シュラスコ
思い出深い、大袈裟ではなく食と私の関係を改めさせてくれたもの。それが、シュラスコなのである。
二年ほど前、私はとあるジャンルのオタクをしていた。それはもうズッブズブ。もうヤバかった。投票型のコンテンツだった為、大袈裟ではなく身も心も精神もお金も時間も、持てる全てを捧げてもいい。くらいには思っていた(今考えると、恐ろしい思考であり、身を滅ぼすに決まっとるがな、でしかない)。まあ、そんなこんなで、当時の私の食生活は酷い有様だった。食べ物を買おうとコンビニに入る。すると頭の中の自分が指摘してくる。「それ、買う必要、ある?」「その分、あの子に賭けられるよ?」そうなると、もう私は商品を棚に戻すしかなく。それを繰り返す内に、次第に脳内の思考回路の中から<食>というものが消えていく。その昔、私はこの世の快楽の最上位にあるのは<食>だと疑わず、心の赴くまま美味しいものを食べていたのに。昔の私が聞いたら大きな声で笑い飛ばすだろう案件だ。しかし当時の私は、真剣に思考のほぼ全てをあの子にすることにしたのである。
そうして過ごしていたある日、私に転機が訪れる。そう、タイトルにもした、”シュラスコ”との出会いである。
事の発端は、久々に中高時代の友人たちと会うことになったことである。久々に会うので近況等はぼんやりと風の便りで聞いた程度だったので知らなかったのだが、メンツの一人がいつの間にか大層グルメになっていた。そんな友人がここにしよう、とLINEが送られてきたのだ。ほんの数人で会うランチ、どんなもんじゃいとページを開いた私は目ん玉が飛び出るかと思った。
[ ランチ ¥7,000 場所:銀座 シュラスコ]
高い。
いや。高過ぎ。高過ぎる。就職したて、安月給。それでもお金は推しに捧げてきた。そんな私が手にしていい食事ではない。しかも場所は都内一等地、銀座。恐れ多い。何よりやはりランチにこんなにお金かけたくない。そう思いつつこのランチは高いですとも言い辛く、結局私は快諾を装い、このシュラスコへ向かうこととなった。
当日、久しぶりに会う友人達と店前で落ち合い店内へ入った。流石に一等地に店を構えるシュラスコなだけあって、景色も良く、少々気乗りしていなかった私でも高揚感で胸が高鳴っていた。普段はお酒をそんなに飲まないのだが、財布に痛い思いをさせてまで来たのだし、と昼間から飲むことにした。シュラスコに行ったことがある人ならわかると思うが、串に刺さった様々な種類のお肉を持った店員さんが各テーブルを周り、カットし、サーブし続けてくれる、というのがシュラスコの基本ルールだ。そして、各テーブルには一枚カードが置いてある。それはサーブを希望するかの意思表示に用い、お客の私たちがSTOPのカードをテーブルに置くまで続く。ふーん。面白いシステム。それくらいに思いつつ、私のシュラスコは始まった。コースにはサラダバーも付いていたので、まあ体裁だけでもとサラダを取り食べ始めた。(早くお肉をたべたいな)と思いつつ、久々の友人の近況を聞いたり話したりしていると、待望のお肉を手にした店員さんがテーブルを周り始めた。
正直、天国かと思った。色々な知らないような部位のお肉も含め、たくさんのお肉が延々とテーブルに来てはサーブされていく。食べても食べてもまた来るお肉。旨い。肉って最高。凄い。漲るPOWER止まらない。赤身って最高。肉を食っています。私。
最近、推しのことしか考えられてなかったなぁ、私。私、こんな生きてるって感じること、して、いいんだ。食うって凄い。そんな感動的な感想が溢れて止まらなかった。とめどなく、溢れる、生きている、という、実感。
それから私は今までの思考回路が一転した。自分に金をかけるんだ。素晴らしい。私の人生は、私のものだ。そう思い直せたのである。
そういうわけで、私にとってシュラスコは人生の革命であった。人生、何が起こるかわからない。シュラスコで大きく人生が動くこともあるのだな。