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新・エンタメ時代における、新旧『小説』の違いとその魅力とは(重松 清教授へのインタビュー)

 2020年、新型コロナウイルスの猛威が世界を襲い、人々は『ステイホーム』を余儀なくされた。より快適な『おうち時間』を過ごすため、YouTubeやSNS、定額動画配信サービスといった新しい娯楽が話題になる中、『読書』にも注目が向いた。以下は2020年までの出版市場のデータ(出典『出版指標 年報 2021年版』)である。

 『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴著、集英社)などが話題になったことがきっかけで、出版市場は賑わいを見せた。しかし、このデータにはもう一つ注目すべき点がある。電子書籍の台頭だ。データが示すように、電子書籍の占める割合が高くなっていっている現状がある。既に、全体の25%が電子出版だ(この内の多くをコミックスが占めている)。これからの時代、出版物の電子化は避けられないのであろうか。紙の本は完全に消えてしまうのか。私達が物語を楽しむのは『本』から『スマホ』に代わってしまうのか。それは、SNSで作品を投稿することとどう違うのか。それらを確かめるのが本記事の目的である。
 そこで、私は小説家として長らく活躍されているだけではなく、小説を教える立場としてもご活躍されている重松清教授から本の現在と将来についてお話を伺ってみた。


重松 清(しげまつ きよし)。早稲田大学教育学部卒業。出版社勤務を経てフリーライターに。1991年『ビフォア・ラン』で作家デビュー。1999年『ナイフ』で第14回坪田譲治文学賞、『エイジ』で第12回山本周五郎賞を受賞。2001年『ビタミンF』で第124回直木賞受賞、2010年『十字架』で吉川英治文学賞、2014年『ゼツメツ少年』で毎日出版文化賞を受賞。2016年から早稲田大学文学学術院・文化構想学部で教授(任期付き)を務める。

※インタビュー実施日:2022年4月30日  場所:早稲田大学戸山キャンパス33号館901研究室

電子書籍のメリット

 僕は元々出版社にいて、編集者をやっていました。それからフリーライターになって、小説家になりました。学生時代から言葉に関わっているから、もう40年近くやっています。だけど今、出版社にとって出版事業というものがメインなのかわからなくなってきているよね。出版社というジャンル分けではあるけども、出版というものを紙の本のプリンティングと定義付ければ、電子書籍が台頭している現代においては、もはや出版社にとって出版はメインではないのかもしれない。


