肩たたき券

 先日書類を整理していたら、息子が子供時代に私の誕生日のプレゼントとしてくれた「肩たたき券」が出てきた。
 
 その券でお父さんの肩を100回たたいてくれることになっている。おそらく小学校低学年の時のもので、たどたどしいひらがな書だ。もらった時はばくぜんと将来使おうと思って保管しておいたのだが、有効期限は書いていないので、今でも使えるかもしれない。
 
 人生の最後、死の床にあるときに使おうと思っている。
 
 私は、子供たちが小さい頃は仕事一辺倒で、一緒に過ごす時間があまりなかった。家に帰るのは子供たちが寝た後で、朝食の時少し顔を合わすだけだった。見かねた奥さんが、「お父さんノート」を作ってくれて、娘・息子との間で文通を始めた。
 
 今手元に5冊残っているが、読み返すと、子供たちが小学校で生き生きと生活している様子がよくわかる。私は夜中に家に帰ってから返事を書かなければならず、酔っぱらっているときなどは文字が躍っている。
 
 ある日のお父さんノートを見てみよう。
 
(息子)「きょうは、がっこうで、はじめておそうじとうばんをやりました。おきょうしつとろうかをぞうきんで、からぶきしました。いっしょうけんめいやったのであせがでました。(この後汗をかいている息子の似顔絵)」
(お父さん)「おそうじとうばん、ごくろうさまでした。○○ちゃんがかいたえは、さいしょないているときのえかとおもいましたが、あせをかいているときのえだったんだね。あせをかいてそうじをいっしょうけんめいにやることは、とてもすばらしいことだとおもいます。がんばってね。」
 
 ノートを見て、「透明人間になって学校に行き、子供たちがどんなことをしているのか見てみたい」と思った。
 
 今、私の机の脇には、娘が2歳、息子が0歳の時の写真が飾ってある。最初に生まれた娘の写真はたくさんあるが、息子のものは少ないため、奥さんが歩行器に乗っている息子の写真を撮ろうと思ったところ、娘が「わたしも~!」と言って歩行器に乗っかったところを映したものだ。
 
 写真では娘の頭から足が出ている。娘が勢いよく歩行器に乗ったので、エビぞりになったためだ。
 
 私はこの写真を会計士として独立してから、ずっと机の上に飾っていた。だからこの写真は、30年以上にわたって私の楽しい時、苦しい時を見てきた。
 
 子供が欲しくても生まれない家庭もあるので、あまりはしゃいだことは言えないが、私の場合は、子供が生まれてくれて本当に幸せな人生だった。
 
 私は若い頃は痩せていて、今では考えられないが、腕や足は細かった。ある時、息子を自転車の前の補助いすに乗せて走っていたとき、私の腕をつかんでいた息子が「うわー、腕が太い!」と言ったことがある。
 
 大人の目から見れば細い腕でも、息子から見れば太いと感じたのだろうが、このとき私は、自分のような細腕でも頼ってくれる子供のため、一生懸命に生きようと思った。
 
 現在40歳を超えた息子は、独立して別居しており、めったに会うことはない。
 
 孫に会いに行くと、ときどき会うこともあるのだが、(当たり前かもしれないが)会っても小さい頃のように嬉しそうな顔はしない。
 
 不愛想な表情で、あまり口をきいてもらえない。
 
 私は20代のときに父が亡くなったので、老人になった父と中年の息子がどのような会話をするのか想像したこともなかった。
 
 父の葬儀の時、初めて会った父の会社の人から「あなたが生意気な息子さんですか?」と尋ねられた。
 
 父は会社の同僚に「うちの息子は生意気で困る」と言っていたらしい。
 
 家では口数も少なく、酒を飲んでテレビを見ていた父が老人になるまで生きていたとしたら、きっと私との会話はほとんどなかっただろう。
 
 私も老境に入り、いつ何時お迎えが来るかもしれないので、息子には田舎の墓のことや自分の遺産の分割について話しておきたいのだが、なかなか面と向かって話すのは難しいものだ。
 
 小さい頃、嬉しそうに私に抱きついてきた息子は、写真の中でにこにこ笑っている。

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