3/15 深夜のぼやき アピール
う〜ん!
adhdの話をnoteに書くか、すごく迷った。
でも書いた方が後々楽そうだなーと思ったので書いた。
何が楽かと言うと、自分の日常において己の特性を無視しなくて良いというところだ。
いつからこうだったかは分からないけど、自分には上手くできないことがみんなの当たり前なのだと気付いたのは割と最近のことだ。
……という書き方をしたら、なんか「生きづらいですアピール」をしている感じがしてイヤなんだよな。
アピール。
adhdの話題が上がると、「社不アピ」「構ってアピ」「配慮してアピ」みたいな言葉も一緒に言及されることが多い。仕方ないよなぁと思いつつも、悲しくなりつつ、けどやっぱりそう思われるよなぁとなる。
大切なものを失くすのも、マルチタスクができないことも、約束の3時間前に起きたのに遅刻することも、優先順位が分からないことも、すぐにパニックになることも、忘れ物が激しいことも、全部良くないことだと分かっている。「adhdだからできなくて仕方ない!」なんて言うつもりはない。配慮して! と言うわけでもない。
ただ、マジでできないのは事実なのだ。気持ちの持ちようとか「気をつける!」とかでどうにかなるものじゃない。持ち物リストはリストを捨ててしまうし、約束に対してどんなに早く準備を済ませてもなぜか家を出れないし、優先順位を考えようとするとパニックに陥る。もうそれは私の日常だし、仕方がない。
このありのままを認めてほしいなんてことは言わない。自分で考えても、こんな人間に社会人が務まるわけないのだ。
だから対策として薬を飲むし、病院に行くし、たまにカウンセリングも受ける。薬と言うと驚く人もいるし「精神安定剤ってやつ?」と引いて見てしまう人もいるだろうな、と思う。
でもほんと、私にとって服薬は足の悪い人が杖をつくことや耳の悪い人が補聴器を着けるのと同じなのだ。
副作用があるのはイヤだけどね。
adhdは私にとって一つのステータスだ。もちろんポジティブなものではない。無い方がいい。でも無視なんてできないし、無視したらもっと良くない方向に進んでいく。
自分の日常を顧みて、その日考えたこと、思ったこと、感じたことを綴る上でadhdのステータスを無視するのは、ちょっと難しい。
だから一旦言及した、のだけど。
上手く伝わっているかな。
私に配慮なんてしなくていい。こっちで上手いことやるし、それは努力の範疇だ。(ここは人によって考え方が違うと思うけど)
だからタブー視するのは、「アピール」と決めつけるのはちょっと悲しくなる。私にとっては生活の一部なのだ。
けどこれが生活の一部なのはちょっとディスアドバンテージすぎるからどうにかしたい。
どうにかなってくれ、という気持ちを込めてちゃんと服薬を続けます。立派な社会人になるぞ。