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インタビュー調査<木村昭彦氏>

 1955年に名古屋で生まれた木村昭彦氏は、幼稚園児の頃に伊勢湾台風を経験している。1971年に東海高校へ進学。卒業後は一年間の浪人を経て慶應義塾大学経済学部に入学した。一、二年生の内は、授業は必要最低限でバイト・麻雀に打ち込む日々を送った。三、四年生になり、様々な授業をとっていく中で「世の中は変化する」という認識を持てるようになったという。
 大学卒業後は中日新聞社に入社し、四年間の地方記者生活の後に本社の整理部に配属された。七年間にわたる整理部時代は本版のニュース面担当で、特に印象深かったのは、日航ジャンボ機墜落事故と昭和天皇崩御だったという。1991年には東京本社の政治部へ異動。55年体制の崩壊をはじめとする政界再編の時代を政治部記者として駆け抜けた。特に国会での村山首相のいわゆる「合憲」表明が、「私の政治記者としての、ある意味での大舞台」であったと振り返る。1999年からは東京本社の経済部で自動車産業を取材した。当時の自動車産業は世界的規模の業界再編の真っただ中で、日産・ルノーの提携など「たった一人での取材は大変でした」と語った。政治部においても経済部においても、まさに過渡期と呼べるような時代を経験した木村氏は新聞記者として「『昔はこうで、今はこう、先はこうなる』という視点を大切にしてきました」と述べた。
 2004年には松本支局長に就任。県紙『信濃毎日新聞』に次ぐ第二勢力として影響がある地でやりがいがあり、野球大会やロードレースなど楽しいこと、面白いことが多くあったという。2007年から『日刊県民福井』編集部長として地域密着の紙面作りに尽力。2011年に名古屋に戻り資料部部長に就任。『中日新聞』の前身のうちの一つである『新愛知新聞』の創刊号の復元を行った。
 管理職になってからも、愛する地元、名古屋の魅力についての連載を数多く受け持つなど執筆活動を続け、現在もなお地元の経済誌『東海財界』に「観光列車に乗ろう」を書いている。

主担当:彦由