シンプル イズ ベスト 創価は本物の宗教に門前払いを喰らっている
子供の頃高速バスに乗り長旅の末、荘厳な宗教施設へ連れていかれ
本堂まで延々と歩かされた苦い記憶がある。
あれは一体何だったのだろうとふと思い、記憶にある寺の名前を検索した。
そのお寺さんはご健在だった。
そしてそこには大変分り易く創価との関係性が書かれていた。
創価学会はその宗門から破門されていた。
創価の集まりでは開口一番そのお寺と僧侶の批判から始まった。
僧侶が信者の金を使って豪遊しているとかなんとか。
当時子供だった自分は言語化することは出来なかったが
僧侶の一挙手一投足とりあげ「好きなんじゃないの?」と思うほど何もかもを知っていた。
大人同士のバカげた喧嘩。
そんな刷り込み教育を受けていたのか。
豪遊?
権力があり収入もあれば生活のレベルが変わる。
創価学会に金を搾取され貧乏生活を送っている一般信者をひたすら煽っていた。
私が洗脳されていた頃は池田を崇拝していたが、そいつも豪遊していたとは言わないのか?
信濃町に居を構え、エンジン音で区別できる車に乗り大勢の護衛を付けていた。
書物を発行していたがゴーストライターがやっているのは周知。
新興宗教あるあるではとりあえず実在する宗教を崇拝することとある。
日蓮正宗は創価学会の汚い政治利用をすぐに見抜いていたのだろう。
そして当然破門した。
創価がなぜそんなに敵対視しているかというと「ニセご本尊」といわれるところだろう。
創価学会人は印刷物を拝んている。
本物のご本尊は一筆一筆書かれているものだ。
最近ではどこのお寺か存じ上げないが十側用プリンターもある。
別の宗教では人物画を崇拝している。
それは印刷物ではないのかい?
そして毎度毎度創価の集まりの度に自分が正義であるかのように僧侶を糾弾してしる。
話の最後に創価の信者達が大拍手するのが通例。とてもつまらない。
そのためか創価学会内には攻撃的な人間が多い。
下らない諍いが絶えないがもみ消し方も手慣れた物だ。
池田の押印が入った創価の書物は各地域に常備されており、
何かあれば信者たちにそれを上げて事を納めていた。
創価は金と政治と権力にしか興味がない団体だ。
信者を適当におだて金を搾取しているだけ。