机上の空き缶

ふと考える。

もし津波が来た時に自分が津波に背を向けて逃げなければならない立場であったら、冷静に対応できるのだろうか、と。

いや冷静に対応なんてできるはずはない。

そして考えるのは津波の時だけではない。

ビル高層部にいる時に震度7の地震に見舞われた時

地震や津波によって発生した火災で自分の街が炎に包まれている時

山間部付近にいる時に土砂災害に襲われそうになっている時


生命を脅かす大きな災害が自分の身に襲い掛かかることによってうまれる強烈な生存本能に刺激される中、パニックに陥ることなく冷静に行動をすることはかなり難しいことなのではないかと思う。

さらに考えると、現実の事象構造はそれだけでは留まらない。

例えば避難警報が発せられるくらいの大津波が襲ってきた場合、まず取るべき行動は避難、出来るだけ高いところに避難することが挙げられるだろう。

しかしその行動は100%正解と断言できるだろうか?

避難するが正解であると断言できる場合っていうのは選択肢として避難すること一つしかない場合だけであって、その経緯で現実で起こりうるものへの回答を想定されていない。

手を差し伸べれば救えるかもしれない命が落ちている時

終わりを悟った命がただその時を待っている姿を見た時

現実は無慈悲だ。
いつどんな時に試練が課されるかわからない。


ただ生き延びるが正解なのか、そんな哲学的な問いに答えを見出せていない。


正直、過去の教訓が活かされていない、過ちを繰り返さないなんて言葉で被害を捉えてしまうのはどうなのかなって思ってしまう。その時に取った選択が正解であるか過ちであるかなんて、自分たちには判別つけることなんでできないのに。

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