いのちのすべての瞬間に、出会うために生まれてきた。
自分の願望に素直であってはいけない。それはいつも受け入れられないから。
願いや怒りやこうしたいって憧れを表明したら
拒絶されたり、怒られたり、否定された。それが本当に痛かった。つらかった。もうああいう思いをしたくない。
存在そのままで受け入れられることはない。
分かち合いたいという願いも叶わないから、言わない方が良い。また傷つくよ。
どうにか安心したいから、美しく正しいわたしに早くなりたくてたまらない。
そんなふうに思っているわたしが、いたんだ。
それが正しいか間違ってるかではなく、たしかにいた。その自分を見た時、いるんだとみとめた時、
やっと自分に出会えた気がした。はじめましてなような、やっと再会できたような。
ああそうか、そうだったんだって抱きしめながら歩いてたら、聴こえた声。
分かち合いたいって願ってもいいんだよ。
いのちに湧いた願いを表現していい。
感情があっていい。
リクエストしてもいいんだよ。
だって今は、あの頃とは違うから。スキルがあるから。
受け入れられるように慎重に自分を制御して取り繕うスキルじゃないよ。
もし願いが叶わなくても
どんなに傷ついても、痛くても、
絶対、「また間違えたね」「間違えたから、愛されなかったんだよ」って見放したりしないという信念が、やっと準備できたよということ。おまたせ。
その時のわたし、その時いのちにあるすべての願いと衝動、そこにいたるプロセスのすべて、あるものすべてを受け入れる。
悲しまない、傷つかない、怒らない望まないではなく
悲しんでも、傷ついても、怒っても、望んでも、何かを否定したくなっても、逃げても抵抗しても
それがいのちにあるということを、ただ、あるんだねと耳を澄ませて聴きます。
良いか悪いかではなく、正しいか間違っているかではなく、
あるものを、あるねって見るから。
そんな自分もいるなって見る。
願いを叶えることも、一度叶わなくてもだからって
「やっぱり不可能だ」「やっぱりわたしはありのままではだめなんだ」
そんなふうに判決しない。
あきらめなきゃいけない理由はないよ。
願いがいのちにあるかぎり、
願っていい。叶っていい。
大丈夫。
あなたはいつだってそこにいる。
いつでも、どこでも、どんな時でも、そのまま、生きていていい。
誰になにを認められる必要もなく、許される必要もなく
とにかく、もうすでに、生きている。存在は受け入れられている。
正しさとは関係ないいのちの世界で、
この世に酸素があるとか太陽があるというのとおなじ次元で、
どんな自分だろうが、そこにある。ただ、ある。ということ。
いのちのすべての瞬間に
すべての瞬間のいのちに
出会うために生まれてきた。
いのちに起こるあらゆるものを、毎秒シャッターを切るように見る。
これは悪い、直すべき、そんなふうに思ってきたあらゆる瞬間も含めて。
それも全部良いのだ・正しいのだと承認するのではなくて、
正しさというものさしを介在させずに、
いのちに起こるすべてのいのちの瞬間に出会うことが、生きることなんだ。
わたしはそう生きたい。それが楽しそうだから。喜びの匂いがしたから。
あることがただある世界で
大嫌いだと叫びたいこと、
もう生きられないと思うくらい傷つくこともあるけど
あなたのいのちに起こったすべてのことが、絶対にある。
なかったことにしなくていいし、なかったことには絶対にできない。
正しいからあっていい、間違ってるからなかったことにしなきゃ。どんなにそうしたくても、どうしても無理で、あるものはある。それが真実。
あるものがある。いのちってそういうもの。
それ以上の真実をわたしは今のところ知らない。
世界の真理、原理のすべてはいのちに逆らえない。
そんな混沌の、だけど世界で一番シンプルな気もするようないのちの世界を生きたい。
ただ、生きる。
生きる、ただ。
🌿今手の中にあった、ありったけのいのちを。
このいのちの流れに出会うまでに、出会ったものたち。この文章はわたしの心の声から書いたものですが、これらの叡智をたっぷりいただいたことで聴こえた声です。ピンと来る方がいたらぜひ。
↑直近読んだ、最大の一撃でした。
↑最初にいのちと出会わせてくれた本
↑じぶんの願いを聴くためによく使う、いつもありがとうなツール
読んでくださり、本当にありがとうございます🌷 スキやコメントでつながってくださったら、さらにとっても嬉しいです! サポートをいただいた場合は、心を動かす体験に代えて、文章を書きます。