「蒐める」について考えたくなる@コレクター福富太郎の眼
『コレクター福富太郎の眼 昭和のキャバレー王が愛した絵画』展
福富太郎(ふくとみ たろう/1931-2018)は、1964年の東京オリンピック景気を背景に、全国に44店舗にものぼるキャバレーを展開して、キャバレー王の異名をとった実業家です。その一方で、父親の影響で少年期に興味をもった美術品蒐集に熱中し、コレクター人生も鮮やかに展開させました。(公式サイトより一部抜粋)
今回この展覧会に赴いた理由は、「あやしい絵展」で見ることができなかった鏑木清方の《妖魚》をどうしても見たかったからです。
この妖魚と目を合わすのはとんでもなく怖いのではないか...、と実は物凄くドキドキしていたのですが、まったくもって大丈夫でした。少し残念。会場が明るかったせいもあるかもしれません。
お目当の一点をじっくり鑑賞し、かなり序盤で大満足してしまったのですが、このあと福富太郎のコレクションにまつわる話を楽しんでいくことになりました。
通常、作品についての解説が載っているキャプション。この展覧会では、その作品を福富太郎が手に入れたいと思った理由、入手に至る経緯、福富の作品への思い入れなどが書いてあり、それらの逸話が大変興味深かったのです。
今回は、福富太郎の人柄が分かる作品をいくつか選んでご紹介したいと思います。
コレクションの原点 鏑木清方の作品
福富太郎は、空襲で自宅を失っています。その際、父親が大事にしていた鏑木清方の掛け軸を焼失してしまいます。この出来事をきっかけに、福富の蒐集は清方作品から始まったそうです。
私が驚いたのは、福富と清方に交流があったことです。
手に入れた作品を清方のもとに持参し、真贋を判断してもらったそう...!
一方で清方も、自身の若い頃の作品との出会いを楽しんでおり、気にいると福富から借りて手元に置いていたとか。
清方は作品にまつわる絵詞を書いてから、福富に返すこともあったそうです。
洋画蒐集の第一歩 《朝霧》不詳 吉田博
洋画蒐集の第一歩となったのが、吉田博の水彩画《朝霧》なのだそう。
福富は、吉田の油彩を見ていると気分が爽快になる、と評していました。
「没後70年 吉田博展」にて、吉田博の様々な作品を見たのですが、その際に気分が爽快になる...という感想は抱かなかったので、福富の評価はとても新鮮でした。
土の色が好き 《南禅寺疎水附近》1925 岸田劉生
岸田は、山の所々に見える赤い土に惹かれていました。
福富も、
岸田の風景画が好きだというのは、まずその土の色なのだ(キャプションより)
と語っていたそう。
おそらく直感的に好きになった作品もあったと思うのですが、こんな風に作品の好きなポイントを明確に表明できるところがすてきだと思いました。
前の持ち主と偶然出会う 《婦人像》1916 村山槐多
ある結婚式にて、福富が隣り合わせた紳士と絵について話をしていると、村山槐多作《婦人像》1916を数年前まで所有していた人であることが分かりました。
その人は涙ぐみながら話をしており、
覚悟を決めて手放したものの、思い断ちがたく、絵の行方を気にかけておられたに違いない(キャプションより)
と、福富は語っています。
本作はとても小さく(19×14.5cm)、この紳士が大事に持っていた様子が目に浮かび、また、福富の、作品や前の所有者に対する敬意を感じました。
天草行きを止めて銀座へ走った 《婦人像》1967年頃 小磯良平
福富は本作を銀座の画廊で見つけ、店頭からすぐに消えることはないだろうと思ったそうです。
その4ヶ月後。
福岡の講演先でこの絵が使われたカレンダーが(その月ではないのに関わらず)掛けっぱなしになっているのを見かけ、天草行きを中止し、東京に戻って画廊に駆けつけたといいます。
直感に従う行動力が流石です。
私は婦人よりも、婦人から漏れ出しているような燻んだピンク色に惹かれ、しばらく見入ってしまいました。
毎日見つめた 《軍人の妻》1904 満谷国四郎
福富は満谷国四郎の初期の作品をどうしても欲しいと思っていました。そしてアメリカの大学に旧蔵されていたものを手に入れ、
晴れて故郷に帰ることができた(キャプションより)
と言っています。
毎日絵を見つめているうちに、彼女の涙に気づいた。右目にだけ一雫、白い涙が描かれている。夫を亡くした明治の女性が、わずかに外にあらわれた悲しみのしるしだが、ようやく帰国できた、うれし涙のようにも私には思えた(キャプションより)
本作を修復に出すのも手放してしまうようで嫌だったといいます。
この右目から零れる白い涙は、本当に目を凝らさないと見えません。福富がいかに毎日じっくりと、愛情を持って見つめていたかが伝わってきました。
銃後の人々の暮らしを伝える 《千人針》1937 藤田嗣治
戦時の1コマを描いたルポタージュアートです。
福富は、銃後(戦争の状況下で、直接の戦場ではない後方)の人々の暮らしぶりを伝えるべきだと考え、ルポタージュアートを集めようと決めたそうです。
額縁の銀色がとてもきれいでした。
裏付けになる資料を探した 《少年航空兵》1942頃 宮本三郎
この作品をみて、両サイドに標語が入りそうだと思った福富は、飛行兵募集のポスターではないかと推察し、その裏付けとなる資料を探していたそうです。
実際それは航空日(空の日)のポスターでした。
福富は、これぞと思った作品や、作者に関して徹底的に調べる人だったそうです。
まとめ
福富太郎は、知名度、市場価値、美術史の権威などに関係なく、自分の目を信じ、自らの問題意識で作品を蒐めていました。
普段は作品自体の解説を読んで鑑賞することが多いですが、今回はじめて、
・作品を蒐めた理由
・作品を手に入れるまでの経緯
・作品に関わる人のエピソード
などを読んで作品を鑑賞してみると、不思議とその作品に愛着が湧いてくる感覚を味わいました。
今後、また新しい視点を持った美術鑑賞ができそうです。
以上です。