共有したい病
おつかれ様です🫖
突然なんですけど、
観劇って一人で行きたいタイプですか?
それとも、誰かと行きたいタイプ??
わたしは後者のタイプです。
観劇した作品がめっちゃ良かった!って時に、それを一緒に語れる人がいたらものすごく幸せです。
これは観劇に留まらず…笑
自炊している時、めっちゃおいしいご飯が作れたら「こんな美味くできたのになんであたし一人で食べてんだ!」ってウルウルなるし、
音楽聴いている時、素敵な曲だな〜っておもったらすぐさま誰かにその曲送りつけるし、
稽古がうまくいった!って時は、ネタバレするじゃないかって勢いで親に話しまくります。笑
とにかく共有したい病。
多分生まれつき。
わたしの生活を知り尽くしている友達(わたしから半強制的に知らされている友達)なんか「明日はカフェにいこっかな〜」とか「美術館に行きたかったのに今日あいてなかった」とか、今朝方みた“くだらん夢”の話とか、可愛い鳥の動画とか、本当にミジンコな私情をみんな知っています。笑
元気な時は元気と言う。
辛い時は辛いと言う。
面白かった時は面白かったと伝える。
田中の喋り成分のうち8割がこれです。
別の友達には「あなたの喋りは『そうですか』としか返せんのや」とよく言われます、
ごめんやねん。
でも辛い時も同じように
「あ、わたし今日ちょっとダメかも、しんどいかも」って思ったら、すぐ誰かに伝えられるのはもしかしたらわたしの良いところかもっておもってます
いまはこうやって「くだらないこと」としか映らない、ごめんやねん!って言わざるを得ない、わたしの共有の病。
わたし、いつかこのいろんな「私が生きてて感じてきた楽しいこと辛いこと感動したことを伝える」という作業が、誰かの支えになればいいのになって。
ちょっと思う。
わたしが「今日、つらいこともあったけど1日頑張った!」って発信する
⇩
見ている人が「たなか今日も頑張ったんだな、ほなワシももうちょい頑張ってみよか」って前向きな気持ちになる
(.可愛い鳥の動画を共有するとかがどうかは別だが!笑)
でも、そうなるにはまだまだ言語に癖がありまくってるし、そもそも受け取る側が喜んで共感するほどの人間的な力や魅力が、わたしにはまだ十分にないんじゃないかって、そのこともわかっています。
わたしが、あなたに共有することで、あなたを励ますことができる、元気を分けることが出来る
こうなる為にはまだまだ険しい道を勝っていかなきゃいけない。
でもいつかさ!
何年も後、わたしが今よりももっと魅力的になった時、このnoteを見返す人がもしもいてくれたら、田中にもこんな時代があったんだな〜頑張ってたんだな〜とか思ってもらえたら、すんごく幸せ。
わたし、まだまだスタートしたばかり。
物語って「起承転結」そろうから面白い、になる。
わたしはまだ「起」かな。
そいとも「承」にさしかかったか?
いや、起、だわ。
起、だと思いたいまである。
たなか、まだまだこれから。
「結」までついていってやろうじゃないかって人、いつも募集中です。
どうか、明日も見守っててね🐤
田中成美
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?