『タロウのバカ』はミライのはなし?
今日は最近観た映画のはなし。
大森立嗣監督の『タロウのバカ』
上映中、これは今観た方がいいぞ!と言い聞かせながら、目をつむらずにはいられない内容。
強く感じたのは、主人公タロウの持つ感覚。
昨日と今日のちがい
生きると死ぬのちがい
好きってなに?
生きているなに?
死ぬってどうなるの?
命の重さってなに?
わたしはだれ?
映画の中で、タロウは何度も聞いていた。
好きって感情、生きているという感覚、自分の命と相手の命、命の重み。それらはすべて目に見えないもの。形がないもの。だからきっとタロウはわからないんだと思う。
目に見えるものは裏切らない、形あるものはわかる。
でも、目に見えない、形のないものはわからない、信じられない。誰も教えてくれない。タロウはその中を生きている。
タロウに誰も教えてくれないそれらが、
本当は生きることに必要で。
「生きているのではなく、死んでいないだけ。」
ただのアウトサイダー映画じゃなく、これは未来の話だと感じたのは、目に見えないものがわからないタロウと「死んでないだけ。」と今を生きている子ども達の姿が重なったから。
この今の現状が未来に続いていくなら...
目に見えないものがわからない感覚で生きていくとはこういうことだとタロウに見せられた様な。
大人は生活のなかで子ども達へ、
数字で測れないものは無いのと同じ。
劣るお前はいないのと同じ。
目に見えないものは価値がない。
と伝えてはいないか、そう見せてはいないか。
子ども達を苦しめるのはそう伝え、そうやって生きる大人なのかも。
子どもと毎日向き合いながら、
そばにいる目の前子ども達が、大きくなっても、
生きるって幸せだなあと感じる一瞬があってほしいと思う。
そのために今できることは、自分自身が、目に見えないものが何より大切であることをわかっていることかもしれない。
目に見ないものは温かさとともに育まれ、大きくなって重くなって、形になっていく。
形だけでは、無いのと同じだ、きっと。