――電子書籍のメリットはいくつかあると思うのですが、一つはやはり、スペースの問題ですか。

 その通りです。スペースという制約がなくなるということは大きなインパクトがあります。


――他にも電子書籍は多くの方がスマートフォンで見るため、持ち運びが楽になったというメリットもあると思いますが。

 しかしこれは、本でも同じことですよね。もっと言うならば、本はスマホと違い、電源を必要としません。スマホは電源が切れたらおしまいだけど、本はその必要がない。東日本大震災の時に、避難所に紙の『少年ジャンプ』が回し読みをされたという事実があります。君が言わんとしていることは、持ち物が一つしか持てないとしたら、という制約がある時です。その時は当然スマホを持つと思います。そのスマホの中に、本まで入る。それまでだったら、スマホも本も、二つ必要でした。スペースの話で言えば、ポケットが二つ必要だったということです。それが一つになったのは、物理的なスペースが解放されるという利点ですね。受け手サイド―読者の方は、沢山本を持っていても場所を取らずにすむ。本を買わない理由として場所がないというのはよくある理由だと思うけども、それが解決できます。それから持ち歩くときにも荷物が一個減ります。読者から見るとスペースが必要ないというのは大きなメリットになると思います。
 それと同時に、送り手サイドにとっても、在庫という概念がなくなるというメリットがあります。僕たち本の作り手にとって一番悲しいことは、絶版です。色々な古本屋を巡らないと見つけられないようになってしまうことです。しかしデジタルになることによって紙の本ではビジネス的に成り立たなかった本でも、絶版にならないでデータに残ることが出来ます。それが送り手にとっても受け手にとっても大きなことだと思いますね。例えば、少部数しか見込めない専門書のように分厚い物もデータになってアクセスできる。
 もう一回受け手サイドを考えると、いつでも読めるということ以上に、いつでも買えるということが大きい。まさに24時間365日いつでも営業していて、在庫も全てあるという書店が存在しているようなものです。それこそ僕の小説も時々ドラマになるけども、例えば日曜日午後9時からドラマになった作品は、夜10時過ぎからAmazonで凄く売れるようになります。ドラマを見て、面白いから原作を読もうかな、となるわけです。ただ、リアルの書店だったら、日曜日の夜の10時は既に閉店しています。一晩経つとやっぱりいいかなと買うのを辞めてしまうこともあるよね。出版社サイドにおいても売り時を逃さないで済みます。また、せっかく売れているのに品切れになって増刷を待たなくてはならないということも避けられる。電子には品切れの概念がありませんから。受け手サイドから見ていつでも買えるということは、送り手サイドから見るといつでも売れる。そういう意味で実体がないということでの、読み手サイド売り手サイド両方のメリットは凄くあります。


――同時に、デメリットもあると思います。電子書籍である以上、自ら探しに行かなくてはならない。ただ、紙の本の場合は書店に行って、気になるものがあれば買うということが出来ると思います。売れている作家の先生の場合は電子でも問題ないと思うのですが、新人の先生の場合など、売れる作品と売れない作品の差が大きくなるのではないかと思いました。

 ただ、これは難しいところがあります。むしろ逆かもしれません。書店というものは新宿の紀伊国屋書店とか神保町の本屋のように大きなところだけではないです。実際に本を出す時は初版3000部、新人だったらもっと少ないかもしれない。3000部がどれだけ少ないかというと、八王子・町田にある全ての書店には行き渡らないかもしれないくらいです。ましてや、全国津々浦々、駅前の書店全てには到底行き渡らないですよ。しかし、初版3000部だろうと1000部であろうと、電子書籍なら検索すれば出てくるという面では優れていますよね。ここは政治経済学部で勉強している君たちのほうが詳しい問題かもしれないけども、映像などのエンターテインメントも含めた、都会と地方の情報格差がデジタルでなくなるという可能性もあります。映画だって、映画館がある町はもう限られている。DVDショップがある町も限られている。それが、ネットフリックスのおかげで全国どこでも見ることが出来ます。それこそウクライナであってもネットフリックスで見ることが出来ます。これが凄い所ですよね。それを考えると、東京における大型書店のイメージと、近所の書店のイメージというのは距離感・規模感がだいぶ違うと思うので、そこは気をつけないといけない点ですね。だからこそ、町の小さな本屋さんにはむしろ「本のコンシェルジュ」「本のセレクトショップ」みたいな方向での可能性があるんじゃないかな。ビジネスとしては甘い考えかもしれないけど、街角から書店がなくなるのは、やっぱり悔しいし、寂しいから。


