「やばい」は、やばい

 言葉はその時々の環境や時代背景等によって変わるものなので、一概にどれが正しいか判定をすることは難しい。使い慣れない言葉でもみんなで使って多数派になってしまえば、そのうち市民権を得ることになる。
 
 しかし、昭和のおやじとして好みを言わせてもらえば、おいしい食べ物を食べた時に「やばい」というのは頂けない。はっきり言ってその言葉を聞くと虫唾が走る。
 
 「やばい」というのは、もともとやくざや犯罪者が使う隠語で、「危険だ」「まずい」という否定的な意味で使われていた。おいしい食べ物を食べた時にやばいというのは、「想像を絶するおいしさなので、自分の今までの常識が覆ってしまって、まずい」という意味なのかもしれないが、否定語を肯定的な意味で使うことには抵抗感がある。
 
 「ぜんぜん(全然)」という言葉は、当初「ぜんぜんおもしろくない」という具合に、事柄を全面的に否定する場合に使用されていたが、最近は、「ぜんぜんおもしろい」というように、「非常に」という意味で使われることも多くなった。これは少し違和感があるものの、大分慣れてきた。
 
 けっこう周り(特に役人に多い)でも使っている人がいるが、「ただいま復旧に向けて鋭意努力してございます」という言い方には、まだ違和感がある。「鋭意努力しております」と言えばよいのに、それでは丁寧さが足りないと思うのか、丁寧語の「ございます」に代えたのだろう。福島第一発電所の復旧に向けた説明会で、東京電力の人がよく使っていた。
 
 個人的には、このフレーズを聞くと「慇懃無礼」という言葉を連想してしまう。
 
 「さわり」という言葉を誤解している人は多いと思う。実は私も誤解していた。

 さわりとは文章などの大雑把な内容あるいは最初の部分のことを指すとばかり思っていたが、「義太夫節の中で一番の聞かせ所とされる部分」を指す言葉で「最も感動的な(印象深い)場面」を指すのだそうだ。
 
 そうすると、話し相手に「ちょっとさわりの部分だけでも聞かせてください。」とお願いすると「ちょっと肝心な部分を話せ」という矛盾したお願いになってしまう。
 
 先日、私の右目の視野に黒い糸状のシミが見えた。瞬きをすると動く。最初は目にゴミが入ったのかと思って、顔を洗ったがシミは消えない。これは眼の病気だと思い、生まれて初めて眼科に行ってきた。
 
 診断の結果は、「飛蚊症(ひぶんしょう)」だった。視野の中にあるシミは蚊が飛んでいるように見えるのでその名が付いたそうだ。
 
 眼科医がいうには、これは年齢のせいで病気ではないが一生治らず、慣れるしかないということだった。
 
 ところで飛蚊症の「蚊」は「ブン」と読むのだが、そもそもなぜ蚊という文字が虫偏に「文」になったかと言えば、蚊は「ブンブン飛ぶ」からだろう。
 
 魚偏に「弱」と書いて「いわし」、魚偏に「里」と書いて「こい」。
 
 日本語はなんと融通無碍なのだろう。
 
 そのうち、人偏に「怠」と書いて「グータラ」になったりして…。

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