[短編]「宇宙は13:48の眠りにつく」前編
この小説を、先日三人目のお子さんを無事ご出産されたよしださんご夫妻に贈る。
地球から14億2000キロ離れた宇宙空間を、ホウムシップは音もなくすすんでいた。
目的地は第3宇宙公共共同体、トリーに向けられている。
船に妻と、5歳になる息子と乗り込んだのはもう二年も前のことだ。
その二年間が、ホウムシップに備わるライブレコーダーにはしっかり残されている。父親のマサトはときたま、それを無作為に時間を選んで再生した。愛飲しているウィスキーをオンザロックで飲みながら鑑賞するのもよかったが、たいていはキーボードに向い、眺めるようにして再生することが多かった。
キーボードは学生のときに買い求めた古いものだ。長い年月をかけて白鍵を黒ずませ、一見すると黒鍵と見分けがつかないほどになっている。
この二年の間に実に多くの曲をつくった。それまでどこにでもあるような小規模の出版社に勤めていたマサトは、いざ航行に出て日々の時間的な拘束から解放されると、なにをしていいのかわからなくなった。
そんなときはぽっかりと窓のなかに浮かぶ宇宙を眺めて曲をつくるようにした。
そうしていると、驚くように時間ははやく流れていくし、なにより曲を聴いて喜ぶ妻や息子を見るのがたまらなく気持ちよかった。
そんなわけでマサトは、家族との時間以外はほとんど作曲に時間を費やした。来る日も来る日も作曲を繰り返した。それは日課というより、もはや使命と言うほうが的確だったかもしれない。そうして活動をしている時間の大半を作曲に費やすようになると、その間宇宙を見ているのにもだんだんと飽きてくるのだった。
結果、いまではライブレコーダーの映像を眺めながら作業をするのが常套となっている。
トリーへの到着を目前に控えたいま、この長旅を振り返るのはとても感慨深かった。大して代わり映えのしない景色のなかで、家族との時間、そしてなにより息子の成長だけが記憶と呼ぶにふさわしいものだった。木の適当なところを輪切りにして、その年輪に想いを馳せるようなものだ、とマサトは自分で思い描いて、そして笑った。ほんものの木なんてまだ一度も見たことがないというのに。
トーと比べてトリーにはほんものの木々がある。中央の広場には緑地が設けられ、そこには小鳥たちが飛び交い、人々は朝の優雅なひとときを笑いながら過ごすのだという。
そんな楽園のようなトリー。
機械に支配され、人々がまるでその末端を担っているかのようなトーとはまったく環境が異なった。
住むにも物価が高く、支払う税金の負担もおおきい。そんなところで三年、妻と二人三脚で暮らしたが、もう我慢の限界だった。
トーの住人の平均収入は、トリーのそれと比べて約二倍以上ある、いわゆる上流社会だ。いちどはそんなトーでの格式高い生活というものに憧れたりもしたが、いまではそんなこと微塵にも思わない。むしろあの生活を思い出すだけで気持ちは沈んでいってしまう。
そういう生活をあきらめ、夫婦2人で話合いトリーへの転住を決めた。それが二年前。これからは家族そろって人間らしい豊かな生活を歩もうと、意気揚々とこの長い船旅に出たのだった。
しかしいま、その思い描いた幸せが揺らいでいた。
画像をネガ反転処理させたように、ヤシマ夫婦は劇的な変化にさらされていた。
いや、しっかりと予想はついていた。もう半年も前から。
つづく
|中編>