不妊うつになるまで④ 変わり果てた祖父の姿
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仕事の都合で通院ができないことから、不妊治療専門クリニックへの転院の準備を進めました。
転院の前にクロミッドを服用してタイミング法を行い、その後生理が来たら卵管造影検査をすることになりました。
そんな時、焦りがより一層強まる出来事が起きました。
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父から、祖父の調子が悪く病院に連れて行こうと思うと言う電話がありました。
祖父が父に「救急車を呼んでくれ」という連絡を頻繁にしていたようです。
本人が言ってるんやから早く呼べばいいのにと思いましたが、父は週末まで様子を見ると言いました。
週末、父が祖父の家にいることができない時間があったため私が祖父の家に行くことになりました。
祖父の家に行くと、いつもの見慣れた祖父とは違う姿の祖父が横になっていました。
祖父は心臓のポンプが弱り、むくみが酷くなっていました。
「おじいちゃんが死んでまう」
そう思ってしまうほど、姿が変わっていました。
祖父自身も気が弱り
「もう死んでまうわ」
と言いました。
そして私に、「子どもはまだなんか」と言いました。
私は動揺しながらも
「まだやねん」
と答えました。
すると祖父は少し怒ったような、諦めたような口調で
「なんでやねん」
と言いました。
「できひんねん」
と、絞り出すように私は答えました。
涙が出そうになりましたが、祖父の前で泣くわけにはいかない。
もう自分が死ぬかもしれないと不安になっている祖父をより不安にさせてはいけないと思い、必死に涙を堪えましたが、我慢ができず下を向いて泣いている顔を隠しました。
私だっておじいちゃんにひ孫の顔を見せてあげたい。
だから頑張って結婚も早くしたのに。
今も頑張って不妊治療しとるのに。
なんでできないんか、私が一番知りたいわ!
悔しくて悔しくて仕方ありませんでした。
父が帰ると、祖父はすぐに病院に行くことになり、そのまま入院となりました。
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私はそれ以降、祖父の言葉を頭の中で反芻してしまうようになりました。
今でもその時の祖父の表情、声のトーン、景色を鮮明に思い出します。
祖父がひ孫を楽しみにしていることはわかっていました。
追い詰められた祖父から出てきた言葉だったため、より重みを感じました。
祖父はその後も微熱が続く、尿が出ないなど不調が続いていました。
そのような状況が続くと私は
「今周期絶対妊娠しないといけない。エコーの写真だけでも見せてあげたい。それに、ひ孫ができたらみるみる元気になって復活するかもしれない。」
という思いが強くなりました。
私はどんどん自分を追い詰めていきました。
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そんな思いを募らせながらフライング検査をしました。
しかし、検査薬は真っ白な陰性となり、生理もやってきました。
「なんで?なんで?こんなに望んでいるのに」
頭を抱えてうずくまって泣きました。
すぐ妊娠できる人が羨ましく、妬ましかったです。
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辛い気持ちを抱えながらも、卵管造影検査をする日がやってきました。
ちょうど不妊治療を始めて半年が経つころでした。
総合病院には妊婦さんや子連れの方がたくさんいます。
「もうここに通うのはしんどい。限界や。」
ずっと感じていたしんどさでしたが、この時が一番しんどかったです。
夫の精液検査も兼ねていたので夫にも休みをとってもらい、来てもらいました。
卵管造影検査は痛くて吐いてしまう人もいると看護師さんから説明を受けていました。
本当に怖くてしかたありませんでした。
「こんな怖い検査せずに妊娠できる人はいっぱいおるのになんで私だけ」
と思いました。
そして、卵管造影検査を行いました。
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続く