電子書籍のデメリット

 デメリットがあるとすれば、実体がない分、アクセス出来ているだけに過ぎないということですね。だから、データが全部飛んでしまったら終わりです。実物をもっていないという欠点はここですね。それこそオーウェルみたいなディストピアの話になるけども、国家が反国家的な書籍を全て抹消しようと思ったとき、データだと出来てしまう。それが怖いですよね。実物がないということで情報操作が出来てしまう恐ろしさがある。また、ある日Amazonのプライム会員全員の書棚に、勝手に政治的な書物が送り込まれてしまうこともある。こういう面では、実物を見てそこから一冊抜く、こういう選ぶという行為の確実さには遠く及ばない恐ろしさがありますよね。
 送り手サイドにおいてもデメリットがあります。出版社の理屈をシビアに言ってしまえば、紙であろうとデジタルであろうとビジネス的には売れればいい。しかし、僕たち作家側―作り手の思いはどうなのかを考えてみると、単純な送り手とは異なります。ここからが世代とか時代背景とかが関わってくる点ですね。だからデジタルの最前線の作家の気持ちを知りたいならば、SNSの時代にデビューした作家にインタビューをすべきです。それは何故かというと、僕の世代の意識として、小説とか本というのはあくまでもページをめくっていく、というこの身体性とセットでした。電子書籍だとこの経験が奪われてしまう。読み手の方でも、めくっていくのがいいという人もいる。そして、この表紙の装丁一つとっても、皆で話し合って何が一番いいかを決めています。どんな紙を使い、どんなサイズでどんなフォントにして、どんなデザインにするか。もう一行を増やすか、行間をもう一行詰めるかとかね。そういう風に本を作ってきました。しかし、今の表紙はデザイン的な面白さよりも、サムネイルの扱いになっていて、レイアウトも文字の大きさも読み手が勝手に変えられるようになってしまいました。僕たちは改行や漢字と仮名のバランスを、本を開いた時の見開きで確認しています。見開きを開いた時に、このページは文字が多いなとか、スカスカだな、というように考えています。


――書いている時から刊行後の紙のことを意識されているのですね。

 うん、意識するね。僕は文庫なら一行37文字、単行本なら42文字ならそのレイアウトで一回プリントアウトします。それは多くの作家がしていることじゃないかな。小見出しの位置とかも確認して、それによって行を調整しています。デザインのような視覚的なものは、僕たちやデザイナーが色々と知恵を絞って創り上げたものです。電子書籍では、この『本』というものの面白さが薄れてしまいます。本らしさというものを愛してくれている読者から見ても残念だろうなと考えるだろうね。
 ただ思うのは、紙の本と電子が両方あることは良いことだと思います。場所をとるけども、僕は本と言うものが好きです。まさに愛蔵版とかね。だから好きな本は紙で買えばいいし、レポートのためにどうしても読まなくてはいけない作品なら電子で買えばいい。今の段階では二つの選択肢があるという現状が望ましいかな。ただ、もしかしたら将来、紙が大前提ではなくなるかもしれない。まずは電子が前提となって、オプションで紙が付くみたいな。このバランスがどんどん変わっていくかもしれません。ただ紙の本が全て無くなってしまうということはないと思います。少なくとも詩集や絵本、俳句、短歌のように言葉の―文字そのもので勝負をしている作品がある内は、『本』という形態でないといけないというのは十分にあり得ます。
 問題は小説が果たしてどうなるかということですね。デジタルの特質を活かし小説を創る作家さんもおそらく出てくると思います。ハイパーテキストになったり、画像が入ったり、動画や音声が埋め込めるようなハイパーリンクを張れる作品が出てくるかもしれない。ただ、少なくとも僕はしません。僕はあくまでもめくっていく、紙の本のための小説を創ります。それを、読者さんのメリットもあるから、電子にもする、というのは認めています。ここが不思議な点で。今は紙の本を出している作家に電子にしてもいいですかと出版社が聞いてくる。作家さんによっては、電子をOKにしてしまうと町の書店が可哀そうだからという理由で紙の本だけで行く人もいます。ただ将来、この関係が逆転してしまうかもしれませんね。


