誰に従うのか問題【サピ全6章】

変わらず、サピエンス全史の続きです。

農耕をはじめた人類の生活および精神の形式

空間感覚が縮小し、時間感覚が拡大した。
「家」を作ることで、身内と他者に壁を作った。そして狩猟時代には、空間認識的には、空や森、川辺など、すべてが住処だったし、動植物たちとも共存していた。他との境界線がなかったが、人類は境界線を認識するようになった。

そして、収穫物の保存ができるようになると、それにこだわって死守する心理になっていく。現在の時間価値に対する感覚が低減し、将来の時間価値が上昇した。将来に想像できる畑を壊す洪水に怯えたり、飢饉に怯え、不安ベースの行動指針を身につけるようになる。将来の不安に対して、何かできるのでは?と思って、水かさの推移を見つめたり、年中害虫と戦ったりするようになった。

要は、自分にできることがあると可能性の認識を広げることは、重荷にもなるのだ。現代のわれわれの生活にも、身をもって感じられることがある。
選択肢を多くもっておくことは、めちゃくちゃ有用である場合もあるし、むしろ無用になる可能性だって孕んでいる。

いやぁ、耳が痛い説明だ。
そして、たいていの人の場合、将来のちょっとした安心を得るいうのは、どんなに収穫のために働いても達成できることはなかった。
ほとんどが支配者のために使われたからである。
これは今でもそうではないか?たとえばNISAで投資や貯蓄を促進するのだって、日本円の価値が暴落しないことや、将来に掻っさらわれないという絶対的な約束などない。

神話の役割と合意の調達

ハンムラビ法典とアメリカ独立宣言の例が引かれて、説明がなされる。
この2つは、神による信託や創造物であるというを前提としている。
特にアメリカ独立宣言を、生物学的知見で言い換えて表現している項は面白かった。いかに、自由、平等、権利といった概念をなんとなく信じているかを読者に認識させる。

遺伝子上に載っているのは、快楽の追求でしかない。人間は「万人の万人に対する闘争」でしかないが、権利や平等など、想像の秩序への合意を調達するために、神の存在が必要だったのだ。

「人文科学や社会科学は、想像上の秩序が人生というタペストリーにいったいどのように織り込まれているかを説明することに、精力の大半を注ぎ込んでいる」

この文章には唸ったなぁ。
そして、われわれが日常生活で普通に欲望していることすらも、想像の秩序を守るためだとこき下ろす。海外旅行に行きたいというのも「ロマン主義的消費主義」と一蹴している。

共同主観的に信じている、物語の外に逃げることはできるかもしれない。
だが、その物語の外にもさらに広い物語があって、物語という監獄からは逃れられない。わたしたちは、どこまでいっても一部であり、全体には迫れない存在なのかもしれない。


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