ホワイトアウト
私は45歳のとき、車の運転免許を取った。
それまでは免許がなくともさほど不便を感じたことがなかった。田舎の実家に戻った時も、当時は妹が車で送り迎えをしてくれたし、家族旅行をするときも重い荷物を持って子供を抱っこすることが当たり前だと思っていた。
確かに、東京で暮らしている限り、車がないと不便なことはあまりなかった。むしろ、車を保有することによる駐車場代、自動車保険料、税金などのコストが高く、安月給取りだった私にとって車の保有はまったく選択肢になかった。
ところが、田舎で独り暮らしをしていた母が70代半ばになり、それまで近所にいて母を車で送り迎えしていた妹が、関東に出てきたため、母の移動手段が必要になった。母はそれから自転車に乗るようになったが、ある時自転車に乗って転んでしまった。これは、自分が田舎に行った時くらい母の足替わりを務めなければならないと思い、一念発起して車の免許を取ることを決断した。会計士として独立して、ある程度経済的ゆとりを感じられるようになった頃でもあった。
結局運転免許を取ってもなかなか車を買う踏ん切りがつかず、5年ほどはペーパードライバーだった。
今でもそうだが、当時私はまったく運動らしい運動をしておらず、中年太りに悩んでいた。たまたまテレビを見ていたら山歩きの特集をやっていて、興味を持った。中年から始めても初級者コースの山であれば私でもなんとかなりそうだった。しかも、当時住んでいたのは東京の西部地区で、高尾山や陣馬山などの多摩地区の山も近かったので、車に乗って山の麓まで行き、登山して帰ってきて、家でビールを飲む…という休日の過ごし方にあこがれた。
当時私の妹は自動車修理工場に勤めていたので、妹に頼んでサニーの中古車を購入した。
自分で車を運転するようになると、決してうまくはないが運転そのものは楽しかった。片道320kmの田舎へも昔のフォークソングのCDを聴きながら何回も往復した。
ただ、中古のサニーの燃費はあまりよくなく、実家の往復の時に2回給油をしなければならなかったので、当時燃費No.1のプリウスの新車に買い替えた。プリウスの場合は、1回給油すると往復640kmを走行することができた。
プリウスは確か全部で140万円ほどかかったと思う。
プリウスを手に入れてしばらくしてから、実家で亡くなった父の法事をやることになった。私は車で往復しようと思った。プリウスで帰るのは初めてだった。
出かけたのは3月26日の夜だった。私の田舎は雪国なので、真冬はスノータイヤを履かなければならないが、電話で実家に確認したところ、雪はまったくないということだったので、ノーマルタイヤのまま出かけた。
高速道路は最初順調に流れていたが、関越トンネルを抜けて新潟県に入ったとたん、雪が降ってきた。それも吹雪だった。「おいおい、この時期に吹雪かよ」と思ったが、とにかく事故を起こさないよう徐行運転で行くことにした。
ところが、私の車の後ろからダンプカーがかなりのスピードで迫り追い越していった。
「なんだ、みんな結構なスピードで走っているじゃないか」と思い、自分も100kmくらいにスピードを上げてしまった。
その後吹雪が激しくなり、前がよく見えない状態になった。これはやばいと思って一応スピードは緩めたつもりだったが、右カーブに差し掛かった時私は車のコントロールを失ってしまった。目の前が吹雪で真っ白になり、どこを走っているのかわからなくなった。いわゆる「ホワイトアウト」の状態だ。まるでスローモーションのように、高速道路の右の壁にぶつかり、その勢いで車が水平に1回転し、もう一度壁にぶつかってようやく止まった。この時点で後ろから車が来ていたら大事故になり、私はたぶんこの世にいなかっただろう。
鮮明に覚えているが、そのとき「あっ、これは死ぬかもしれないな」と思ったものの、なぜか冷静だった。
高速道路の壁のほうは、ゆっくりぶつかっただけなので大丈夫だったが、車の方は右の車体が前輪にくっついて動かすと「キーッ、キーッ」と音がする。見た目もかなりボコボコの状態だ。しかし、何とか動かすことができたので、高速道路の出口までたどり着いた。
私は、それまで高速道路の通行料は現金で支払っていたので、いつもだと出口の係員に通行料を支払わなければならない。もしそうしていたら、係員が私の車を見て「どうしたんですか?」と尋ねていたに違いない。そうなったら、面倒なことになっていたと思うが、幸いなことに、プリウスを購入した時にETCに加入しており、私は係員のいない出口から出ることができた。
高速道路を降りてから実家まで15kmくらいあるのだが、今にも煙を吐いて止まってしまいそうな車を騙し騙し、何とか実家にたどり着いた。
翌朝、母が私の新車を見たいと言い出した。ボコボコになっている車を見せると面倒なことになるので、妹の車を代わりに見せた。母は「なんか古そうな車だな」といぶかしげな顔をしたが、「最近の新車はわざとこんなデザインにするんだよ」と言って胡麻化した。
法事が終わった後、とてもその状態の車で東京に帰ることは不可能だった。やむを得ず、実家の近くの自動車修理工場に車を持ち込んで見積もりを取ったところ、なんと「100万円」と言われた。
私はプリウスの保険に入るとき、なぜか車両保険を付けていなかったので、この100万円は完全に自腹になり、結局預金を取り崩して支払う羽目になってしまった。
このような「大事故」はこの時だけだったが、その後、私はプリウスをあちこちにぶつけてそのつど修繕費を負担した。もちろん、その後車両保険には入ったが、あまりにも頻繁に保険請求するので、保険の担当者から、「今回保険請求すると、来年の保険料がかなり上がるので、今回は請求しないほうがよい」と言われたこともたびたびあった。
結局、私のプリウスはその後かかった修繕費を上乗せすると「ベンツ」くらいの金額になった。