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台湾BLドラマ『僕らも知らない僕らーUNKNOWNー』

 年末年始の休みに、以前から見ようと思ってそのままになっていた映画などをAmazonPrimeで見ていたときに、おすすめにあったドラマを見たらとても良かったので、これを紹介したい。ヘッダ画像は、その作品のDVDのバッケージ画像を使用している。
 近年は、BLモノのドラマが地上波などでも放送されたりしているが、個人的にはドラマだけでなくテレビすら見なくなって久しいため、まとまったドラマを見ること自体、久しぶりであった。今回紹介するドラマは台湾の作品だが、原作は大陸側――上海出身でBL小説をネット上で発表している作家のものだ。
 BLモノのドラマや映画を生み出す国(エリア)としては一般的にタイがもっとも有名で、台湾および中華人民共和国の中華圏、そして韓国も有力だ。日本の作品もそれなりにあるが、BLというにはキャラクターの年齢層が高かったり、ドタバタコメディ的なものがほとんどだったり、個人的にはあまり思い入れのある作品はない。唯一、映画『エゴイスト』は極めて優れた作品で思い入れがあるが、BL映画というよりゲイ映画の範疇に入るであろう。
『おっさんずラブ』は文字通り主役格がおっさんだし、『きのう何食べた』は、ゲイカップルが主役の料理漫画のドラマ化でどちらもBLではない。ドラマとしては『チェリまほ』くらいが原作漫画ならラブコメBLかもしれないが、ドラマや映画となるとBLっぽくは感じられず、個人的には思い入れはあまりない作品である。
 BL作品とゲイ作品の違いを論じるのは、あらゆる分野のジャンルの境界問題と同様に極めて難しい。さらに個人的な好みの問題にも関係し、記事の趣旨からも外れるため、詳しくは触れない。が、BLモノは読者や観客層として主に女性を想定していることは重要な要素であることは間違いない。
 そんな中で、『僕らも知らない僕らーUNKNOWNー』は、コメディ要素は少なく、1シーズン12本の各回の展開の良さを含めストーリーが素晴らしく、最終的なハッピーエンドまで一気に見てしまった。ハッピーエンドでなかったとしたら、極めて重い作品になってしまっていたであろう。それはそれでアリともいえるが、メッセージの方向性は異なってしまう。
 BLドラマの様式に則り、主役二人はイケメンの俳優である。この点は、女性をメインターゲットとするBLモノとしては重要なポイントだ。

異形の家族の物語

 リンク先の作品紹介文をお読みいただくをわかる通り、主役の二人は義兄弟でいわゆる血のつながりはない。両親を亡くし、兄(ウェイ・チエン)と妹(シャオ・パオ)の二人暮らしをしていたところに、詳細な事情は語られないが、ホームレスの少年(シャオ・ユエン)を家族として迎え入れるところから物語は始まる。この、血のつながりがない兄に対して弟が一方的に恋愛感情を持つが、その思いは秘められたまま物語は進んでゆく。
 高校生にして、自分を含め三人家族の父親であり母親の役割を担ったウェイ・チエンは危険な組織に入ってまで、必死にお金を稼ぐ。ウェイ・チエンは弟たちにはアルバイトなども許さず、学業に専念し学校生活を楽しむように、かなり頑なに押し付ける。このウェイ・チエンの一本気な性格がストーリー展開において重要な要素となる。
 ホームレスだったシャオ・ユエンを受け入れてくれただけではなく、時には身体を張って守り抜くウェイ・チエン。家族愛を超えた愛情をシャオ・ユエンが「兄」のウェイ・チエンに対して抱くようになることも当然だと思われるような出来事が次々と起こる。
 また、わき役であるサン・パンも、この異形の家族の家主として家族以上の役割を果たす。
 なぜ、血のつながりがないシャオ・ユエンに対して、ウェイ・チエンが必死に「家族」として「弟」として守り抜こうとするのか。その背景には、亡くなった母親に苦しめられたトラウマがあることが、度々回想シーンとして挿入される。兄と同様にシャオ・パオも母親に対するトラウマを抱えていることで、兄妹間の衝突につながる場面も出てくる。
 一言で言ってしまえば、「家族にとって重要なのは、血のつながりではない」という、極めてシンプルながら強いメッセージが、この作品の根底にある。ハッピーエンドではなかった場合にはメッセージの方向性が異なるといったのはそのためである。
 基本的に、結婚は血のつながりがない者同士のつながりが基本にある。特に恋愛感情がなくても、制度上は結婚が成立する。しかし、結婚とは単に制度に過ぎない。日本において法的な制度が整備されてから二百年程度しかたっておらず、法制度が整備される以前も、整備されて以降も、時代と共に結婚に対するイメージは変化し続けている。現代ではさらに、個人個人で結婚に対する考え方も多様化している。
 つまり、制度や法律で縛らなくてはならないということは、結婚制度自体が幻想であることの証である。同様にして家族も幻想である。
 日本は父方直系家族が優勢で、これは極めてイデオロギー色が強い家族類型でもある。日本人が家族と言えばこの「父方直系家族」を当然のこととして想定し、法制度もそれに準じて整備されている。日本のフェミニストたちが「家族」を問題視するのも、日本が父方直系家族という男性絶対優位の家族類型が優勢であるためであり、また、家族自体がそもそも訂正可能性が基本にあるという議論を受け入れにくいのも、フェミニストたちも父方直系家族のイデオロギーに縛られているからであろう。

