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母の祖国、フィリピンへ行く

フィリピンでの思い出をnoteにまとめようという気はあったものの
あまりにも情報量が多すぎて少しずつ投稿しようと思う。


28歳のツボイおおよそ20年ぶりのフィリピンへ

とにかく空港に慣れていなさすぎてヤバかった。
役所みたいに案内カウンターみたいなもんがあるっしょ!と思っていたが、無い。
そして見渡す限りみんな外国人。
マニラの空港に着くとネット繋がらない、英語がわからない、どこ行けばいいかわからないという状態で
見知らぬ顔が怖いフィリピンオジサンと母との通話通訳のおかげでどうにかなった。
運が良すぎる。
そして念願のジョリビーを食する。

ホテルのすぐそばにあったジョリビー

マニラで一泊だけ宿泊し
翌日は港までバスで3時間、船で9時間。
バスは時間出発ではなく、人数がいっぱいになったら出発スタイル。

バスん中。出発待ちでナッツとか売る人おる
マック前....
マジでTシャツ捲りオジサンめっちゃおる


船は1月は海に波があるので揺れやすいらしく
わたしは2時間くらい動けなくなった。
マジでこの船9時間が苦行だった。

こんな感じのデカい船


ほぼ一日かけてやっと母の地元の島、タブラス島に着く。
実際は飛行機乗り継ぐ方法もあるらしい。
(そっちの方がええやん・・・)

フィリピンは治安が悪いと想像するが、おそらくマニラの一部だけで、田舎の方は余裕。
誰もがその辺でスマホいじってたりするので余裕。
しかし言葉が通じなさすぎるのと、海外に来るとネットが使えなくなる。
(なぜその可能性を考えなかったんだ・・・)
そして母がいないとどうにもならん赤ちゃん状態になってしまう。

とにかく人が集まり、病んでるヤツはいなさそう
無限に現れる母とわたしのいとこや親戚、もう誰が誰なのか分からん。
そして出かけたりすると、誰なん?と思いつつ毎回誰かがついてきたりする。
買い物やビーチでカフェタイムをした帰り道にも親戚や友人の家に寄り
「よ!いまカフェ行ってきた帰りよ!あんた調子どうよ!」など軽く立ち話をしている。
めっちゃ人が交流する。

夜の海沿いに行った時には、バーベーキューのお店に地元の人たちが集まっていて
串で焼いたチキンや豚肉を食べた後
大人たちはビールを飲んだり、子供たちが走り回って遊んだり、ティーンエイジャーは堤防に座っておしゃべりをしたりしている。絶えなく笑い声が聞こえる。
これが毎日。

母の友人のおばさんたち
飯食ってる人と乞食してる犬
わたしを韓国人と勘違いしてるキッズたち


enjoyすぎん??

人って自然とこんな風に集まったりするのか。
そんな風景を見ていたり、自分がその中に入ったりすると
自分が孤独だと思う人は絶対にこの中に居ないだろうと思う。
しかし母は、「あの人達はとても貧乏で、生活は大変よ」と。
母もここで生まれ育ち、子供の頃はかなり貧乏だった。
幸せとは何なのか考えさせられる。
しかし日本には無いパッションに満ち溢れていると分かる、言葉が話せなくても分かる。

わたしはフィリピンハーフだからだ・・・

続く

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