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現在の治療②-1 人工授精1回目の高温期
前回の記事
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※長くなってしまったので今日に至るまでを2回に分けて書いていきます。
※最後の方に生死に関わる表現があります。
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初めての人工授精を無事に終えました。
夫の精子の状態が悪く、夫もショックを受けていました。
化学流産後初めてのソワソワ期となるため、不安がかなりありました。
人工授精後、感染症などを引き起こしていないかを確認するため、経過観察の通院に行ってきました。
その際に男性不妊クリニックの紹介状を受け取りました。
診断名には「乏精子症」と書かれてありました。
私自身は人工授精後特に問題なく、体調不良などもありませんでした。
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高温期に入ってから、祖母から野菜が届いたから取りにおいでと連絡がありました。
私は、祖母もいつまで元気かわからないし会いにいきたいなという気持ちと、あまり会いたくないなという気持ちがありました。
というのも、以前祖母宅へ行った際に、父が祖母の前で私が休職していることをぽろっと話してしまったことがありました。
それを聞いた祖母が
「いつまでもクヨクヨしてたらあかん」
「元気なんやから仕事に行かないと」
と言いました。
それは自分が一番わかっている。
だからこそ言われるとしんどい。
もう祖母にはしばらく会わないでおこう。
そう思っていたので、行けそうなら行くと返事をしました。
すると、
「なんで?頑張ってきたらいいのに」
という返事が返ってきました。
いつもなら「待ってるよ」くらいの返事なのですが、今回はかなり強く誘ってきていました。
私は「また励ましのつもりの言葉をかけられるんだろうなぁ」と思いました。
うつ病の方に「がんばれ」と言ってはいけないことは有名な話ですが、それは迷信でも噂でもなく本当の話です。
私が診断されていることも知らない祖母は悪気なく私を励まそうとしていました。
悩んだ末、自分のために行かないでおこうと思いましたが、断るという負担がすごく大きく、断る文章を考えている時、断った後の返信を待っている時はすごくしんどかったです。
祖母もいつまで生きてるかわからないという年齢なのに、自分の都合で会いに行かないなんて申し訳ない。
こんな自分が惨めで情けない。
私が不妊症じゃなかったらこんな思いしなくて済んだのに。
そう思って涙が止まりませんでした。
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そのような状況で、さらに私を追い込む出来事が重なりました。
夫が私と口を聞いてくれなくなったのです。
きっかけはなんとなく、「あれかな?」というようなものはあったのですが、明確にはわかりませんでした。
そのため、私を避け始めて2日目あたりに夫になぜか聞いてみました。
その時話してくれたのは
「わかってくれないと思うから言わない」
「今はそっとしといてほしい」
ということでした。
それ以降も夫は帰宅してからも別室へこもりきり、夕食も外食で済ませて帰ってくるという状況でした。
そのような状況が続いて4日目、カウンセリングの日でした。
高温期10日目ということもあり、先にフライング検査をして陰性ならそれはそれで話を聞いてもらおうと思い、フライング検査をしました。
結果は陰性でした。
いつもと違う症状も全くなかったため、そんな気はしていましたが、やはりがっかりしました。
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カウンセリングでは祖母のこと、夫のこと、フライング検査のことを話しました。
泣かないようにと頑張っていましたが、優しい言葉をかけられて我慢できず泣いてしまいました。
夫に避けられ始めてから、一人でいる時間は本当に地獄のような時間でした。
本来こういう時は母に頼りたいと思うものです。
しかし、今の私は母にも頼りたくないと思っています。
妹の子どもが生まれる、それは母にとって初孫ができるということです。
それはそれは楽しみなことでしょう。
私のことを心配しているとは思いますが、どうしても妹の子を楽しみにしている気持ちが滲み出ているような気がします。
楽しみにしていることが悪いことではありません。
むしろ自然なことだと思います。
だからこそ私から距離を取ろうと思いました。
母とご飯に行く予定を一カ月前からたてていましたが、それも断りました。
断る時はすごく辛かったですが、今は家族に会いたくないことを正直に伝えました。
夫に避けられているし、家族に頼るとそれはそれで辛い思いをする、という状況でとても孤独感がありました。
だれも頼れないならいっそ死んでしまいたいと何度も考えました。
死なずに済んだのは、死ぬ方法が見つからなかったからで、方法が見つかっていれば死んでいたかもしれません。
それほど辛い四日間でした。
たった4日ですが本当に長く感じました。
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