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幻の県知事選特集

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 7月7日に鹿児島県知事選挙が行われる。これを書いている現在は現職に加えて、二人の候補者が立候補を表明しているが、当初は現職と女性議員との一騎打ちのような展開が予想されていた。ぼくはその段階で、この県知事選にむけて「ZINEやうやう」の誌面を使って二つの企画を考えた。
 一つは県知事選に合わせてここ大隅半島で個人的に注目している三人の地方議員(一人は挑戦中だが)に『鹿児島県知事選に望むこと』と題してお話を聞く企画だ。身近な地方議員に県知事選や鹿児島県への想いや問題点を、ご自身の活動報告をかねて話していただくという内容だ。三人の内訳は、一人は保守系の若手の市議会議員、一人はリベラル側の若手女性町議、一人はここ鹿屋でも広がっている新興の政党から一人だ。トークイベントだとハードルも高いだろうから、インタビューでもコラムでもなんでもいいのでお願いしますとお伝えした。
 そして、もう一つの企画は立候補を表明した女性議員を呼んでのトークイベントだ。ここ鹿屋市に住む多くの人はこの女性候補者についてほとんどなんの情報ももっていないので、ぼくたちにとっても候補者にとってもいい機会になると考えたのだ。
 以上のような内容で、それぞれに依頼のメールを送らせてもらった。

 結果は全員からお断りのメールだった。(正確にいうと一人は返事もなかった。)

 県知事選の候補者は、鹿屋では街頭演説をしていきたいという理由で、事務所の方から断りの電話をもらった。二人の地方議員の断りの理由は、後援会や党の支部での協議のうえ、今回は協力できないということだった。

 この結果に僕は正直驚いている。怒っているとか落胆しているということではなく驚いている。

 今回のこの企画、我ながら素晴らしい企画だと思うし、多くの有権者が鹿児島の政治について考える貴重な機会になると思った。揚げ足を取ったり、貶めるようなトークイベントにならないのは、依頼時に案内したこれまでのぼくのイベントや共通の知人たちからの話で伝わっているはずだ。
 返事がない一人は話にならないが、新興の政党の候補者も断ってきたことは一番驚いた。自分たちの考えを主張するいい機会になると思うのだが、どうもそういうことじゃないらしい。その党は市民が政治に参加するというのを標榜しているのに・・。
 保守系の議員はきっと断るだろうなと予想はついていた。ぼくのような小さなところでうっかり余計なことをしゃべるよりも、いつもの仲間内を大事にするのが得策だし、毎朝、道路に立っている方がずっと効果的なのだろう。鹿児島弁でいうところのやっせんぼのように見えるが、それが最近の保守なのかもしれない。(真の保守とはそういうものじゃないと思うのだが)

 もちろん、ぼくが無名であり、「やうやう」が誰にも知られていないからかもしれない。(実際に県知事候補側からはそのようなことを言われた)これが地元経営者たちの団体や大手メディアが主催するトークイベントや企画なら、全員が喜んで参加するのだろう。結局ぼくが偉くなったり有名にならないといけないのかもしれない。
 先日、ここ鹿屋である団体が主催する「若手リーダーと語るおおすみ会議」みたいなトークイベントがあった。そこで語られていたのは「子供がかがやく街とか、官民一体でまちを盛り上げよう」などとお題目に過ぎないようなものばかりだった。みんなそんなところで語られるうわべだけの言葉を聞きたいのだろうか。ぼくにはまったく理解できない。(こんなことを言っているから偉くも有名にもならないのだろうが・・)
 鹿屋だけの話ではない。鹿児島県の若手リーダーたちが多く参加しているある団体がある。そこでは明治維新に関連させて「150年後の世界になにを残すか」というテーマで大規模なイベントを毎年開催している。参加費は3万円をこえて、たいへん豪華な内容のようだ。ただ、そこはライブ配信はするがアーカイブを残さない。150年後になにかを残す前にせめて15日間だけでもアーカイブを残してほしい。

 SNSの炎上を恐れているのか、とにかくみんな内向きだ。自分たちの支持者や仲間がいるところじゃないと語れないし、そもそも語る言葉を持っていない人もいるように感じている。
 鹿児島は保守王国と言われている。しかしそれは政治的なイデオロギーの保守ではなく、いわゆる「生活保守」がその実態だとぼくは思っている。生活保守とは、いまの消費社会に満足して、年輩者を中心に現状維持を望むことだ。
 生活保守を体現しているのが行政だろう。市民生活のインフラを支えている行政が変革を望まないのは理解できる。毎年のようにやり方がかわったら社会が混乱し、仕事にならないだろう。
 前明石市長の泉房穂氏の本を読むと、いかに行政が物事を変えたくないのかがすごくよくわかる。市長になっても自分がしたい政治を行うのはとてもたいへんで、著書によると市の役人は盗撮や盗聴までして市長に好き勝手させないことに心血を注いでいたようだ。
 そのような観点で見ると、鹿児島県知事も鹿屋市長も民間から当選した人は、ながい歴史の中で一人しかいないことも納得できる。鹿児島は生活保守王国なのだ。

 労働生産人口はこれから30年で半分になる。どう考えてもこれまでどおり国や地方行政にだけお願いしていれば回る社会ではなくなるのはわかりきっている。中には沈みかける船から早々に脱出するという人も現れるだろう、あるいは周りはどんどん溺れているのを見て見ぬふりをして、自分たちだけ助かろうと必死にその船にしがみつく者も現れるだろう。
 どちらもあまりに無責任でひどい話だと思う。これからは真の意味で民間と行政が手を取り合ってなんとかしていかないといけない社会のはずだ。
 そういう意味で、ぼくは今回の県知事選の女性候補には期待していた。行政にお任せすればいいわけでもなく、自由主義経済のようになんでも民間でやればいいという話でもない。そういうことを議論するいい機会になると思っていたからだ。
 今回実現しなかった幻の県知事選特集の結果にはとても残念に思った。

 わくわくしているかって?まったくしていません!

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