2023/10/22 黒歴史を正当化するためのカスロジック
自転車を漕いでいる時は筆が進む。
と言っても、当然自転車に乗っている時はタイピングなぞ出来ないので脳内にずらーっと文章が自動生成されるだけである。実際に筆が乗っているわけではない。
頭の中で、「あ〜これ文章にしたいな」と思うことがひとつ浮かぶと、芋蔓式にそれにまつわる事柄が文章となって脳内に浮かび上がる。
当然、早く帰って形にしなきゃ! と思い自転車を漕ぐスピードを上げるのだが、どうしても家に帰るとぼーっとTwitterを見て文章化するのを忘れてしまったり、「あれ、そんなに面白かったっけこれ」と書くことが億劫になったりする。それで没になったエピソードが山のようにある。
今日もバイトからの帰り、自転車を爆漕ぎしている間にある一つの事柄が頭から離れなくなった。帰宅してからしばらく時間が経ってしまったが、書いておくことにする。
チャリを全力で漕いでハイになった頭が考えることなんて大概ロクでもないだろうから、あまり期待はしないでほしい。
このnoteを読んでいる人の中で、ひとしずく×やま△の「Vampire’s ∞ pathoS」という曲を知っている人はどれくらいいるだろうか。
ボカロが好きな人や、ボカロ曲のリズムゲーム「プロセカ」をプレイしている人は知っているかもしれないので、全くの0人ということはない、と信じたい。
もし聞いたことがなかったとしても読むのをやめないでくださいね。
これです。サムネの鏡音レン、とてもじゃないが14歳には見えなくて良い。実際MVに登場するレンは絶対20歳を越えてるだろうし。
今年の3/31、この曲がプロセカに実装されたのだが、恥ずかしながら私はプロセカ実装がきっかけでこの曲を初めて聞いた。
曲がかっこよくて良いなと思い、作曲者を見た瞬間「あ〜あ」と思った。
ひとしずく×やま△、ひとしずく×やま△かぁ、私ってまだひとしずく×やま△の曲好きなんだ……!!!!
ひとしずく×やま△との出会いは中学生の頃、3DSのうごくメモ帳で「Crazy∞nighT」の音源を使ったカゲプロの手描きPVを見たことがきっかけだった。
今、懐かしい単語が何個出てきた?
3DS、うごメモ、「Crazy∞nighT」、カゲプロ、手描きPV。
懐かしすぎる。全て私の小学校高学年〜中学時代を彩った思い出たちだ。
このうごメモのカゲプロ手描きPV、かなりクオリティが高くて大好きだったのに、3DSはどこかに売ってしまったしうごメモはブラウザ化してないからどこにもデータが残っていないしもう見る術は全く無い。悲しい。また見たいな。
でも今YouTubeで「うごメモ」を検索すると懐かしい映像がたくさん出てくるからインターネット老人会をしたい人はオススメです。「ひろしの日記」とか。懐かしすぎる。ひろしの日記、第96回まであるって皆さん知ってましたか?
まあカゲプロやうごメモは置いといてCrazy∞nighT、なんと11年前の曲らしい。
このちょっと不気味だけどアップテンポでワクワクするようなメロディ、めちゃくちゃ好きだったしなんなら今も大好きだ。プロセカの「実装してほしい曲アンケート」にずっと書き続けている。できたら私の好きなユニットであるワンダショに歌って欲しいが圧倒的に人数が足りない。8人歌唱は流石に無理がある。
今も大好きな曲 ……なのは、もちろんだが、こうにも歯切れが悪い理由は、私が大人になって他に色々好きな曲ができたからである。
中学3年くらいになると毎日のようにチェックしていたニコ動のボカロランキングを見なくなり、いつのまにか「最近のボカロ」が分からなくなっていた。知らん間にWowakaがヒトリエになり、ナブナがヨルシカになっていたのだ。私としては「夜明けと蛍」も全然新曲のつもりなんだけど。
私はプロセカをわりと熱心にプレイしているが、プレイしている曲の半分近くがプロセカに触れて初めて知った曲だ。まるで浦島太郎のような気分になる。「私がニコ動に貼り付くのをやめてからボカロにはこんな曲が生まれていたんですね〜」という気持ちで、個人的な新曲をプレイする。
「Vampire’s ∞ pathoS」も私にとっては個人的な新曲だ。2019年に投稿された曲らしい。じゃあ別に新曲と言っても過言ではないな。新曲でした。
初めてこの曲のMVを見た瞬間、私の脳内にいる中坊の私がウオオーー!!!! と叫び物凄い剣幕でサムネの鏡音レンの模写をノートの端に落書きしてアニメイトに売っていたカゲプロコラボのクロッキー帳に曲のイメージを盛り込んだイラストをコピックを使ってざかざか描き始めたのだ。
あくまでもイメージの話。
びっくりした。脳内が途端に中学生に戻ってしまった。つまり、初めてひとしずく×やま△の曲を聞いた時と全く同じ感覚に陥ったのである。
しかし私はもう二十歳を越えているし理性もあるので、ニコ動に投稿されているMVを静かにマイリストに追加し、Twitterに「今日実装されたVampire’s ∞ pathoSって曲めちゃくちゃ好きかも」とツイートするだけに留めた。
