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【ぼっち・ざ・ろっく!】『Re:結束バンド』アルバムレビュー

総評

もしも筆者が「ぼっち・ざ・ろっく!」というコンテンツを何も知らない状態でミニアルバム『Re:結束バンド』を聴いたと仮定すると、おそらく「何かいい感じじゃん」という感想を抱いたでしょう。しかし結束バンドは過去のリリース『結束バンド』『光の中へ』を経由しており、過去の楽曲群と比較的・相対的に評価することを完全に免れることはできません。──あたかも実在するリアルなバンドかのように。

悪くはないアルバムです。曲もサウンドもロックしていて、過去作から受け継がれた制作側の思想もなんとなく感じ取れます。ただ、アルバム『結束バンド』のようにヘビーローテーションし何かを語らざるを得ない作品であるかと言われると、筆者にとってはノーです。私にとって何かが欠けてしまっている。

本稿では歌詞の解釈はなるべく避けたいと思います。というのも、ポップソングの歌詞はある程度意図主義をもって捉える必要があると思いますが、結束バンドの歌詞は非常に複雑な意図が絡んでいます。実際の作詞者の意図、それから設定としての作詞担当である後藤ひとりの意図──それも劇中の時系列内の楽曲と仮定した場合と仮定しない場合とで解釈は分かれます。それら全てを考慮する、つまりはアニメ/劇場総集編の解釈や批評に踏み込む必要があり、それは今回のアルバムレビューの目指すスコープから外れますし、そもそもの筆者のアニメ批評能力の不足から、歌詞解釈は取り扱いません。
ただし、詩的表現としての巧拙を測ることは可能でしょうから、後述の各曲レビューでは表現そのものについては触れるかもしれません。

サウンドについては過去作と同様に実在のロックバンドシーンの文脈から批評することができます。(アニメ描写と絡めたサウンド批評も価値あるものですが、今回は割愛します。)
そして、先述の違和感は個人的にはサウンド面に依るものと考えています。「何かが欠けてしまっている」という感覚を、いくつかの要因に分解して解析していきます。
第一に、ギターリフと曲のフックの求心力が損なわれています。「青春コンプレックス」「ギターと孤独と蒼い惑星」「あのバンド」など、『結束バンド』には歯切れのいい単音を特徴としたリードギターのリフが多用されています。これらのリフは過度にテクニカルではなく、ロックのバイブスとキャッチーさを両立した秀逸なものでした。しかし本作は印象的なリフが激減しています。厳しい評価を下すと、個人的には耳に残るリフがひとつもありませんでした。(「ドッペルゲンガー」はAメロ前にリフがありますが、正直あまりカッコよくないんですよね。)ギターは確かにドライブしていますし、リズム隊のアンサンブルもハイレベルだと思います。しかし楽曲のフックとしてのギターリフは不在で、それを埋める曲展開も存在せず、「なんとなくロックしている」という印象に留まってしまっている……というのが筆者の感想です。
第二に、特定のジャンルにフォーカスした楽曲が存在しません。「あのバンド」(初期残響レコード系)、「カラカラ」(tricot直系の邦マスロック)、「フラッシュバッカー」(ポストハードコア・シューゲイザー)など、過去作では楽曲単位でジャンルを絞って再現するような試みが見られ、アニメ発のバンドらしからぬ"実在のシーンからの文脈"を随所に感じました。本作では特定のジャンルに漸近するようなアプローチは見られず、代わりに「ザ・結束バンド」というべきオリジナリティのあるサウンドを引っ提げた5曲(「Re:Re:」を除く)を展開しています。(これは『光の中へ』の2曲から見られた傾向かもしれません。)その方針転換は歓迎すべきものですし、本作が賛否両論の評価を受けたとて次作以降で引き継いでほしいとも思っています。しかし、邦ロックという漠然とした大海で燦然とした輝きを放つことは容易ではありません。リスペクト・オマージュ・模倣・パクリを繰り返してロックは長い歴史を繰り返してきました。ジャンル・シーンというマクロな視点とバンドというミクロな視点の両方で言えることです。つまりはジャンルに憧れた愚かなワナビーである権利がロックバンドには、つまりは結束バンドには( 劇中設定を尊重すれば作曲担当である山田リョウには)あるということです。

過渡期という言葉があります。バンドの活動中期以降のアルバムのレビューで頻繁に見られる言葉です。二作目である本作『Re:結束バンド』はまさに過渡期という表現を当てはめてしまいたくなる作風です。キャッチーなリフとジャンルへの依拠を捨て、サウンドはマッシブに、そしてリッチになり、苦悩と希望がないまぜになった歌詞が歌い上げられています。これは根拠のない妄想かもしれませんが、結束バンドはまさに移り変わっている最中であり、きっとある次作ではまた異なるサウンドが展開されると筆者は予感しています。

