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インタビュー調査<猪股征一氏>

 猪股征一氏は1944年台北生まれ。中学校、都立新宿高校と新聞作りに関わる。1964年慶應大学法学部法律学科に入学。『三田新聞』に入るが一年程で辞め、法哲学研究会や現代詩サークルで雑誌を発行した。結局、新聞記者志望を全うするため、感銘を受けた『信濃毎日新聞』に1968年入社。
 初任地は飯田支社。1971年本社編集局報道部に異動。連合赤軍事件では真っ先に現場に駆け付ける。1973年住民運動の担当記者となり、「トンネル騒動3000日」を連載。1978年県政記者となり、連載「西沢県政」を書く。10年務めた後、海外出張を経験。労働組合、北信越地方連合会の委員長も務めた。
 1988年報道部長に就任。1990年米国文化交流庁の米国派遣では、大統領補佐官のインタビューから東西ドイツ統一が近いとのスクープを出す。また『セントルイス・ポスト・ディスパッチ』との姉妹提携を提案し実現。国際面を二頁に拡大し、共同通信のモニター紙となる。外国人労働者問題をルポした連載企画「扉を開けて」で菊池寛賞受賞。
 1998年編集局長就任。6年務める。子育てや介護問題を従来の家庭欄ではなく社会面で取り上げ、1999年長期連載「介護のあした」で新聞協会賞を『信毎』としては35年ぶりに受賞。主要地方紙12紙が集う火曜会で日米メディアシンポジウムを開催した際には、地方紙ネットワーク代表として「地方紙は…地域から国・世界について問題について警鐘を鳴らす。…私達が日本のジャーナリズムの背骨を担っている誇りを持とう」と挨拶した。
 1999年に取締役に就任。編集局の採用で女性社員を積極的に増やす。ネットとの競争以前に「男社会が読者離れを引き起こす原因になっていた」という。2004年東京大学で講義をした内容が『実践的新聞ジャーナリズム』として刊行される。専務取締役、代表取締役専務を経て2011年代表取締役副社長就任。ネットメディアが台頭する中「取材力をどんどんつけて、…さすが新聞社の記者だからという記事を書くしかない」と語った。