[短編]「宇宙は13:48の眠りにつく」後編

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 そっとベッドルームをのぞくと、妻が静かに眠っている。ロボットたちも静寂を決め込んでいる。まだ陣痛は始まってはいないようだ。間に合った。

 マサトはポッドの準備をする。手順はいたって簡単だ。3分もあればすべてが完了する。
 ふいに背後に気配を感じて振り返る。そこにはさっきまで寝ていたはずの息子がいた。

「どこへ行くの?」

 心臓がノミのように跳ねた。

「どこへも行けるわけないだろう。ここは宇宙なんだから」

 そう言っても、息子は表情をすこしも変えることなくじっとマサトの目を睨みつけた。そうだ、睨みつけたのだ。

「さあ、つづきを寝よう。まだこんな時間だよ。起きるには早いさ」

 抱きかかえようとしたが、それを息子はひょいと身体をひねってかわした。

「どうした、もう寝たくないのか?」

 マサトは腰に手をあてて訊くが、あいかわらず息子は表情ひとつ動かさない。

「どこへ行くの?」

 そうして、またそう口にした。
 マサトはお手上げだった。もう出産まで時間がない。かと言って、息子をこのままにして飛び出すわけにもいかない。
 どうにかしなければ。
 そこでマサトはさきほど仕上げた曲を聴かせようとおもった。10分を越える曲だ。聴いているうちに眠くなってくれるだろう。

「よし、音楽を聴こう。そうすれば眠くなってくるよ」

 そう言ってマサトは曲をかけるようコンピュータを操作した。
 しかし、しばらく経っても音楽は流れなかった。
 スピーカーには通電している。曲も再生を示すカーソルが動いている。
 ではなぜだ。その理由がわかったとき、マサトは背筋が凍った。
 息子が送信装置に手を触れていた。
 モニタの外部出力にはしっかりと、送信の文字が明滅している。
 つまり、この音楽はいま、外部の船にむけてデータ送信されているということだ。

 もしこの信号が察知されれば、すぐにでも戦闘船から攻撃を受けるだろう。いつ攻撃用ミサイルのレーダーを照射されたことを知らせるアラートが鳴り響いてもおかしくはない。
 しかし、あいかわらず宇宙は静かだった。なんの変化もそこにはないように思えた。むしろいつにも増して宇宙の存在を感じることができなかった。 まるでこの船だけが宇宙として存在し、他にはなにもない、というふうに。
 その間マサトは落ち着かなかった。すでにデータ信号はすべて送信されている。それを取り消すことはできなかった。

 このとき、宇宙では不思議なことが起きていた。ヤシマ一家の乗る船の周辺にある無数の無人戦闘船は、次々に動作不能になった。正確にいえば、未知のデータ信号解析のためにすべての演算処理能力を使い果たしていた。しかしそれでもまだ、その解析には至らなかった。
 作戦行動を指示する信号でなければ、敵味方の識別コードでもない。救難信号とも違っていた。そのデータは現存するどんなデータとも照らし合わせることができない。

 そういった場合、無人戦闘船はデータをちかくの味方機へ送信することになっている。そうやって次々とリレーされ、最終的には司令部のある本部へ送信される。
 ヤシマ一家周辺から端を発したその現象は、いつしか宇宙全体へと規模を拡大させた。
 それはまるでデブリ同士が衝突したかのように一瞬のできごとだった。
 データを受け取った司令部はそれが音声データであることをすぐに把握した。そしてすぐさま13:48ある楽曲を聴いた。そのあいだ、すべての無人戦闘船は待機をするよう命じられた。
 紛争がはじまって以来、はじめて宇宙全体におなじ音楽がながれた。その間、紛争は止まり、宇宙が止まった。まるで眠りについたように。

 曲の最後には、マサトの音声データがはいっていた。いま現在置かれた状況を端的に説明していた。酸素が足らないと、その声は告げた。そのために自らの命を絶つ決断をするマサトに、紛争にかかわるすべての人間が息をのんだ。
 司令部はある指令をくだし、その指令はさきほどとは逆の順序でリレーされ、もっともヤシマ一家にちかい無人戦闘船に届けられた。

 マサトはまだ状況を理解することができなかった。この船がデータ信号を発してしまったのは明らかだ。しかし10分以上もの間、なんの動きも見られない。それどころか、モニタされる他船はぴくりとも動きを示さない。いったい何があったのか。ただ息子と見つめ合うしかなかった。
 
 そんなとき、ベッドルームから介護アームの騒がしく動く音が聞こえた。妻がついに破水したようだった。まずい、こんなことをしている場合ではない。一刻もはやく脱出ポッドへ急がなくてはーーー

「…令船、ニューカリフォルニア。貴船へ告ぐ。酸素タンクを緊急搬送する。すぐに連結されたし。こちらーーー」

 それは初めて聞く外部からの音声信号だった。

 おそらく直接にヤシマ一家のホウムシップへ送られた信号だと推測できた。
 いやに機械的な口調でそれは繰り返された。
 動揺のため、はじめはなんのことか理解することができなかったが、時間が経つにすれ、それがこのホウムシップへの救難援助の知らせだということがわかった。
 マサトの目に思わず涙が浮かんだ。次から次へと涙があふれた。それを不思議そうな顔で息子は見つめた。

「なんでもないんだ。いいか父さんはどこへも行かない。わかるね。父さんはどこへも行かなくていいんだ」

 マサトは無理やり息子を抱き寄せた。今度はしっかりと息子をつかまえることができた。

 ホウムシップのまわりには紛争に関わる組織、勢力からたくさんの酸素タンクが届いた。それは船がトリーについてもあり余るほどの量だった。
 
 最初についた酸素タンクが船に連結されるころ、マサトは産声をきいた。

 ひとつの命が産まれ、新しい鼓動が産まれ、そしてそれを静かな宇宙が迎え入れた。
 この騒動が治まれば、また宇宙は紛争を再開するだろう。それでもこの短い時間、13:48の曲が流れた間だけは、宇宙は穏やかな眠りにつくことができたのだ。

4人を乗せたホウムシップは、まっすぐゆっくりとトリーへ向かっている。




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