 父方直系家族は不平等かつ不自由が絶対条件である。土地も家業も財産も、すべて長男のものになり、二男以降の息子にも、長女以降の娘にもなんの権利もない。これが父方直系家族における不平等の原則だ。また、長男は家を継がねばならず、二男以降の息子と長女以降の娘は家に残ってはならないというが不自由の原則である。
 しかし、戦後に平等の概念が法律に持ち込まれたために、相続などに関して問題が発生することとなった。父方直系家族のイデオロギーと法律の齟齬があり、また家族内での思惑の不一致がもたらすものだ。少し前に問題になった「ミツカン種馬事件」は父方直系家族のイデオロギーがもたらした悲劇である。そして最も悲劇的なのは、当時の社長が自分の非に気づくことすらできないほどのイデオロギーの頑なさである。
 法整備がされる以前、たとえば江戸の町は地方から出てきた二男以降の男たちが過剰になっており、結婚とは無縁である場合がほとんどで、家族を持つこともなく死んでゆく。二男以降の男たちを出稼ぎ労働者として吸い寄せては殺すだけの江戸の町は蟻地獄だったと言われる現象だ。頑ななイデオロギーは、多くの人間を踏み台として保たれるもので、どれだけの人間が血を流しても揺るがない。

 著者の速水融ではなく、磯田道史の顔画像がトップにくる帯に対するそっちじゃないだろ感はともかくとして、江戸時代感が抜けきらない日本人には『歴史人口学で見た日本』はとても重要な本である。

原作者Priest

 このドラマの原作は、PriestのBL小説『大哥』である。さかのぼるとネット上で公開された小説だったようだ。
 Priestの筆名で活動している作者の詳細は、ネット上で調べた限りはよくわからない。上海出身であること、晋江文学城というサイトで活動していたことなどは共通した情報だが、女性であるようだがその記述がない場合もある。

 BLモノの範疇内で幅広く作品を発表しており、web小説として発表されたのち、書籍化されたり、韓国語、タイ語、ベトナム語、台湾語、日本語、英語などに翻訳されたり、映画化やドラマ化されている作品も多い。わたし自身、今回このドラマを見て興味を持つまでは、全く知らなかった。BL作品が大きな市場を持っていることは寡聞ながら知っていたが、特に思い入れはなかったのだ。漫画やアニメでは必要以上にイケメンに描かれ、実写モノでもイケメンしか登用されず、ファンもストーリーなどより、俳優のルックスが好みかどうかが優先される。萌えるかどうかも、ルックス次第なのだ。そういうジャンルに興味がわかなかった。
 しかし、「僕らも知らない僕ら――UNKNOWN」を見ると、ジャンルとしても十分に成熟していることがよく解る。成熟度としては日本は遅れをとっているように思うが。もともとのファン層である女性たち、とくに腐女子と呼ばれる人たちだけでなく、幅広い人たちに受け入れられる作品が出てこないと、ジャンルとして成熟しているとは考えられない。あくまでわたし個人の感覚ではあるが。
 残念ながら原作は未読であり、原文が中国語であるため、今から読めるようにするには人生の残り時間がすくない。なので、このドラマがどの程度原作に基づいているのかを判断できないが、そもそも原作が人気を博していたことから、原作自体がすぐれた作品だっただろうということは想像に難くない。
 ホームレスの少年を弟として受け入れた兄との関係が、やがて恋愛感情に発展する、という基本的な設定だけなら、素人でも考えられるだろう。しかし、この設定に読者が感情移入できるものにして、ストーリーとして優れたものにするためには、作者の力量が必要である。特に、この基本設定を「異形の家族」の物語にしたエピソードやセリフの数々は、恐らく原作に基づいたものではないだろうか。
 このドラマの原作『大哥』は日本語訳されていないが、他の作品はいくつか日本語訳もあるようなので、読んでみようと思う。
 「異形の家族」であり、トラウマとしてしか親が存在しない家族の可能性を描いたことは、原作者の思いが反映されているように思われる。既存のファンはPriestという筆名しかない存在でも気にしないのかもしれないが、わたしはPriestという筆名の背後にいる人の、バックグラウンドにとても興味がある。さらに言えば、Priestという作家を生み出した、現代の中国社会状況に対する興味も、今までとは違った側面から見れるようにも思えるのである。
 さらに言えば、このドラマが台湾で作られたことも興味深い。政治状況しか見ない一部の人たちにとってのリアリティである「台湾有事」がどうとか「中国脅威論」とかだけではない、中台関係とその背後にあるもの、あるいは文化すら政治によって極めて厳密に縛られる現代中国で、このような作家が輩出されることも、注目すべきことであるように思われる。
 やはり、「政治」にばかり目を奪われていると、多くのことを見えなくしてしまうのではないだろうか。


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翼駿馬
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