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原作未履修でペラステを見て己の青春を思い出したオタクの活動報告書

「アオペラ」というコンテンツについて私が知っていたのは、高校生がアカペラをやるコンテンツであること、くらいでした。
いつだかふらっと通りがかったAGFで立ち絵を見かけて、アカペラか、ハモネプ流行ったもんな、くらいに眺めていた記憶があります。
そんなふんわりした知識しかなかった「アオペラ」の舞台を、何も知らないまま友人に誘われて見に行ったのですが、すごく、すごくよかったので、よかったよ!!!という声を残すべく、これを書き始めました。

誤解を恐れずに言うなら、ペラステは、めちゃくちゃ“舞台”でした。
2.5次元舞台はちょくちょく見る方なのですが、よりアクションだったり歌だったりに特化した“ショー”に近いものもあります。これは、どちらが良い悪いではなく、作品や好みによるのですが、今回はこの作品にこの演劇性の強さみたいなものがかなり「ハマっていた」と感じました。

アカペラには大きな動きというものがあまりありません。
これは、ライブパフォーマンスをするとなったときに、ひとつ視覚的要素が少ないことを意味しますし、それはステージパフォーマンスとして上演する上で、もしかしたらディスアドバンテージと言えるかもしれません。
しかし、この作品はそれをあえてシンプルにそのままぶつけることで、よりその熱量を鋭利に客席に届けていたように感じました。それは、シナリオの力だけでも、キャストの力だけでもきっと難しくて、やっぱり「ハマっていた」んだと思います。

思い返せば、この「ハマる」瞬間、というのは、こと音楽において欠かせない要素のような気がします。
作中で、アカペラとはなんだ、なぜアカペラなのか、というような問いを彼らがする場面がありますが、誰かと音楽をやるということは「一人では見られない景色を見ること」です。
誰かと音楽をすること、それはアカペラに限らず誰かとハーモニーを作ることです。一人で出す音の数には限界がありますが、それが集まって出す音は単純な足し算ではなく、誇張なしに掛け算だと思います。「いま!合った!!」という瞬間のアドレナリンは、一生忘れないと思います。私には学術的なことはわかりませんが、音が重なる時の化学反応みたいなものは実際存在していると思います。たぶん。

その音の重なりを、この舞台では限りなく生ではない音を削いで表現していました。
全編無伴奏というわけではないのですが、シンセ(たぶん)とボイスパーカッションをベースに、時にはライバル校のキャストがビブスをつけてコーラスをし、劇伴のような役割を果たしていました。
アカペラは、動きが少ないとともに基本的には音の数がとても少ないです。人間が原則一人で一度に一つの音しか出せませんからね…。
この限りなくシンプルな音づくりは、アカペラ歌唱シーンの感動を高める意味でもとてもよかったと感じています。
どんなにアカペラがうまくても、オーケストラの合奏のあとに聴くとどうしても音の薄さを感じます。(これはかつて私が部活で地元の音楽フェスに出た時に感じたことでもあります。)
劇中のBGMがほかの舞台(主に2.5)と同じくらいの音の厚みであったとしたら、同じことが起こっていたんじゃないかと思います。それをとてもアカペラに寄り添った形で解決しているあたたかみを感じました。
まあどちらにせよ、舞台でアカペラを観客に見せられるだけのクオリティ・かつ原作のキャラクターに沿った演劇をする、というキャストの力がマジでやべ〜〜〜です。というかキャスティングどうやったんだ?歌の審査があるのは大前提だろうし、どのくらいキャラクターに合致しているのかはミリしらオタクにはわかりかねますが、そこのバランスってめちゃくちゃ難しいだろうな…。

さて、先に書いた「一人では見られない景色を見ること」に話が戻りますが、これは何も音楽だけでなくチームスポーツにも言えることなので、私の大好きなスポーツマンガにもそういったセリフがあります。
そんなスポーツと、音楽のどこが違うか、を考えると、「観客の存在」なのではないかと思います。一人でも音楽を楽しむことはできるけど、誰かに届けることが、音楽をひとつの完成に至らしめると思います。

その「観客」の存在をこの舞台の中でより強固にしていたのが、辻堂颯太でした。
なんでもこの辻堂くん、舞台オリジナルキャラらしい!そんなまさか!こんなに物語に欠かせないのに!!!
しかし、オリジナルだと思って見ると、辻堂がいるからこの作品は“舞台”になっていたのだ、と思います。
リルハピのメンバーも、特に後輩と双子くんは変化を望んでいるところがあり、アカペラをやることで少しずつ変わっていくわけですが、辻堂はそれをずっと隣で見ていて、逆に見ているだけで、少しだけ変われた、そんな人でした。

劇中、アカペラライブが終わったあと、ステージの照明が落ちて客席の真ん中(物理)にひとり立つ辻堂くんにスポットライトが当たる瞬間があります。
他のシーンでも、彼らが音楽に出会う瞬間はとても美しく切り取られていますが、ここが一番好きでした。
さっきまでステージの上にいた辻堂くんが、観客と同じ向きでステージをまっすぐに見つめ、たしかに彼の心の中には変化が起こっていました。彼の心の動きはもしかしたら人生の中では一瞬のもので、その感動が、結果的に将来飯を食うことに繋がらないものだったとしても、その瞬間の輝くような、燃えるような気持ちは無駄じゃないんだよ、と言われているような気がしました。

最後に、少しだけ自分の話をしようと思います。
私は、中学生の頃、それこそハモネプに憧れてアカペラグループを作ったことがありました。
音楽系の部活に入っていたので(吹部ではない)、その部活の友人数人と、ほかのやってくれそうな友人と、6人グループでした。
ハモネプにもこっそりエントリーしていた気がします。たしか校則で芸能活動は禁止だったので、通ったとしても出られないものではあり、目標としては文化祭のステージに出ることでした。

部活でも、アカペラでも、ひとつの曲を異なる人格の集合体で作り上げることに対しては、楽しかったことより苦しかったことの方が数としては多いんじゃないか、というのが私の体感です。
私の好きな作品のセリフで、初めて作曲をする登場人物に、作曲の先輩が「つらくてつらくて、楽しいだろう?」と声をかけるシーンがあります。私にとって誰かと音楽を作り上げるまでの過程はまさにそれでした。最終的に演奏するのはめちゃくちゃ楽しいし。

そんな私なので、音楽を作る苦しみと、それが解放されるカタルシスを描くような作品が好きなんです。それでいうと、今回のペラステにその要素はあまりありません。しかし、もっと根源的な欲求、音楽は楽しいんだ、という、キラキラした気持ちが溢れていました。
言ってみれば、「音楽の天衣無縫の極み」のようなものです。

それは、辻堂に部活設立の動機を聞かれた時に「やりたいから」と答える壱だったり、テレビでアオペラを見たときに「あんなふうに歌いたい」と思う壱だったり(壱ばっかりだな)。
「やってみたい!」を衒いなく言葉にし、実行する強さは、高校を卒業して10年以上経つ私にとても眩しく映りましたし、それが単なる若さのなせるものではないということは、辻堂くんが証明してくれているんじゃないかと思います。


さて、そんなペラステ、なんと冒頭40分(冒頭とは?)がYouTubeで無料公開されています。
少しでも気になった方は、ぜひ見てみてください!


しかしこのペラステ、なんと明日がもう千秋楽……見に行くのが遅すぎた……
間に合わないけど冒頭見て全編見たくなった!という方には、ぜひ配信をご検討いただければと思います。
見逃し配信に加え、後日アーカイブもあるそうなので、当日はスケジュールと財布が合わないよ!という方にも!ぜひ!


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