出す春。
 レンは、夏が一番好きなのだそうだ。その中でも初夏が特に。
「これから、訓練に良い季節だ」
「ふふ。ローゼルは秋が好きらしいのだけれど、理由が同じだったわ。アグィーラは、秋が一番過ごしやすいの」
「ふうん、そうなのか。誕生の宴の日、訓練の話は色々したけれど、好きな季節については話さなかったな」
「レンとローゼルが穏やかに季節の草花や星について語り合っている姿は浮かばないよ。二人とも戦士だもの。あ、でもローゼルは星に詳しいのよ」
「うん、アグィーラの戦士ならばそうだろうね。僕らも夜は星を頼りに飛ぶ」
「ああ、そうか。そういえばそうよね。私はそれほど星読みは得意ではないの」
 そう言っている間に日は暮れ、空にはちらほらと星が瞬き始めた。
「ほら、あれがレグルスという星だ。春に見える星の中でも一番明るい」
 レンの指差す方向を見ながらも、カリンの思考は再び光と闇のことへと戻っていった。
 星は、昼間にはそこに存在しないわけではないということを、カリンは本で読んだ知識として知っている。太陽という、より強い光がある時には星は見えないだけなのだと。
 闇が無ければ星という光は見えないのだ。そう考えると、この世界は、光と闇の二項対立ではあり得ないことがよく分かる。闇が在るからこその光だって在るのだ。寧ろ、光の方が異質だとは考えられないだろうか。元々在ったのは闇で、そこに光がやってきた。だから闇は、光を侵食しているわけではなく、元の状態に戻ろうとしているだけなのだと。
 異質なのは光、異質なのは人間の方……
 無……
 無とは、闇なのだろうか? いや、プリムラの言い方だとそうではなかった。闇は、闇が在る状態だ。無は、何も無いのだと。
 何かが掴めそうだったが、それを今自分は掴むことはないだろうという不思議な感覚を覚えた。
 まだ、時が満ちていないのだ。
「ああ……」
 予想外に気の抜けたような声が自分の口から漏れた。
「どうしたの?」
「今度ランタナ様にお会いしたら、どういう態度を取れば良いのかしら」
「今までどおりでいいんじゃない?」
「そういうの、私が苦手だって知っているくせに」
「あはは、そうだね。自然に相対したら不信感が出てしまう?」
「そうだと思う」
「予知夢の秘密や、レフアの王位継承の秘密は守り通せたんだろう?」
「それは、なるべく誰とも深く交わらなくしてきたのよ。でも、最近はなんだか……」
「アグィーラを離れたはずなのに、以前よりアグィーラとの関わりが深くなってしまった」
 カリンは驚いてレンを見たが、レンは特に不快そうではなかった。
「どうしてだろう……」
「離れたからじゃない? 意識して遠ざけなくても、距離があるから」
「そうなのかも知れない。だからお城のこともよく見えるようになったのね。ああ、そうやって私は、お城の人間関係に慣れていくのだわ」
 大人になったな、というユウガオの声が耳元で聞こえたような気がした。それが良いことなのか悪いことなのか分からない。
「私はマカニ族」
 言い聞かせるように声に出してみた。
「そう、カリンはマカニ族だ。さあ、そろそろ帰ろう。僕はお腹が空いてきたよ」
 レンの差し出す手に、くすくす笑って自分の手を重ねながら、マカニ族という響きを噛み締める。そう、自分は大地の化身である前にマカニ族だ。それがあれば、何があっても大丈夫な気がした。
 レンの背中に乗って飛ぶカリンの目には、くっきりと黒く空を染める夜空に、レグルスが明るく瞬いているのがいつまでも見えていた。


-物語の欠片 濡羽色の小夜篇- 了

カリンとレンの物語は「天鵞絨ビロード色の種子篇」に続く 


***
この篇を最初から読む方は
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