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不妊うつになるまで⑤ 祖父との別れ
前回の記事
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祖父にひ孫を見せてあげたいという気持ちから、妊娠しないことへの焦りが募っていました。
そんな時、祖父が入院することになり、私の焦りはより一層強くなりました。
総合病院から不妊専門クリニックに転院する前に卵管造影検査を行うことにしました。
卵管造影検査はレントゲン室で行いました。
坐薬などの痛み止めなしで行う病院だったため、事前に看護師さんに相談し、市販の鎮痛剤を飲んで挑みました。
レントゲン台に乗ったまま造影剤が流し込まれていきます。
最初はなんとなく重苦しい感じでした。
先生が「めっちゃ流れてるよ!」となぜか少しはしゃぎ気味で声をかけてくれました。
レントゲンを撮りながら造影剤を流し込んでいくということを数回繰り返しました。
最後になるにつれて痛みは増してきました。
最終的に「いててててて・・・」と声を出してしまう程度の痛みがありました。
ゆっくりではありますが、すぐに立って移動できる程度でした。
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造影検査の結果は問題なく、その後の周期はクロミッドなしでタイミングを取ることになりました。
まてどくらせど生理が来ません。
妊娠検査薬も陰性でした。
また無排卵になっていました。
祖父が入院して2ヶ月経っていました。
当時はコロナで規制が厳しく自由に面会ができませんでした。
人数制限があり、ようやく面会に行けたのは私と祖母の2人でした。
久しぶりに会った祖父は痩せ細っていました。
もう最期かもしれない、そう直感しました。
祖父の姿を見て、より焦りが強くなりました。
ーー
入院してしばらくして、私から祖父に
「こどもできるように、私もがんばっているからね」
と連絡をいれていました。
そのことについて、祖父が祖母に連絡していたようで、
「おじいちゃんから子供のこときいたよ。一番良い薬になるね。」
と祖母から言われました。
本当はずっと前から頑張ったけどなと思いながら、そうやといいなと話をしていました。
面会日あたりまでは、祖父とラインで連絡が取れていましたが、
しばらくすると連絡が取れなくなりました。
心配で心配でどうしようもなく、何かしなければ落ち着かなかったので、祖父が入院している病院へ差し入れを持って行きました。
もうご飯もほとんど食べることができていない状況だと聞いていましたが、とにかく祖父が好きで良く食べていた食べ物を持って行きました。
持っていってもコロナのため祖父に直接渡すことはできず、看護師さんに渡すことになっていました。
祖父の状態を看護師さんから聞きましたが、状態は良くなさそうでした。
看護師さんの話を聞きながら、涙をこぼしてしまいました。
その涙が効いたのか、もう一度面会できるようにその看護師さんが取り合ってくれました。
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2度目の面会は祖母と叔母が行くことになっていました。
面会当日の朝8時ごろ、妹から連絡がありました。
病院へ駆けつけましたが、もうすでに息を引き取っていました。
面会のことを看護師さんから祖父へ伝えた時、
「待っとくわ」
と祖父は言ったそうです。
父と祖父の遺体の横で、
「おじいちゃん待つの嫌いやったもんなあ」と話をしました。
誰も祖父を看取ることができず、祖父は急に亡くなってしまいました。
最期までせっかちだったな、と思いました。
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葬儀の際、祖父の親戚が
「ひ孫の顔は見せられへんかったんか」と妹に言っているのを聞いてしまいました。
すごくショックでした。
見せられなかった。
私の体がこんなんやから。
申し訳なくて申し訳なくて、葬儀中もごめんねという気持ちでいっぱいで、涙が止まりませんでした。
卵管造影検査をして1ヶ月経っていましたが、生理もきていませんでした。
祖父が亡くなった喪失感と、自分の体への失望感でしばらくかなり辛い日々を過ごしました。
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続く
すみません。次の投稿まで少し期間が空きます。
気長にお待ちいただけると幸いです。