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日本語における「主語」の曖昧性と国文法教育への提案


問題提起

 みなさんは、小学校や中学校で「主語」をどう教わりましたか。概ね「~は」「~が」で記述されるもので述語と対になる(=主述の関係)と教わったと思いますしかしながら、「今日は本を書く日だ」の文において、「今日は」は述語「日だ」と対になっているでしょうか。また、この文における動作主体を鑑みたときに、「今日は」は主語として適切でしょうか。
 次に、埼玉県公立高校の入試問題を紹介します。

問2 次のー線部の述語に対する主語を、一文節で抜き出しなさい。                              夏休み期間中は大会こそ行われないものの、練習試合などは数多く予定されているため、電車に乗る機会も普段よりは多いだろう。

https://www.sankei.com/article/20230222-ND6CMRNPYFGXPJKYXR5CHRSHZU/?outputType=theme_nyushi
 2023/2/22 19:10投稿 「<速報>埼玉県公立高校入試、全教科の問題と解答」 2023/8/13閲覧
※noteの仕様上アンダーラインが引けないため太字で代替しました。

この問題を取り上げた意図は、学校文法における主語の定義では「普段よりは」と「機会も」の違いが精査できないのではないかという曖昧性の問題提起です。では、日本語文法でこの点を考察します。

日本語文法における主語

 そもそも、日本語文法において主語を認める立場をとっている学説ととっていない学説があります。橋本文法においては主語を認めていて、学校教育で採用されている国文法(学校文法)ではこれをベースにしています。対して、三上文法では「主語抹殺論」を唱えて主語を認めない立場を取っています。また、本投稿で主要な参考文献としている「基礎日本語文法ー改訂版ー」でも主語ではなく主題や補足語としています。ですので、ここでは主題と補足語について説明します。

主題

 主題とは、文のトピックを示したものを言います。例えば、「太郎は花子をラリアットした」では太郎について話しているという明示をした上で花子をラリアットしたという記述をしているわけです。国文法で「~は」と「~が」が同列に語られることが多いですが、ここで「太郎が花子をラリアットした」に置き換えてみましょう。なんとなく、「太郎が」に視点が移った気がしませんか。この現象について、次に説明します。

補足語

 補足語とは、述語の意味世界を広げる要素のことです。先程の「太郎が花子をラリアットした」の文において、述語は「ラリアットした」です。単なる「ラリアットした」だけでは、この記述が行われている世界で「誰が」「誰を」ラリアットしたのかわかりません。そのため、ここで「太郎」と「花子」を明示します。そして、「太郎」と「花子」がどういう関係なのか示すために格助詞をつけます。この過程で「太郎が花子をラリアットした」が完成しました。つまり「太郎は」と「太郎が」の違いは述語に直接結びついている必要があるかどうかなのです。

主題と述語の結びつきの弱さ

ここで、「今日は」を「太郎が花子をラリアットした」に付け加えます。「今日は太郎が花子をラリアットした」だと、「今日は」と「ラリアットした」に意味世界上の結びつきが弱いです。なぜなら、「今日は」は「誰が」でもないし「誰を」でもないからです。この「誰が」「誰を」を必須の格と言います。必須の格は述語との意味世界上での結びつきが強く、主題は結びつきが弱いことがわかりました。ここでひとつ疑問が生まれました。主題の存在意義とは何なのでしょうか。

主題の意味

主題の存在意義、それはずばり文全体に意味上の干渉ができることです。例えば先程の「今日は太郎が花子をラリアットした」を読んで、「この前は花子がラリアットしたんだな」と思った読者の方もいると思います。そうです、これが主題の役割です。文脈上のなんらかの意図を示すことができます。「今日も雨だった」の「今日も」は文に明示されていない昨日のことも表すことができます。更に細かく主題の持つ役割を見ていきましょう

提題助詞と取り立て助詞

 ここまで、主題としてくくってきたものは、さらに細かくわけることができます。それが、取り立て助詞が接続されたものと提題助詞が接続されたものです。取り立て助詞というのは、前述の「今日は太郎が花子をラリアットした」における「今日は」のような文脈上の何らかの意図を示すものです。提題助詞は、主題を構成する最も基本的な助詞です。では、問題提起で取り上げた文における主題にあたる「機会も」と「普段よりは」の違いはなんのでしょうか。