もしVampire’s ∞ pathoSを初めて聞いた私が中坊のままだったら、そのままTwitterに曲の気持ち悪い感想をだらだら書いて、とどめに「レンくん落書き!」とノートの隅に描いた右斜めを向いた鏡音レンの落書きをツイートしていただろう。いよいよ手の込んだ自傷行為みたいなことになってきた。早く結論を書いてこのnoteを終わらせたいですね。
……という中学時代のあれそれはいわゆる「黒歴史」と言われるものだろうけど、私の黒歴史は全て大人が作るコンテンツの影響を受けたものだ。
カゲプロもそうだし、ひとしずく×やま△の楽曲もそうだ。大人が作る曲やコンテンツの世界観に魅了され、憧れ、その真似事をして失敗し、それが後に黒歴史となる。
鹿野修哉が皮肉に引き攣った笑みを浮かべている「夜咄ディセイブ」のイラストを描こうが初音ミクが血塗れた刃物を持って発狂している「Bad∞End∞Night」のイラストを描こうが、元々それを生み出したのは中坊ではなく大人たちなのだ。
——とまで文字を打ってから念のため調べてみたら、人造エネミーはじんが18歳の時に作られた曲らしい。
全然大人じゃなかった。18歳なんて当時はまだ未成年だ。18歳で人造エネミー作ったんですか? ヤバすぎる。
まあ中学生からすれば18歳なんて充分大人だしな。
とにかく、死をトリガーに繰り返される世界も能力が発動したら赤く光る目も人造アバターへの転生も、はたまた刃物を持って狂乱する初音ミクも死んだ娘を取り戻すべく繰り返される舞台も何もかも、すべては「良い」と思った大人がいたから生まれたのだ。
初音ミクがゲス顔(こんな言葉、成人してまで使いたくなかった)を浮かべるのも何もかも、「これでいきましょう!」とディレクションを執った大人と「めちゃくちゃ良いと思います⭕️👌」と返した大人がいたからこその賜物なのだ。
「メカクシ完了!」とやかましく叫ぶ中坊は一人で暴走しているのではなく、大人が考えたチョーカッコいいコンテンツを信奉しているだけなのだ。もちろんそこから一人で暴走する道へ足を踏み外す者もいるだろうけど。
しかしこれらの「チョーカッコいいコンテンツ」を生み出したりカッコよさを理解してくれたりする素敵な大人はインターネットにしか存在しない。
当の中坊本人の周りには、至って平々凡々な大人や、いつのまにか大人への階段をのぼってしまった同級生たちしかいないのだ。
「何それ?」「何がいいのかあんまり分かんない」「もうそういう絵を描くのはやめなさい」「もうそういう曲を聞くのはやめなさい」などなど。そんなことを第三者に言われて「自分はおかしいのかもしれない」と自覚してはじめて、黒歴史は生まれる。
黒歴史が黒歴史となるプロセスには必ず「異常の自覚」がある。これがキツい。「自分は変であり、社会の一般規範からはみ出ているのだ」ということを自覚するのは苦しいことだ。
しかし忘れ去りたい記憶というのはひょんなきっかけで再び現れるものであり、その度に苦しむこととなる。私はかつて自由帳に描いた「Bad∞End∞Night」の衣装を着た初音ミクの表情をいまだに忘れられない。早く忘れてしまいたいのに!
そして苦しい時、人はどうにか自分の行動に正当性を見つけて逃避しようとする。
私はずっと「元々は大人が考えたんだからこれを良いと捉える大人もいるってことだろ!!」と自分の感性を正当化していた。いま私の周りにはいないけど、生み出した人がいるってことはこれを肯定する大人もきっといる。そう信じていた。
本当にいるかどうかは分からないけど。
私がヤベー笑い方をする初音ミクにテンションが上がってしまうように、ヤベー笑い方をする鏡音レンにテンションが上がるような大人も、きっといるはず!!
いるね。
いるんだな。
コンテンツを動かすのは中学生ではない。財力のある大人たちだ。中学生が「良いな」と思うものを同じように「良いな」と思う大人がいるから、コンテンツは生きる。
カゲプロも、今考えても普通にカッコいいもんな。「メビウスの輪」という概念を上手く使いすぎだろ。
つまり、「好きだったこと自体が黒歴史」なんていうコンテンツなんてきっと無いのである。おそ松さんとかも今見てみたら面白いかもしれない。わからんけど。今おそ松さんで笑える体力があるかどうか知らないが。
というのを、自転車を漕ぎながらずっと考えていた。自分の脳内で考えることと、それを実際に「読めるもの」にすることでは大変さが天と地ほどの差がある。いつものnoteは30分もあれば書けるのだけど、なんとここまでに1時間半もかかってしまった。文字数は4150字と少しくらい。書きすぎだろ。
なんか凄い疲れた。
マジで、もう二度と過去の自分を不必要に省みる話はしたくない。というかそもそもこういう手の過去回想にオチを求めるのが間違っているのだ。「あ〜そんなこともあったね〜!」という身内のあるあるに留めておくのが一番楽しいのに、どうしてこんなものを書いてしまったんだろうな。
書いておきたいなと思ったからなんだけども。
最後に、かつて私がめちゃくちゃ好きだったカゲプロのうごメモ手描きPVのリンクを貼って終わります。
この動画を作った本田さんがイラストレーターのさくしゃ2さんだと知った時の衝撃、忘れられない。