【期間限定☆1巻まるごと無料公開】ふしぎアイテム博物館「第6話 縁ジェルちゃん」
放課後。
わたしと悠紀は並んで下校していた。
わたし──連城愛は、中学一年生。
身長は150センチ。体重はナイショ。
ちょっとツリ目で、髪型はショート。
部活は料理部で、委員会は放送委員。
そして、となりを歩く、伊東悠紀のことが好き。
悠紀とは幼なじみで、幼稚園のときからずっといっしょ。
幼稚園のときから、ずっと好きだった。
「それにしても、愛と帰るなんてひさしぶりだな」
と悠紀がつぶやく。
そう、ひさしぶりだった。というか、こうしてふたりで話すこと自体ひさしぶり。
小学生のときは、毎日話していたのに。
でも、そうなった原因は、わたし。
悠紀に気持ちがバレたらどうしようとか。逆に嫌われたらどうしようとか。クラスメイトにからかわれたら恥ずかしいとか。
そんな風に考えすぎて、意識しすぎて、照れてしまって、わたしのほうから悠紀と距離をとっていた。
だから今日、偶然玄関で会えて、悠紀のほうからいっしょに帰ろうと言ってくれて、ほんとうにうれしかった。
「……そうだ、悠紀、これ」
いま思い出したみたいに演技して、わたしはバッグからマフィンを取り出した。
「今日、部活で作ったの。あまっちゃったから、悠紀にあげる」
ほんとうは、悠紀に食べてもらいたくて作った。
「へえ、ありがとう。いま食べていい?」
わたしは、うなずく。
悠紀はラップを外して、大きくかぶりついた。
「……うん、おいしい」
「ほ、ほんと?」
「ほんとほんと。今日食べたマフィンの中で、いちばんおいしいよ」
え?
「なんか、料理部の人たちみんな、ボクにマフィンくれたんだよね」
「…………」
悠紀は、モテる。
背は高いし、清潔感があって、だれにでも分け隔てなく接するから。
おまけに、一年生ながらサッカー部のレギュラーにも選ばれてるし。
だから、ライバルは多い。
「……ねえ悠紀、料理部の子たちのマフィン、どうだった?」
「どうだった? 部活終わりでお腹空いてたし、ラッキーって思ったな」
心の中で、ホッと息をつく。
よかった。料理部の子たちのこと、とくになんとも思ってないみたい。
……でも、わたしに対しても、そうなんだろうか。
悠紀はわたしのことを、どう思っているんだろう?
中学生になって、話す機会は減ってしまったけど、わたしと悠紀はたぶん仲が良い。
だけど、悠紀はわたしのことを、仲の良い幼なじみとしか見ていないかもしれない。
ねえ悠紀、わたしのこと、どう思ってる?
その一言が、どうしても言えなかった。
だってもし、なんとも思ってないって言われたら、きっと、いまの関係すら崩れてしまう。
「ごちそうさま。ありがとう愛」
そう言って、ほほえむ悠紀。
人の気も知らないで──と、ちょっとムカついたのだけど、結局は許してしまう。
だって、わたしは、悠紀のまぶしそうに目を細める笑い方が、大好きだから。
それから、悠紀とは自分の家の前──ではなく、雑貨屋さんの前で別れた。
料理部で使うキッチン用品が見たかったんだ。
わたしのおこづかいじゃ買えないことも多いけど、見ているだけで楽しいもん。
ちなみに、悠紀が「ボクも付き合うよ」と言ってくれるかもと期待してたんだけど、あっさりと「じゃあまた明日」と帰っていったので、ちょっとヘコんでる。
お店に入り、ヨーロッパから輸入されたというマグカップを手に取る。
これ、かわいい。……あ、でも値段はかわいくない。
「……ん?」
店員さんの姿が視界に入り、やがてわたしの口から「あっ」という声がもれた。
その店員さんが、ポケットから、なにかをおとしたんだ。
しかも、店員さんはそれに気づかず、そのままお店の奥の部屋(バックヤードって言うんだっけ?)に入って行ってしまった。
拾って見ると、それはメモ帳だった。たくさんの付箋が貼られ、レシートや注文票などの紙が大量にはさんである。
え? なんか、大事なモノっぽくない? えっと、届けたほうが、いいよね?
わたしはメモ帳を拾って、店員さんが入って行った部屋の扉を開ける。
部屋の中は、長い長い通路になっていた。
フカフカの絨毯に、キラッキラに輝くシャンデリアが吊るされた、そんな通路に。
おしゃれな雑貨屋さんだと思っていたけど、バックヤードもこんなにおしゃれだなんて。
まるで、外国の絵本に出てくる洋館みたい……なんて思っていたけど、すぐに「おかしいぞ?」と気づく。
だって、通路が長すぎるから。
あれ? この雑貨屋さん、こんなに広かったっけ?
いや、でも、じっさい、こうして通路は延びてるわけだし……?