各楽曲短評

1. 月並みに輝け

本作で一番好きな楽曲です。イントロのコードストロークと喜多郁代の歌声(長谷川育美歌唱)は突き抜けていてハッとするものがあります。サビでの転調は必要かな?と思いつつも、これは筆者が転調があまり得意でないからかもしれません。
五拍子の間奏もいいですね。ファズベースがグイグイリードしていく感じ。
そしてイントロとほとんど同じ一節で締めくくるアウトロもカッコいいです。
先述したとおり、象徴的なリフは不在なのですが、個人的にはこの曲はちゃんとまとまっているので気になってはいません。

2. 今、僕、アンダーグラウンドから

あまりピンときていない曲です。さわやかだな〜といううっすらとした印象くらいで、あとはサビのピロピロやトレモロピッキングがあまり合っていないような気がしています。
ラスサビの冒頭の生音エレキギターは、歌詞内容とのリンクが面白いです。サウンドそれ自体は何故か目新しさはあまり感じ取れませんでした。

3. ドッペルゲンガー

全体的にマッシブなサウンドで、総集編後編で初聴したときは素直にいいなと思いました。しかしよく聴き返すとちょっとギターや歌のフックが足りないかなと個人的には感じます。
後藤ひとり作詞と考えるとだいぶ含みのある歌詞ですが、自分を鼓舞してくれるポジティブな存在としてドッペルゲンガーを用いているのはユニークです。"もう一人の僕"に対して"君"と語りかけるのはBUMP OF CHICKEN「ダイヤモンド」を筆頭に邦ロックの常套手段で伝統的ですね。まだ読み込めていませんが、歌詞を評価している一曲です。

4. 僕と三原色

スルメ曲だと思います。リード曲ではないけど、ちょっと気の抜けた、メンバーがやりたいことをアルバムの真ん中あたりで自由にやっているような朗らかさを感じます。「太陽のレッド〜」あたりの本気かふざけているのか分からない感じもアルバム曲っぽく、でもこの曲はいろはすのタイアップ曲なんですよね。
1:49~のドラムの休符が面白いですね。間奏のハモリもいいアプローチだと思います。前3曲は詰め込み気味のサウンドだったのに対してここでいい意味で爽やかで透明感のある曲が配置されているのが嬉しいです。
ただメロディは耳には残らない。それなのになんとなくいいなーと感じさせてくる不思議な楽曲です。

5. 秒針少女

結束バンド初のアコギをフィーチャーした楽曲です。かといってジャカジャカではなくアルペジオやリードギターとの絡みが計算されていたのが聴きどころでしょうか。Bメロの早口の歌い節が好きです。フックのないバラードといった感じのサビはあまり好みじゃないかも。空間系を深くかけたギターソロはいい感じでした。
クロノスタシスはここ数年で色んな曲や表現で引っ張られているのでちょっと食傷気味でした。

6. Re:Re:

アジカンのカバー。原曲はミニマルなギターとゴッチ氏の激情の歌唱が特徴的ですね。(あまりアジカンは詳しくないので浅いレビューになってしまいます……)
対して後藤ひとり(青山吉能歌唱)の訥々としたボーカルも案外曲に合っていていいカバーだと思いました。コーラスの低い成分も素敵です。これも青山吉能歌唱なのか、それとも他のメンバーの声なのでしょうか?個人的には『転がる岩、君に朝が降る』を超えてはいないのですが、劇場版総集編のタイトル通りの納得の選曲でした。聴けて良かったです。

あとがき

過去作『結束バンド』『光の中へ』と比べるとあまり高評価はできなかった本作ですが、かといって「ぼっち・ざ・ろっく!」というコンテンツ自体に失望したわけではまったくありません。
バンドは生物です。細胞の分裂と破壊を繰り返して生存し成長していく生物と同じで、バンドも自己複製と自己破壊を繰り返してディスコグラフィーを並べていきます。結束バンドはアニメコンテンツの一側面ではありつつも、制作陣は実在するバンドのように結束バンドを扱い、彼らなりに真摯に楽曲を展開しています。その結果が過去作との相違点だったのでしょう。
リスナーにできることは、与えられた楽曲を自分なりに咀嚼し、反芻し、語り、批評し、自分なりの価値づけや意味づけをしていくことに尽きると思います。

このミニアルバムを2024年8月に聴けて良かったです。それは紛れもない現在の私の感性です。これからの「ぼっち・ざ・ろっく!」も楽しみにしています。

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