これからの時代、電子書籍とハイパーテキスト

 出発点が紙であるというのが僕たちの世代、そして今の時代の前提だと思います。それが、10年20年後にどう変わるのかというのは全く分かりません。おそらくは電子の方にバランスが行くでしょう。最初の読書体験が紙ではなく、スマホやタブレットだったという世代も出てきます。この世代が面白い小説を創ろうとするならば、ここにリンクを張ろうとか、そういう意識が出てくると思います。もしかしたら江戸川乱歩賞とかも、今はあくまでも紙の本で読むことを前提に審査しているけども、スマホで読むことを前提に、いかにスマホならではのアイデアがあるかで評価していくように変化するかもしれない。小説をアプリのように使っていこうという人も登場するかもしれない。現にYOASOBIさんは音楽と小説の融合をしているわけですよね。だからそれは今の10代20代の人たちが変えていくのだろうと思っています。
 僕が今学生に教えているのはその前の段階で、格好良く言ってしまえば紙の本であろうともスマホであろうとも、読者を物語に惹きこむ言葉のテクニックや小説の表現を教えています。その面では、紙の本でもハイパーテキストでも構いません。同じあらすじであっても、この人がこう語ったら面白いのに、この人が語ったらつまらない、ということがあり得ますよね。だからこの小説はこんな工夫をしている、ということを学ぶことは汎用性とか普遍性があります。でも10年後には、デジタル小説表現みたいな新しい演習を創る必要があるかもしれない。ただ、このデジタル分野は漫画の方が小説よりも進んでいますよね。


――そうですね。漫画はもう電子に向けた作品が増えてきていますものね。

 はっきり言ってしまえばGペンやインクで書いていくテクニックを教えるよりも、タブレットでスタイラスペンを使ってやる方法を教えたほうが実用的かもしれません。スクリーントーンをカッターで切っていくのではなくデジタルでやっていくというやり方を教えた方がいいわけです。
 例えば、漫画雑誌において見開きでめくって横長の見開きでコマを割っていくというネームが、スマホの縦スクロールになったら大きく印象が変わるよね。だから漫画の世界では作家や出版社が色々考えているのでしょう。今までの正解というものが正解ではなくなってしまった。デジタルかアナログかという意味では、本当は漫画の方が小説よりもだいぶ先を進んだ最前線で試行錯誤をしているかもしれません。


デジタル特化の小説とは


――本の種類によって、読者層が変わることはよくありますが、今はデジタルかアナログかでも読者層が変わってきていると思います。だからこそ、今は電子で読む人向け用の小説が、増えてきていると感じました。そこでは、区切りを増やして切りの良い部分を増やす工夫をされていると感じたのですが、その工夫に関してどのようにお考えでしょうか。

 その工夫は間違いなくされていますね。その一方で、僕たちは同じ工夫を新聞や雑誌での連載で昔からやっているから、その意味では同じかもしれない。もしも、スマホなどのデジタルに特化した小説があり得ると仮説を立てるのであれば、その作品が紙の本に落とし込まれた時に、作品がマイナスになる点があったら、初めてデジタル特化の小説だと言えるかもしれない。今は紙に落としても、スペースの問題以外はそこまで変わらないとすると、本質的なところではまだ特化していないと言えますね。ただ、将来ハイパーリンクを貼っていく小説が沢山出来たら話は別で、それは紙に落としたら良さが消えてしまいますからね。


――でも、QRコードを読み取るという本もありますよね。

 QRコードを読み取った先はスマホで見るわけだから、紙の本からは離れるけどね。でも、確かに小説業界そのものの過渡期だと思うよ。


紙の可能性


――僕はまだ一冊しか知らないのですが、電子に落としこんでしまったら、作品の良さが半減してしまうなという本がありまして。道尾秀介先生の『N』(集英社、2021)という作品です。紙の本はこの作品のように、紙の重量感などを活かした作品が増えていけば、紙だけの作品が増えてくるのかなと思いました。

 それは間違いない。ただ、そこを突き詰めていくと小説というよりもアートの領域にはなってしまうけどね。これまで、物語を載せる乗り物としては本しかなかった。しかし、今はスマホという乗り物が出来た。選択肢が増えたわけです。じゃあ、この乗り物でないと面白さが伝わらない、という作品が今後一層出てくると思います。例えば、泡坂妻夫先生の『生者と死者―酩探偵ヨギガンジーの透視術―』(新潮社、1994)という作品では、中身が袋とじになっていて、袋とじのまま読んだら一本の短編小説に、袋とじを全部切り開くと一つの長編小説になるというギミックの本がありました。二十何年前の作品ですが、数年前に一回その仕掛けが話題になって再ブレイクしました。この作品は、袋とじを破った瞬間に短編がなくなってしまうので、皆二冊持っていましたね。この仕掛けは紙の本ではないと出来ないものです。そういう意味では、本という物(ブツ)、を愛する人のための本は永遠に残ると思います。


