15515の雨男。
今年も5月15日が過ぎていくのだと、そう、思っていた。
...
僕には、父親がいない。僕が小さい頃に亡くなった。
まあ、特に珍しくもない。片親で育つこともあれば、両親共にいないことだってある。
ただ、片親しかいないから暗いやつなんじゃないかとかいう偏見、
父親がいないと発言する度に得られる「ごめんね」。ポイントカード制なら何か貰えてないとおかしいくらいだ。
もう、飽き飽きしていた。
お菓子を買って、とねだらない。欲しいものは欲しい、と言わない。確かに子供らしくない所がたくさん有りすぎて、暗くて大人しいとみられても仕方なかった、と今は思う。
そんな自分は母には少し不気味にみえていたようだ。だが、母を守るという使命を幼いながらに感じていて必死だったのだ。
そんな僕も成人してすっかり大人になり、父親が亡くなってから、もう20年近くたっていた。
もう悲しみなどはとうに越しており、毎年命日にはほぼ雨男と化す父と一年あった出来事を話すのが5月の楽しみになっていた。
が、やむを得ず今年は中止。お察しの通り。
例年よりも薄く命日が過ぎ去ろうとしていた。
...
僕は、いつものようにラジオを流しながら仕事をしていた。
休憩しようとふと携帯に目をやると、
「お笑い芸人◯◯、内臓疾患のため、急逝。」
え?
思ってるよりも大きな声がでた。先日、配信で見かけたばかりだったからだ。
気になりSNSの反応をみると、飛び交う。
「信じられん。」「なんであの人が、、」
「嘘だろ、、」
勿論、主語はなくとも伝わる。僕も驚きを隠せなかった。
若干、36歳だった。命日は5月の15日。
父と、同じ。
ゆかりのある人たちの思い出を読むと、どれも先輩後輩関係なく慕われていたのが痛いほど伝わった。
『毎年5月15日には、同期で呑むことにした。』
僕は、ハッとした。簡単な事だったのに、忘れていた。
会えずとも 好きだった酒を置いて交わせば、そこにいるような気で話せるんだ。
彼らの想い出と僕の何年分もの想いが重なり押し寄せた。勝手に命日を薄めてしまった申し訳なさもあり、気づくと涙が流れていた。
悪かったよ。父さん。。
本当は、今年も話したい事はたくさんあるんだ。今からでも遅くない、よな、、? まず、仕事を転職してさ、、
そう口にしながら、僕は、注ぎ始めた。
end.
あとがき。
来年も再来年も思い出しながら、呑みたいと思った。
彼と父さんの年になるにはあと10年近くある。自分はどんな人間になれるだろうか。
日々、精進する気持ちを忘れない。
川口さん、ご冥福をお祈り申し上げます。