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不妊うつになるまで① 治療の始まり 甘い考えとプレッシャー
前回の記事まで、「これまでの経緯」というものを投稿してきました。
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それらの投稿が今現在に追いついたため、
今回からは「不妊うつになるまで」という形で、新たに投稿していきたいと思います。
※「不妊うつ」という病名はありません。
不妊が主な原因でうつ状態やうつ病になるということを、こちらの投稿では「不妊うつ」と名付けて書いていきます。
「これまでの経緯」では、主に治療の経過を書いてきました。
要所要所で「うつの症状が出始めていた」など、精神面のことを書いていましたが、それほど詳しくは書いていませんでした、
というのも、メンタルの話は苦手な方もおられるかなと思ったので、別で書くことにしました。
そのため、こちらの記事では不妊治療による精神面の変化を主に書いていきたいと思います。
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(少し追記)
私は一年半以上子どもを待ち続けていますが、治療法は全てタイミング法のみです。
※執筆当時。その後は人工、体外受精を経験
体外受精の方など、「全然治療の辛さもやらなければならないことも違うじゃないか」と思われる方もおられるかもしれません。
体外受精にはタイミング法とは比べ物にならない、想像を絶する辛さがあると思います。
投稿にあたって不快に感じる方もおられるかもしれないという葛藤はありましたが、
治療法問わず私のようにならないための警鐘の意味も込めて、そして私が不妊治療中に感じた辛さを載せることで、1人ではないということを感じていただければと思い、投稿させていただきます。
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私が不妊治療を始めたのは25歳の時でした。
10月に挙式を済ませ、その翌月の11月から早速妊活を始めることにしました。
生理不順も気になっていたため産婦人科を受診し、「多嚢胞性卵巣症候群」と診断されました。
そして、そのままタイミング法で治療を進めて行くことになりました。
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私は「不妊治療」という言葉を聞いても自分が不妊だとは全く思っておらず、
「不妊治療とはいっても、すぐ妊娠するやろう」と思っていました。
それには理由がありました。
私の母は22歳の時に私を出産しました。
授かり婚でした。
その後、6年間のうちに4人の子どもを産みました。
祖母も叔母も20代前半で子どもを産み、叔母の子である従姉妹も23歳の時に子どもを産みました。
従姉妹は結婚式の翌月には授かっていました。
このような環境、親戚関係の中で育っているため、私も妊娠しやすいのだろう思い込んでおり、ましてや不妊治療とは無縁の人間だと思っていました。
この環境は後々私を苦しめることになりました。
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もう一つ私を苦しめることになったものがあります。
私は友人の中でも結婚は早い方でした。
結婚も妊娠も早めに、早めにと焦っていました。
理由は、祖父の体調が良くなかったからです。
私が20歳ぐらいの時から祖父は心臓が悪く、たびたび手術をしていました。
私たちが入籍したのはコロナ禍真っ只中だったため、結婚式が入籍の一年後になってしまいました。
結婚式は来年の10月にするよと言うと、「遅いわ!」と言われました。
まだ結婚式をしていない状況でも、「そんなことより子どもはまだか!」と聞かれていたので、結婚式が終わるまでは無理だと答えていました。
ある時、祖父が入院してしまい、心配になり連絡しました。
すると「ひ孫の顔見るまでは頑張るよ」と
祖父は返信してくれました。
これは私にとってプレッシャーになっていきました。
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話を少し戻しますが、私が最初に通院したのは総合病院でした。
総合病院なので診察終了時間は15時までだったため、仕事の調整が大変でした。
月経周期が整っていないため、もちろん排卵の時期なども読めず、通院の頻度も読めませんでした。
仕事もその年に異動となっていたためスケジュール感などわからない点が多く、卵胞チェックには行けない日もありました。
とりあえずクロミッドを服用して排卵を誘発し、タイミング指導をしてもらうタイミング法をしていくことになりました。
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一周期目はクロミッドを5錠服用し、無事に排卵しました。
親や従姉妹を見ているので「タイミング一回で妊娠するのは簡単なこと」とばかり思っていました。
しかし、その月は生理が来ました。
病院の先生からは
「妊娠する確率は20%と言われてるんですよ。焦らずいきましょう。」
と言われました。
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続き