提題助詞の基本事項

 提題助詞が名詞と接続して主題になるためには条件が存在します。それが、「話の流れ、発話状況、常識」からどの対象を指し示しているかが明らかであることです。主題として認められる例としては「日本はアジアにある」(常識)や「あの人は寒そうな格好をしている」(発話状況)「後ろから知らないおじさんが話しかけてきた。その人は私が落とした財布を拾って追っかけてくれた」(話の流れ)などです。対して認められない例として「(文脈がない状況で)その人は財布を拾って追っかけてくれた」や「どの女の子はベンチに座っていましたか」などです。
 加えて、提題助詞は格助詞と接続されることもあります。例えば「東京では雪が降っている」などです。これは、提題助詞のみでは意味の陳述ができないため起こります。ただし、ヲ格とガ格は提題助詞と接続されることがありません。

まとめ:曖昧性の正体とは

 ここまで、問題提起で取り上げた「機会も」と「普段よりは」の違いを考えていきます。「機会も」は「機会+も」(=名詞+取り立て助詞「も」)で構成されています。対して、「普段よりは」は「普段+より+は」(名詞+格助詞+提題助詞)で構成されています。このことから、文全体の主題は「普段よりは」であるのですが、県公立高校の入試問題における正答は「機会も」です。なぜ取り立て助詞を含む「機会も」が正答となったのでしょうか。
 これは、取り立て助詞のほうが述語の意味世界に、より強く介入できるためだと考えられます。「普段よりは」が介入できる範囲は、普段と夏休みを比較するくらいでしかないですが、「機会も」は夏休み中に与えられる機会が他にもあることを文脈として言及しています。この点から、この文における主題は「普段と夏休みの比較」ではなく「夏休みに与えられる特別な機会」であるので答えが「機会も」だと考察しました。
 この文の曖昧性の正体は、国文法における副助詞の曖昧さだと考えます。国文法で副助詞は「いろいろな語に付いて、さまざまな意味をそえる。」です。とても抽象的です。もちろん、「も」が文脈上の意味を示すことには言及していますが、「は」に定義「いろいろな語に付いて、さまざまな意味をそえる。」に当てはまらない用法があることを考慮していません。つまり、語の定義と語の実際の用法に乖離が認められるため、それが曖昧さを生み出していると考えられます。

国文法教育への提案

 本投稿のタイトルとして主語の曖昧性と国文法教育への提案を挙げましたが、いよいよ国文法教育への提案をまとめます。
 問題提起として取り上げた「機会も」と「普段よりは」の違いが精査できない理由を、投稿者は前回の記事でも言及しましたが、文法教育が暗記に終止しているからだと考えます。「機会も」と「普段よりは」の違いはただの暗記では気づくことはないですし、既習の文法項目を使って日本語を観察する経験が必須です。その文法項目を知ることで何が分析できるのか、どう生かされるのか全く説明のないまま文法項目をただ教えられた生徒は、文法に興味をもってくれません。
 母語である日本語の文法を知ることは、「無意識に使っている日本語」を意識化することであり、その結果普段何気なく使っている日本語のとても小さな違いに気づいて問題解決することに繋がります。そしてそれは、教えられたことが絶対でないことに気づく一つのピースにもなりえます。その例が「主語」であるのは言うまでもありません。主語について考察を重ねれば、「主語」の曖昧性に気づくときが来ますし、また有名な「象は鼻が長い」にぶち当たれば自ずと主語が何なのか見つめ直すきっかけになるでしょう。
 つまり、国文法教育で大事なことは既習の文法事項でなんらかの問題解決を図る取り組み国文法は絶対的なものでなく、学者が文法について研究した結果としての一つの立場でしかないことへの言及なのです。

補足

 本投稿は、文法項目などの説明の正確性を担保するものではなく、あくまで一個人の記述であることをご容赦ください。

参考文献

益岡隆志、田窪行則(1992)「基礎日本語文法ー改訂版ー」くろしお出版
産経新聞(2023年3月22日投稿)「<速報>埼玉県公立高校入試、全教科の   問題と解答」(2023年8月13日閲覧)
https://www.sankei.com/article/20230222-ND6CMRNPYFGXPJKYXR5CHRSHZU/?outputType=theme_nyushi
KUSUHARA(2015‐2023)「国語の文法 文節の働き(1)主語・述語」(2023年8月13日閲覧)
https://www.kokugobunpou.com/%E6%96%87%E6%B3%95%E3%81%AE%E5%9F%BA%E7%A4%8E/%E6%96%87%E7%AF%80%E3%81%AE%E5%83%8D%E3%81%8D-1-%E4%B8%BB%E8%AA%9E-%E8%BF%B0%E8%AA%9E/#gsc.tab=0
KUSUHARA(2015‐2023)「国語の文法 副助詞の働き」(2023年8月13日閲覧)https://www.kokugobunpou.com/%E5%8A%A9%E8%A9%9E/%E5%89%AF%E5%8A%A9%E8%A9%9E%E3%81%AE%E5%83%8D%E3%81%8D/#gsc.tab=0
亀井孝(1988)「言語学大辞典」三省堂


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