23WSJ を思い出して思うこと
2015年に山口県山口市阿知須で開催された第23回世界スカウトジャンボリー(23WSJ)は、3万人を超える人数が集められました。これは、周辺地域の人口よりも多く、水道やゴミ処理などのインフラについても入念に調整されて準備されたと聞きました。プログラムとしても、大会前後には日本各地でのホームステイのプログラムが行われ、期間中には山口県内各地へ赴いての地域プログラム、広島県の原爆平和記念公園へ赴いてのピースプログラムが展開されました。
大会期間は7月下旬から8月上旬で、会場のきらら浜は太陽を遮るものがなく、さらに大会期間中もほとんど雨が降らず、とても暑かった覚えがあります。ヨーロッパや北米の涼しい地域からの参加者を中心に、熱中症で体調を崩していたスカウトが多かった覚えがあります。
大会後の当時の新聞記事だったか雑誌だったかで、
「日本の小さな一角に世界中の人々が集まる『村』ができた」
「会場にいるスタッフのみならず、周辺地域・行政とともに、世界各地からのお客様を『おもてなし』した」
「この大会の経験は、5年後に開催される東京オリンピックにも活きるだろう」
という論調の記事を見かけたのを思い出しました。一副長として日本派遣団のスカウトたちを率いた私としても、あの大会は大会スタッフのみならず、会場周辺地域の皆さん、広島県の皆さん、協力いただいた行政機関、ホームステイを受け入れてくれた家庭の皆さん、スポンサー企業の方々の支えがあったからこそ出来た大会やったなと思い出します。
さて、当時はそんなことも想像もつかなかったですが、1年遅れて東京オリンピックが始まろうとしています。始まる前にこんな雰囲気になっているなんてことも全く想像がつかなかったです。所々で取り上げられている問題についての言及は避けますが、この大会が人々に受け入れられていないことは明らかだと思います。
どうしてこうなってしまったのか。
そう思っているのは大会出場を決めた選手でしょう。
自分が参加した世界ジャンボリーをもう一度思い出してみました。
キャンプ場が決められた敷地内であり、入退場の(厳格・・・に見える)チェックも行われていたとは言え、周辺地域に繰り出した者もおり、地域住民の皆さんとっては迷惑であったことには間違いないでしょう。夜もうるさいし、ゴミも出しまくるし、水道も使いまくるし。地域でのプログラムやピースプログラム、ホームステイのプログラムに関わった皆さんにも迷惑がかかる大会であったはずです。それでも、皆さん温かく迎え入れてくれました。これが、もし、冷酷な対応をされていたら・・・23WSJは最悪な思い出になっていたでしょう。
23WSJに関わっていた多くの人が、ボーイスカウトに対する理解があった方々だったから、というのはあるかもしれません。東京オリンピックは最初から冷ややかな目で見ていた人が多かったかもしれません。COVID-19の感染拡大が収まらない不安から来る怒りの矛先をどこかに向けたくなるのかもしれません。しかしながら・・・その矛先を向けるべきではないところがあるというのは冷静になって考えたほうが良いのではないかと思う次第です。
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