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Music in my life♪ ~part 2~

影響を受けた音楽の紹介。今回は中高生の6年を紹介。

啓光学園中学高等学校に進学した僕は、新入生歓迎演奏で度肝を抜かれ、その日のうちに音楽部(ビッグバンド)に入部し、サックスと巡り会う。
↓に細かく出会いを書いているので、まだ読んでない方はどうぞお読み下さい。

啓光学園軽音楽部は別名があります。
Swing Jugglers!=スウィングの魔術師(道化師???)❗️
といっても、歌謡曲半分、スウィング半分でした😁

とにかく楽しかったなぁ〜♪
というわけで、中1の時に聴きまくったのがグレン・ミラーでした。

好きな曲はまだまだある。
当時レコードと同じ値段のカセットを買って、ずっと聴いてました。

中1の最後の定期演奏会で、カウント・ベイシー・オーケストラの"It's Oh So Nice
"って曲が仕上がらず、顧問の平原先生が『これは差し替えよう!』っておっしゃった。
部長の西村さんはどうしても演奏したかったようで何度もやりましょうって言ってたんやけど、結局出来なかった。
まだJazzのJの字も分からなかった僕は、出来ていない度が全然分からなかった。

大学生くらいかな…グレン・ミラーのスウィング・ジャズと、ベイシーのネスティコもの(カウント・ベイシー楽団の楽曲の中で、サミー・ネスティコがアレンジしたもの)を比べたら、スウィングのノリが全然違うことに気付きました。

真珠の首飾りはスウィング・ジャズ絶頂期の曲。いわばダンス・ミュージックなので、このノリが一番踊りや勝ったのかも知れないし、ムーン・リバーは1963年の作品。ビッグバンドがダンスホールのBGMだった40年代から、リスニングとしてのそれを確立したネスティコものとは比べようがないけれど、この♫の吹き方が、白人のノリと黒人のノリを分けるところだと思う。

因みに↓がIt's Oh So Nice

きっとノリが全然出てなかったんやろなぁ。。。
いや、先輩はノレてたかも。俺は全然こういうのが分からなかった。


Alto Saxを吹き始めて最初に出会ったSax奏者は、勿論ナベサダさん。
こちらも、カセット買い漁ったなぁ〜💦

そして、ナベサダさん初レコードはこれ!
宮崎美子さんとやってたパッソルのCM好きやったぁ😀

今でもコレをちゃんとカヴァーするのが夢です。

ナベサダだけじゃなく、ヒノテルもBest盤ひとつ持ってました。

当然、カシオペアやスクエアもいっぱい聞きました。
カシオペアは4×4まで。スクエアは打ち水にRainbowまで全部レコード買った。


JazzからFusionが好きになって、うたモノは殆ど聴かなかった中1中2。
小学校の時にクリスタル・キングが好きだったせいもあって、歌は声量!って思ってたし、凄いって思える歌に出会ってなかったこの頃。
でも、中3のある日のある夜、ラジオからこの曲が流れたんです。

↑、きっと直ぐに削除されちょうやろなぁ💦

ここから今日まで🤣💕山下達郎さんにどっぷりです。
バンドスコアを買ってコード進行を学んだり、スコアに書いていない音を書き足したり。。。

そして、『クリスマス・イブ』のような曲に出会って、歌詞の大切さを知り、そこからニュー・ミュージックをいっぱい聴くようになりました。
佐野元春・ユーミン・EPO・矢野顕子。。。
色んな人が1割🤣💕殆どタツロー1色でした。


高校生になって、音楽部とは別にバンドを組んだりして、そんな友人の影響から『ニューウェーブ』ってジャンルを聴くようになりました。

そこから洋楽もチョクチョク聴くように。
僕らの世代の音楽好きは、小林克哉さんの番組『Best Hit USA』や、Sony提供のプロモーションビデオをずっと流す番組(金曜か土曜日の深夜)を観てましたよね☺️
そこから、Billy Joelのファンになりました。

電子音バリバリのテクノは余り好きではなかったけど、Japanのデビッド・シルビシルビアンとYMOの坂本龍一さんが交流深かったので、逆にそっちからYMOをちょびっと聴きました。


とかく、山下達郎さんにドップリだった高校生時代でした。

今日はココまでです。
最後までお付き合いいただきありがとうございましたm(_ _)m

サポートどうぞ宜しくお願い致しますm(_ _)m