本の持つ意味、出版社の持つ意味


――SNSと小説にはメッセージを伝えるという共通点があると思います。ただ伝え方は違っていて、直接訴えかけるSNSに対し、小説は暗に訴えかけ読者に考えさせる。このような違いがあると思うのですが、どのようにお考えでしょうか。

 SNSは自分の意見の表明の場とか言われているけど、意見の表明自体は小説でもありました。ただ、小説は言ってみればメッセージ以上にお話を伝えるものです。それこそ、メッセージがありきたりなものであろうとも、読んでいる間が楽しければそれでいい。だから、何をもって面白さを作るのかという点に作品の性格が出ると思います。例えば、作家の村上龍先生の作品は社会に刺さる強いメッセージ性を持っています。加えて、そこにストーリーの面白さが加わっているから、作品自体の面白さがあります。また、読んでいる時は凄く面白いけども、読み終えたら何も残っていないと感じる小説もあります。しかしそうした作品でも、読んでいる時が楽しければそれでいいのです。それから、ストーリーはいまいちだけど、ここで主人公のセリフ―メッセージが格好良かったという小説だってあります。こういう意味で、小説はメッセージありきのジャンルではありません。そこは、全くの別物だと思います。
 SNSと小説との違いは、分量などいくつかあります。ただ、SNSと出版社から刊行される小説の最大の違いは、第三者が介在しているかどうかという点です。本を出す時には、僕が作った小説を僕以外の出版社の人間や編集者が間に介在して世に送っています。自分では面白いと思っていても、出版社の人がつまらないと思ったらその作品は世に出てきません。それから、僕が思い切りメッセージ性を込めた作品を創っても、「重松さん、これは少しヘイトになっていますよ」と言ってくれる人がいます。そうなっていくと、ある程度の責任を負える状態になって作品を世に送り出すことが出来ます。SNSの場合だと邪魔者なしにダイレクトに発信出来るメリットがあります。一方で、そこに事実誤認や法律的に問題のある発言、人権侵害の発言があった時に、それがそのまま世に出されてしまいます。だから僕は、本の、もっと言えば出版のメリットというのは、これから『信頼』になってくると思います。
 今でも、大学生がレポートや卒論を書く時に、この出版社の本だから信頼がおけるというものがあると思います。それこそ専門書とかね。だから、出版社ごとに信頼度やブランドイメージがあるわけです。当然出版社の方も、「こんな本を出してしまったらウチの会社のブランドイメージに傷がつくから出さない」とかもありますしね。その面では、SNSの時代は皆が自由に、表現は悪いけど無責任に意見やメッセージを発信することが出来ます。その時代に僕たちが出来ることと言えば、プロフェッショナルになることです。僕はモノを書くプロフェッショナル、編集者はモノを読むプロフェッショナル、他にもデザイナー、校閲、法務部というプロフェッショナルの方々がいます。法務部というのは、例えば本の中には、訴えられる内容がないかどうかを調べるために、出版前に弁護士の方が全部チェックする作品もあります。そういうプロセスを経て世に送り出しているため、100%活きの良い作品がどんどん薄らいでいってしまうという可能性もあるかもしれません。しかし代わりに、とんでもなく非常識な作品は出てきません。その信頼性を信じるしかないのかな。だからページビュー狙いとかクリック狙いとか、派手なことをやるSNSの発言力にパワーでは負けるかもしれません。しかし、『本』というものの説得力はキープしたいし、そこを捨ててしまったら出版社が入る意味がなくなってしまうと思います。今は大抵の本だと、作家の印税は作品の定価の10%です。1000円の本だと100円しか入らない。そこに対して、「重松さん、noteやSNSで出しましょうよ。そうすれば売上金が全て入りますよ」とか言われても僕は怖いですね。僕が講談社さんや新潮社さんでお世話になるのは、彼らの目利きを信じているからです。彼らを信じて一緒に作品を出す方が僕はいいなと思います。


