『RENT』にわかファンがにわかなりに『RENT』のなんたるかを調べてみた③
だらだらと書いてきたRENTシリーズも最後になりました。
(①<登場人物編>はこちら、②<シーン別編>はこちらからどうぞ。)
さて、最終回は<過去と現在とRENT>です。
<時代背景との関係>
RENTの初演が行われた1990年代は、作中にあるようなホームレスや、ジョアンヌのセリフでも登場するsquatterと呼ばれる住居不法占拠者の排除が市長を中心に行われていました。
「ジェントリフィケーション(紳士化)」と呼ばれる再開発のなかで、治安の悪いニューヨークの改革が進められていたんです。このあおりを受けたのがRENTの登場人物のような人々で、こうした様子を目の当たりにしたジョナサン・ラーソンがニューヨークの状況を台本に入れ込んでいました。
この再開発のなかで、ディズニースタジオなどがニューヨークに誘致されるなどの成功事例もありました。しかし、モーリーンのOver the Moonの歌詞に出てくるミッキーマウスは、大衆に迎合し、ニーズに合わせた商業的な作品の象徴になっています。マークやロジャーが作るものがこのミッキーマウスとは対局の扱いを受けていたということが想像できます。
RENTの登場人物たちは、自由な生き方を求めるなかで家族という枠組みからは少し外れた生き方をするようにはなっているものの、同じような生き方をする者同士で結びつき、新しい形での繋がりを求めていました。
これについては、サンタフェからニューヨークに戻ってくるロジャーと、番組に映像を売ることをやめたマイクが歌うWhat You Ownのなかで
’CONNECTION—IN AN ISOLATED AGE’と歌われていること、曲の最後の歌詞が’I’M NOT ALONE’であることからも見て取れます。
一方では1980年代以降の、AIDSの問題や同性愛者の問題、人種の多様化の問題の顕在化もRENTの大きなテーマになっています。この「愛」に関する部分はボエームの要素を色濃く受け継いでいる部分であり、ボエームの翻案である必要があった理由でもあるため、次で譲りたいと思います。
<翻案の意義>
まず「翻案とはなんぞや???」というところからお話します。
「翻案」は「翻訳」よりもう一歩翻案者(翻訳者)の意図が多く含まれています。また、同じ言語で描かれていても「翻案」になることもあります。
簡単にいえば、「インスパイアされたストーリー」「もとになったもの」というイメージです。
RENTでは、音楽の現代への適応も大きな意味を持っています。オーソドックスなミュージカルでは、比較的高めな年齢層の客層が中心になっていたのに対して、現代的なテーマと現代のロックやポップスを使ったミュージカルナンバーが多く入っていることで、若者にも感情移入しやすい作品になりました。
RENTでは「ジェンダーの枠を超えて人を愛する自由とその自由を脅かすエイズへの恐怖」及び「人が生む場所を選択する自由と、その自由を脅かす『都市部の中流化』への恐怖」が描かれていると書かれている本もあります。(ここでの『都市部の中流化』は、「ジェントリフィケ—ション」による再開発とほとんど同義。)
愛する自由の部分が原作であるラ・ボエームのテーマを引き継いでいる部分になっており、強く愛を歌う姿を描く際に、オペラの力が必要だったといえます。この愛の物語であるラ・ボエームに、当時の社会問題を関連させ、若者の群像劇としてそれぞれの心情を際立たせた部分にRENTが翻案としてラ・ボエームから独立する意味がありました。
ラ・ボエームの時代から現代にかけて、社会のあり方や愛のあり方も変化しており、同じ愛を歌うにしても昔のまま愛を歌っては取りこぼしてしまう愛の形がある、ということが翻案のきっかけになっていたのではないかと私は考えています。
もう一つの、生む場所、生きる場所を選択する自由、というのは主に多文化社会で生きていくことに対する姿勢だと思います。移民や難民が増える中、マークのような第三者的な目線で見ていてはなんの解決にもならないが、現実を見ないことにはなにも始まらない、ということも込められているのではないでしょうか。
<RENTの現代性>
RENTの舞台である1989~1990年から20年以上が経過し、初演からも20年が経った現在、RENTの設定も少しずつ古いものになってきています。住む国が違えば当時のニューヨークの状況も完全にはわからないため、見ていてもわかっていない点が多数あります。(現に私も初めて見たときあまり実感がわかない部分がありました)
そのため、東宝版ではWhat You Ownで20世紀のアメリカの様々な場面を映像で流すという演出が採用されています。これは観客の記憶や知識を補完する意味があるだけではなく、RENT自体も少しずつ古典化し、過去の話になっていっていることを示しているといえるのではないでしょうか。
ただ、過去の話になっても自由な愛の形や、多文化社会で生きていく姿勢についてはRENTが作られた当時に抱えていた問題で解決していないこともたくさん残っています。この翻案は、20世紀末のアメリカの愛と社会の姿をありのままに記録したドキュメンタリーであり、ラ・ボエームを現代に変換した翻訳作品であり、人々が抱える問題に鋭く切り込む評論であるということができ、新しい古典になっていくであろう作品だといえます。
以上で私のRENTについての簡単な考察は終わりです。
Rentheadの方からすれば「なにをいまさら!」と思うような初歩的な部分も多いかと思いますが、ラ・ボエームと映画版と東宝版を見比べてみて思ったこと、本を読んで考えたことなど、まとめると結構な分量があったので、ここで出しておこうかな、と思いました。
ここまで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、ありがとうございます。