なにか変だと思いつつ、わたしは通路を進む。やがてたどり着いたのは、とても大きな部屋だった。
そこにはたくさんのガラスケースが置かれ、その中にはたくさんのモノがしまわれていた。
よく見れば、ガラスケースが置かれた台座には、文章が記されたプレートが付いている。
【トレースドレス】
自分が思い描いた通りにデザインを変えられる服。
他人の思いを読み取り、他人の好みのデザインにすることもできる。
【タカクナール錠EX】
一錠飲むと1センチ背が高くなる錠剤。
ただし一錠飲むごとに、一年寿命が失われる。
【スキ魔くん】
心のスキマに入りこみ、恋愛感情を操る悪魔の人形。
【好感度レンズ】
自分がどれだけ好かれているか数値で教えてくれるメガネ。
かけた状態で人を見ると、その人の頭の上に数字が浮かび上がって見える。
「なに、これ……」
どれもこれも、ふつうじゃない。
なによりふつうじゃないのは、ここにあるモノすべてが、得体の知れないオーラを放っていること。
これ、ぜったい本物だ──直感的に、そう思った。
「……あっ!」
やがてわたしは、あるアイテムを見つける。それは、小さな天使の姿をしていた。
【縁ジェルちゃん】
人と人の縁を結ぶ、天使の人形。
縁ジェルちゃんを見ているだけで、胸がドキドキして、体が熱くなった。
どうしよう。ずっと、ながめていられる。
いままで、いろんな雑貨を見てきたけれど、こんな感覚ははじめてだった。
……いや、これは、雑貨じゃない。
目の前のモノたちは雑貨屋さんの売り物ではなく、そう、まるで──
「宝物……」
「うん、正解」
「っ!」
びっくりしてふり向くと、女の子がすぐそばに立っていた。
小学四年生か五年生くらい? いかにも気さくそうな、やわらかい雰囲気の子。
「うんうん。たしかにそれは、ヤカタさまの宝物だね」
「あ、あなたは?」
「わたしはメイ。この博物館の館長──の助手をしているよ」
「ミュ、博物館……!?」
そうか、売り物じゃなくて、展示物だったんだ。
「おっと、いけないいけない。最初にこれを言わないと」
メイと名乗る子は、照れ笑いを浮かべたあと、ピシッと姿勢を正して、
「ようこそ、ふしぎアイテム博物館へ」
と言った。
「……ふしぎアイテム」
たしかに、ここにあるのは、フシギとしか言えないアイテムだ。
「えっと、わたしは連城愛。あの、メイ……ちゃん」
「なにかな?」
「わたし、さっきまで雑貨屋さんにいたの。そこの扉を開けたら通路が──って、そうだ店員さんは!?」
忘れてた。店員さんも、この博物館にいるはずなんだ。
「大丈夫だよ」
メイちゃんは「安心してね」とでも言うようにうなずく。
「愛ちゃんみたいな子は、たまに来てくれるんだ。それに、その店員さんは雑貨屋にいるだろうから、うん、それも大丈夫」
「店員さんは雑貨屋に……? じゃあ、わたしはいま、どこにいるの?」
アイテムを見ていたときの興奮が冷め、不安がわたしの心をおそった。
「わたし、雑貨屋さんに、もどれるの?」
「あははっ、もちろんだよ」
わたしの不安を吹き飛ばすように、メイちゃんはパッと明るく笑ってみせた。
「通路を引き返せば、そのままもどれるよ。でもその前に、うちの館長に会っていかない?」
「館長……それって、さっき言ってた?」
「うん、宝野ヤカタさま。ここにあるフシギなアイテムは、ヤカタさまの自慢のコレクションなんだ。……どうかな? ヤカタさまが、お客さんと話したがってて」
たぶん、ことわったほうがいい。
メイちゃんは裏表のない子に見えるけど、やっぱりこの博物館は変すぎる。
「…………」
でも、わたしの口から、ことわりの言葉は出ない。
だって、目の前にある縁ジェルちゃんが、どうしても気になってしかたなかった。
はっきり言って、わたしは縁ジェルちゃんが、ほしくてたまらなかった。
だって、これがあれば──
「そっか。縁ジェルちゃんだね?」
わたしがチラチラ見ていることに気づいたんだろう。
メイちゃんはガラスケースを外して、縁ジェルちゃんを取り出した。
「そんなに気になるんなら、縁ジェルちゃんも持っていこうか。ねえ、どうかな?」
悩んだのは、五秒くらい。結局、わたしはうなずいた。
「……わたし、館長さんに会う」
「ありがとう。決してソンはさせない……かどうかはともかく、少なくとも、退屈はしないと思うな。さあ、こっちだよ」
そう言って、メイちゃんは歩きだす。わたしもすぐにそのあとを追った。
「ごきげんよう」
扉を開けると、すぐに声をかけられる。
「私が館長の、宝野ヤカタよ」
館長さんは、とんでもない美少女だった。
星をちりばめたみたいに輝く瞳。どこまでも透き通った白い肌。
わたしとはあまりにもレベルが、ステージが、いや、世界がちがいすぎて、うらやましいとすら思わない。
「……はじめまして。連城愛です」
「愛さん、私と会ってくれてありがとう。どうかしら? この博物館は気に入ってくれた?」
「気に入るというか、その、すごいとは思います。なんというか、ふつうじゃなくて……」
「そう、うれしいわ」
そう言ってほほえむ館長さん。
そのほほえみは、女子のわたしですら見とれてしまうほどきれい。
この人はきっと、恋愛のことで悩んだりしないんだろうな。
「愛さんは、悩んでいるのね?」
「えっ?」
「愛さんは、悩んでいる。だから、私のアイテムに惹かれたのでしょう?」
な、なんで、わかるの?
