忘却とその先
「忘れないでほしい」
この言葉に込められている想いっていうのはたくさんあると思う。自分が安易に想像できないほどに、本当に沢山。
さらに発している立場によっても意味合いや受け取り方も変わってくるものだと思うから言葉の想いを正しく理解することは難しいけど、どれも善意で使われている言葉であることは間違いない。
だが自分の中でどこか違和感を感じるところもある。
どういう時かというと、「忘れないでほしい」をフレーズとして用いている場合だ。
某TV番組でこのフレーズを唄い、ただただ感情に訴えて終わるといった内容のものがあった。別に感情に訴えかけることが悪いと言っているわけではない。事実や背景理解、生の声を聞くことができるし、何よりテレビという影響力が大きい媒体で発信することにより多くの範囲に想いが届くから、とても大切なことの一つであると思う。でもそれだけでいいのだろうかと少し考えるところがある。
ただ忘れなければ震災はこない、被害を受けないなんてことはない。自然災害は信仰でどうにかなるものではない。
忘れないということだけではなく、その先どうすればいいのかってことや実際問題どうすべきなのかっていうところまで考えられてこそ意味のあるものになるのではないかと思う。まあそもそもこういったものに意味を求めてはいけないのかもしれないが。
繰り返しになるが、忘れないでほしいと感情に訴えることが悪いと言っているのではない。だけどそれだけじゃ足りない。現実的にどうするのかどう対応するべきなのかっていうところまで伝えることが大事なのではないのかなと思う。
それらを踏まえて自分としてもこの組織としても「忘れないでほしい」という想いの他にその先のことも伝えていきたい。同じ悲しみを繰り返さないためにも。