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東京の山奥で小正月飾り作ってみた

 かつて日本各地にはその地域ごとに特色を持った祭礼や通過儀礼、年中行事が存在していた。しかし、住環境・ライフスタイルが劇的に変化した現代においてその存在はひとつまたひとつと忘れ去られている。とりわけ日本の中でも東京といえばその最たる例と思われるだろう。
しかし、今なお昔ながらの文化を色濃く残す場所がある。

そう、檜原村だ。

僕(小川)は地域おこし協力隊として移住してからというもの、その文化を体感する貴重な機会に多く恵まれた。
そして年明けさっそくこのツギハギの活動としてイベントを実施したので、紹介していきたいと思う。

小正月とは

一般的な小正月

さて、日本には「小正月(こしょうがつ)」という行事があるのをご存知だろうか?
一般的に、元旦から7日ごろまでを「大正月(おおしょうがつ)」、1月15日前後を「小正月」と呼んでいた。

現代人がお正月と聞いて想像するのがいわゆる大正月で、初詣に出かけたり親戚中へ新年の挨拶回りをすることなどが多いだろう。

一方で小正月は、新年の賑わいが落ち着いたあとに家庭内で行われる穏やかな祝いの日だ。農家の家ではさまざまな方法でその年の五穀豊穣や家内安全を願うのである。

檜原村の小正月

その祝う方法に地域性が表れてくるわけだが、檜原村の範囲は広大で、明治から昭和にかけては村内に30もの集落が存在していたので、一口に檜原村の文化と言っても集落によって微妙にその方法や形式に違いがあるのが難しいところでもあり、また面白いところでもある。

さて、檜原村においてそのほとんどは多聞に漏れず百姓であったが、それらの家では「木」を用いてミニチュアの農具や縁起物をこしらえたりして、新年のお祝いとともに五穀豊穣や商売繁盛、家内安全を祈願した。この縁起物を総称して「小正月飾り」と呼ぶ。
ちなみに、この小正月のお祝いを節分と同時に行う家も多々あったという。

小正月飾り作ってみた

今回は「藤倉」地区出身の方々に教わった。
材料となる木は事前に近くの山から切り出しておいた。


米俵

ヌルデ(フシノキとも呼ばれる)を長さ15cmくらいにカットし、その断面に線を書いて米俵を模したもの。とてもシンプルで誰が見ても分かりやすい。

ヌルデの皮をむく
供えられた米俵

鬼たたき棒

切って皮を剥いたヌルデに鬼の絵を描いて玄関先に置くことで魔除けとした。鬼の絵を描くのは、目には目を歯には歯を、鬼には鬼をということだろうか?

鬼たたき棒

アーボヘーボ

山間である檜原村には平地がほとんどないので田んぼによる米の収穫ができず、その代わりに粟(あわ)や稗(ひえ)などの雑穀や小麦などの穀物が栽培されていた。
その粟の穂や稗の穂を模した飾りのことを粟穂稗穂(あわぼひえぼ)と呼んでいたが、段々となまっていっていつしかアーボヘーボと呼ぶようになった。
作り方としてはまず火で竹を炙り柔らかくし、折り曲げた先をナイフで尖らせ、その先っぽをヌルデの芯に突き刺す。
ヌルデは不思議な木で芯が柔らかい構造になっていて、ここに竹が気持ちいいほどに突き刺さるのである。

竹をヌルデに突き刺す
地面に差したアーボヘーボ

まゆ玉飾り

かつては村中で養蚕をしていたので、今年もたくさんまゆが取れますようにとの願いを込めた。
柘植(つげ)などの枝先にまゆ玉を模した白玉や赤玉、それからミカンもしくはキンカンを突き刺し飾りつける。これがあると家の中が一気に華やかになる。
数日経つと白玉が固くなってきて下に落ち始めるのだが、それを子どもたちは焼いてもらったりして食べるのが楽しみだったと云う。

柘植にまゆ玉を飾りつける


お昼ご飯

お昼は村のおばあちゃんたちに手料理を振る舞っていただいた。
どれもこれもこの村で昔から食べられてきたもので、どれもおいしい。
なんだかホッと感じるのはやっぱり日本人のDNAに深く刻み込まれた味だからなのだろうか。

「すいとん」と似ているが
檜原村では「団子汁」とか、
小麦粉を練った生地を取っては鍋に投げることから「とっちゃなげ」とも呼ぶ。
おばあちゃんたち手作りの「白菜のおしんこ」や「こんにゃく」「焼き餅」が並ぶ
温かいお日様の下、みんなで食べるご飯はおいしい

最後に

実際に作ってみると分かることだが、こうして小正月飾りを大人数で作るとわいわいがやがやとして案外楽しいものである。
飾り作りは大事な家族団らんのひとときでもあったのだろう。
それに地元の方と同じ食卓を囲むのは、その地域の人と文化を理解するうえでとても大事なこと。
今後も地元の方々とともに毎年恒例の行事として続けていきたい村の古き良き文化体験だった。(小川)

完成した小正月飾り

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