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自分だけが不幸だとか思っとんなよボケ

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青年期のツボ父


2月振りに三重県へ帰ってきた。
おおよそ半年ぶりだろう。
今回は鈴鹿市でイベントに参加する、ということと
実家でウダウダするという目的を兼ねての帰郷となった。
そして母と近所のバカ混みするイタリアっぽい飯屋で
大人になって初めてまともに対話したのだけれど半端ない情報量だった。


父と、父の家系について


わたしが子供の頃から生まれ育った家は父も子供の頃に建てた家でおそらく築70年だ。
今までにリフォームなどを繰り返しただろうが
なかなかにボロい。
わたしの知っている父の兄妹は、妹のアケミさんだけで、隣町に嫁ぎ二世帯で暮らしている。
アケミさんは、父より結婚が早かったのでわたしの従兄弟達はわたしが6歳の頃には既に大人だった。

父は親戚付き合いもあまりせず、というか語りもしなかったので
二人兄妹だったのか?と思っていたし
そもそも子供の頃からずっと家にいる父は自然と長男だと思っていた。
が、違ったのだ。

父は次男で、長男は青年期に亡くなっていた。
何故若くして亡くなったのかはわからないが、父いわく「賢い人だった」そうだ。

その兄に代わり家に残り
嫁ぐ妹を見送り
年老いて病気になった祖父祖母の面倒をみながら働き続け
そして祖父祖母が亡くなり家で一人になった父は40歳。
気づいたら伴侶のいない孤独オジサンになっていた父はどうしたものかと日課で読んでいた新聞紙を開くと
『フィリピン人女性 お見合い 斡旋』
という文字を見つける。

「コレや!!!!!!!!!!!!!」

と思ったのか現地のお見合いパーティへ出向き母と出会い

母「お父さん、一番カッコイかったから選んだの」

実際に父は"男前"だったのだ。
それはツボイのような美が爆誕してしまうだろう。
孤独オジサンだった父はやっと家庭を持つことができたが、更なる悲劇が襲う。


もう一人の妹、「ミチコ」について


父は、4人兄妹だった。
その末っ子、ミチコは東京へ嫁ぎ
女の子一人をもうけたが離婚。
精神的に不安定になり、働くこともできなかった。
その頃に父は土地貸しでそれなりに儲かっていた頃なのでミチコへ仕送りをしていた。

母「でも死んじゃったの」

ツボ「なんで死んだん・・・?」

母「お父さんあまり言わないから分からない、でもお酒と薬たくさん飲んだって」

エエーーーー・・・・・・
ミチコ・・・・・・・・・
酒ODで死んだの・・・・・


父は一人で東京へ行き、妹のミチコを迎えに行ったという。
思わずウッとしたところで気になった。
その一人娘はどうなったのか。

母「娘はメロディ。ずっと東京でコンピュータの仕事、今お金持ちよ」

ツボイ「え?メロディが名前?純日本人よな?」

母「そう日本人よ。」

東京に従姉妹がいる、しかもバリキャリのツボイメロディ(40歳)が・・
キラキラネームという言葉すらなかった時代、子にメロディと名付けたミチコ・・
どんな人だったんだろう、気になって仕方ない。

母「だからお父さん、東京いったアナタがシンパイ」


知ろうとしなかったのはわたしじゃないか。
本当に情けない。

わたしは子供の頃から破天荒なのに繊細だった故、強くありなさい、人に合わせなさい。と言う父が嫌いだった。
きっと、遠い地で失った妹への悲しみ、後悔が入り混じって出てきた言葉だ。
思春期の頃は、むしろそれがわたしを不幸にしているとすら思っていた。
自分だけが不幸だとか思っとんなよボケ


母「東京どう?楽し?」

ツボイ「楽しいよ、友達いるし。仕事は辞めたけど・・・バイトするからどうにか。」

母「アナタ、本当強いね」

1月に母の地元、フィリピンへ行こう。という話になった。
わたしのもう一つのルーツを知りたい。
今、東京行きのバスでこの文を綴った。


おわり


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