小説の最大の魅力とは


――最後に、新しい娯楽が増えてきた今だからこそ、教育者としてだけではなく作家として活動されている重松教授の考える、『小説』の一番の魅力を教えて下さい。

 今凄くビジュアル的なエンタメが増えてきていますよね。それに対して、小説は言葉だけです。だから他のエンタメと比べて小説は不自由なものです。例えば、ビジュアル作品ならぼーっと見ていても勝手に動いてくれるから問題はないですよね。一方で、小説は言葉をずっと追わなければならないから、ぼーっと読むことは出来ない。想像をしなくてはならない。例えばアニメの【綾波レイ】と言ったら、きっとすぐ想像がつきますよね。だけど、【あの訳あり風なちょっと気の強い女の子】という描写しかなかったら、一体どんな子だろうと想像しなくてはなりません。しかし、その想像をすることが楽しいのではないかなと思います。
 言葉と実体がずれているけども、その言葉に込められた感情や意味を自分の中で咀嚼して、噛みしめて味わっていくという楽しみ方は文章ならではかもしれない。ビジュアルも音も動きさえもなく、自分でイメージを創り出すというのは、きっと文章でしか出来ません。その楽しみ方は、もしかしたらしんどいかもしれません。だけど、自分の「想像」の中で、ヒロインはきっとこういう感じの女の子だろうなとか自分なりの「創造」をする。だからきっと、小説の実写化の映像化がバッシングされることが多いのかもしれませんね。「ちげーだろ!」とか。おそらく漫画も同じで、動いていない絵を読みながら一生懸命脳内で動かしている。それから主人公の声も自分なりに考えますよね。だからアニメになると、「こんな声じゃないのに!」となるのかもしれません。そういう不自由で、不便で、足りないところを読者の皆が補ってくれる。だから小説は絵も音も動きもない。そんな中で皆が一生懸命に、「このセリフはこんな感じで喋っているのだろうな」、「この女の子はこんな子だろうな」とかを考えながらやってくれているのだと思います。ということは、一本の小説に百人の読者がいたら、その小説のヒロインは百通りいるわけですよ。それは凄いことですよね。もしかしたら、そういうヒロイン像が一致したら、新しい友達が出来たりするかもしれません。自分で考えなくてはいけないということは、逆に言えば考える余地を残してくれている、ということです。小説の最大の魅力とは、こうした不十分さを楽しめることだと思います。


インタビューを終えて

 私は本が好きだ。それも紙の本が。電子書籍でも読むことはあるが、それでも出来る限りは紙で読みたいと思う。ただ、時代は前に進んでいる。これから先、紙の書籍がますます減っていくかもしれない。もしかしたら、遠くない将来に「本」といったら紙ではなく、スマホのことを指す人も出てくる可能性がある。
 しかし、重松教授のお話を聞いて、紙と電子、どちらもあることが理想的ということがまさしくその通りだなと思った。小説は面白ければそれでいい。紙と電子で対立している場合ではない。新しい娯楽が増えてきた今だからこそ、紙書籍の身体性と電子書籍の新しさ、どちらの良さも活用した斬新な小説作品が増えて欲しいと思った。そして、それは遠い将来の話ではない、と感じた。

参考資料
 
出版科学研究所『日本の出版販売額』“出版指標 年報 2021年版
https://shuppankagaku.com/statistics/japan/, (2022年5月15日アクセス)
 
文責:土屋ゼミ9期生 米持楓