世界史100点で数学が8点だった人間
自分の飽きっぽさ
熱しやすく冷めやすい性格についてシャワーを浴びながら思考した
興味のあることはとことん気になる反面
興味のないことは考える時間が苦痛だった
受験という、苦手なものに向き合ってでも点を取る必要性(メリット)があるものですら
できないのだ。興味がないことは。
単に「頭悪いだけやろ」と思われても仕方ない
テストや受験に強い人はどのような思考回路で全教科カバーできているのだろう。だって、好き嫌いあるでしょ?人間だもの。メリットデメリットや義務感を総動員しても、私は数Ⅰにすら向き合えなかったのだ。
しかし、表題の通り私は数学がどうしようもなくできない反面
世界史は得意だった。
世界史や文系科目は試験範囲を網羅することにプライドを持っていたのだ。
それは好きだったから。興味関心があったから。
学ぶことが楽しかったし、自分でできるところまでやりたかった。
その結果、当然通知表は変なバランスになるし、受験を考えれば数学をカバーするのが最優先だった。なのに逃げたのだ。興味関心がないという理由で。
そして大人になった今
私の基本は変わってない
好きなことに手を出し続け、興味のないことから逃げ続けている
20代はそれでいいと思った。だってもう仕事してれば生活できるし
難しいことはしなくても何とか生きていける。
しかし、大人になって何かを習得しようと目指したとき
熱中するのに、いざ苦手な段階になると
「冷めたわー興味なくしたわー」
というスタンスで
さも自分は悪くないかのように
都合のいいように変換している
これはよくない
よくないのだ
ところで私はオタクが好きだ
尊敬している
見ていてうれしくなる
人に迷惑をかけるオタクはいけないが
「好き」になれるものがあること
そこまで夢中になれる「熱量」があるということが
とても羨ましい
何が言いたいのかよくわからないが
シャワーを浴び終わってしまったため思考は終わった。
要するに
これからの人生で夢中になれるものが欲しくて
もう、逃げたりしたくないってことだと思う
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