引越履歴-その2

 証券会社の研修は、その後どんどん増え続け、新入社員研修だけではなく、中堅社員のマネジメント研修や2年次・3年次の研修まで広がっていった。
 
 さらに、途中から証券アナリスト試験1次レベル対策研修も加わった。当時の証券アナリスト1次試験は、「財務分析」「証券分析」に加えて「経済」も受験科目になっていた。財務分析は私たちが普段研修でやっていることの延長で対応できたし、証券分析はHが一生懸命に勉強してテキストを作成して研修講師を務めてくれたが、経済だけは我々の手に負えず、大学教授にわが社の外注先になってもらって対応した。
 
 この結果、わが社は毎日研修をやっているかその資料を作成しているかのどちらかの状態になった。
 
 「猫の手も借りたい」というのはこのような状況を指すのだろう。研修の仕事はどんどん入ってくるのだが、私たちのマンパワーではこなしきれない状態だった。
 
 この段階で、8坪のマンションから15坪ほどの貸ビルに引っ越した。証券会社の研修資料がどんどんたまっていき、その保管スペースが必要になったことと、研修業務の管理のために事務の女性をひとり雇ったからだった。
 
 このオフィスで毎日のように夜遅くまで(ときどき朝方まで)研修資料作りをやった。
 
 当時は家に帰るタクシー代がもったいなので、近くにあった1泊3,000円のカプセルホテルによく泊まった。ホテルに行く前に、Hと近くの屋台のおでん屋で酒を飲みながらわが社の将来について語り合った。会社はできたばかりでまだよちよち歩きだったが、夢は大きかった。今から思うと、あの頃が一番楽しかった。
 
 とにかく、研修のマンパワー不足は頭痛の種だった。
 
 ここで救世主のNが現れる。Nは友人の私から見ても優秀な勉強家で、特に税に関する知識は当時からすごかった(現在彼は税に関する本を何冊も出版しており、税務業界における大御所的存在になっている)。彼は、その後務めていた監査法人を退職・独立していたので、わが社への入社を勧めてみた。
 
 彼は特に研修講師をやりたいわけではなく、当時、税務の顧問先を何件か抱えていたので、お客様に対するサービスを優先したいという意向だった。
 
 私も数は少ないとはいえ、税務の顧問先があった。しかし、このように研修の仕事に忙殺される日常になると、お客様に対するサービスが疎かになる可能性があり、現にそうなっていた。
 
 そこで、彼の事務所に私の税務の日常の仕事をお願いし、私はお客様との窓口業務のみを担当することとして、研修講師の仕事にほぼ専念するとともに、Nにはときどき税金の研修講師を務めてもらうことで話が付いた。
 
 さらに、私とHが務めていた監査法人を退職した公認会計士などが入社してわが社は、公認会計士5人体制になった。
 
 やはりNは優秀で、税務のお客様がどんどん増えてくる。
 
 そうなると、税務業務を担当する事務員を雇わなければならず、15坪の事務所では無理だということになり、さらに近くのビルに引っ越した。今度は30坪くらいで、その後事務員や税理士を10人ほど採用したが、すぐに手狭になり、同じビルの別フロアを借り増しした。
 
 仕事はいったん順調に転がりだすと、いろいろなビジネスが向こうから飛び込んでくるようで、研修業務では証券会社の関連会社数社の研修が決まったし、コンサルティング業務では一部上場企業の自動車会社や音楽業界、ゼネコンなどの仕事が入ってきた。
 
 時はちょうどバブル真っ盛りの頃だった。全員が夜遅くまで仕事をして、体はヘトヘトになったが、心はウハウハだった。
 
 当時のわが社のモットーは、Come on baby! We are every time OK! だった(これはアメリカの航空母艦にでかでかと書かれていたらしい)。
 
 たまに仕事が早く終わった時も、みんなで飲みに出かけた。当時私は千葉県の内陸部に住んでいて、タクシーで帰ると15,000円ほどかかったが、しょっちゅうタクシーを利用していた。
 
 現在、私が何かというと人を誘って飲みに行きたがるのは、この頃の習慣が影響しているのかもしれない。
 
 社員旅行も派手だった。毎年、グアム、サイパン、ハワイと海外に出かけた。当時は日本中が浮かれていた。
 
 その後、業績も順調に推移していたので、わが社はさらに新社屋に引っ越した。小伝馬町にあるビルの1フロアで100坪あった。家賃は坪4万円だったのでひと月に家賃を400万円払わなければならなかった。
 
 調べてみたら、この小伝馬町のビルの近くには江戸時代に小伝馬町の牢獄があり、刑場もあったらしい。職員のひとりがそのことを心配そうにしていたので、念のため、神棚を設け神主にお祓いをしてもらった。
 
 しかし、そのくらいのお祓いで厄は消えなかったらしく、その後わが社の転落が始まった。

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