「話してほしいわ。くわしくね」
もう一度、館長さんはほほえんだ。
美しくて、上品で、なのに、それだけじゃない〝なにか〟がふくまれた笑み。
アイテムを見たとき、ふつうじゃないと思った。
いま、館長さんを見て思う。この人は、ふつうじゃない。
「あの、わたし……」
やっぱり帰ります。そう言いかけたとき、
「いいえ、話して、ほしいわ」
館長さんの大きな目が、わたしをとらえる。
その瞬間、ゾクゾクッと体が震えた。わたしの体に、なにかが入りこんだ、そんな気がした。
「わ、わたし、好きな男子がいて──」
気づけば、わたしは悠紀のことを話していた。
「──だから、わたし、館長さんのアイテムがほしいと思ったんです」
「なるほど」
館長さんはうなずく。
「いいわ愛さん。私のアイテムを貸してあげる。いえ、ぜひとも、自慢のアイテムを貸させてほしいの。どんなアイテムが気になったのかしら?」
「ヤカタさま、これこれっ」
「へえ」
メイさんから縁ジェルちゃんを受け取り、館長さんが意外そうに目を見開いた。
「めずらしいわ。こういうとき、たいていの子はスキ魔くんを選ぶのだけど」
スキ魔くん……たしか、心のスキマに入りこみ、恋愛感情を操る悪魔、だっけ。
「スキ魔くんは、その、卑怯な気がして。だって、心を操るなんて、そんなのダメ。それに比べて縁ジェルちゃんはちょうどいい、そう思ったんです」
「そうね。縁ジェルちゃんはただ、縁を結ぶだけ。つまり、仲を深めるためのきっかけを作るにすぎない。恋が実るかどうかは、愛さん次第になるわ」
それでいい。それに、一目見たときから、わたしは縁ジェルちゃんが気になってしかたなかったんだ。
もし、もっと役立ちそうなアイテムがあっても、わたしは縁ジェルちゃんを選んでいたはず。
「そう。それが愛さんの望みなら、もちろん尊重しましょう。さあ、どうぞ」
館長さんは縁ジェルちゃんを差し出した。
「縁ジェルちゃんに話しかけて、縁を結びたい相手の名前を伝えるといいわ。まあ、縁にもさまざまな形があるでしょうね。具体的にどうしたいかも、縁ジェルちゃんに伝えればいいわ」
縁ジェルちゃんを受け取ったあと、わたしはすぐに帰ることにした。
館長さんはわたしともっと話したがったのだけど、それはことわる。
たぶん、ここには、長く居ないほうがいい。
「それではごきげんよう。縁ジェルちゃんを使ってみた感想を、楽しみにしているわ」
最後にそう言って、館長さんはほほえんだ。
その笑みは美しくて、上品で、やっぱり〝なにか〟がふくまれていた。
「貸し出し期間は……そうだな、二週間でどう?」
最初の扉のところまで送ってくれたメイちゃんが言う。
「縁ジェルちゃんを返したいときは、また雑貨屋の扉を開ければいいんだけど、どうする? わたしから愛ちゃんのところに回収しに行ってもいいよ?」
「じゃあ、お願いしようかな。……それと、メイちゃん」
「なになに?」
「どうしてメイちゃんは、館長さんの助手をしているの?」
この博物館はなんなのか、あの館長さんは何者なのか──ほんとはここら辺を聞きたかった。
でも、それらの質問には、答えてくれない気がした。
「どうしてって、そうだなぁ、ヤカタさまのことが好きだからかな。好きな人のそばにいたいと思うのは、ふつうでしょ?」
頭に、悠紀の顔が浮かんだ。その気持ちはよくわかるから、それ以上なにも言えなくなった。
「それじゃあ、またね愛ちゃん。縁ジェルちゃんは良い子なんだけど、うっかりさんでもあるから、そこだけは注意してね」
最後にそんな言葉をもらって、わたしは扉を開けた。
すると、目の前に広がるのは、見慣れた雑貨屋さんの光景。
どうやら、無事に帰って来れたみたい。
「あら、ダメよきみ、勝手に入っちゃ」
メモ帳を落とした店員さんが、わたしに気づく。わたしは店員さんにメモ帳を見せた。
「あっ、それ! そうか、拾って届けようとしてくれたのね、ありがとう」
「あの、ここって、その、博物館とか……」
「はい? 博物館?」
「いえ、なんでもないです」
そう言って、わたしは店をあとにした。
雑貨屋さんの扉が、フシギなアイテムを集めた博物館につながっていたなんて。
そんなの、だれも信じない。
バッグに、縁ジェルちゃんの重みがなければ、わたしだって信じない。
その日の夜。
わたしは勉強机の上に、縁ジェルちゃんを置いた。
「こ、こんばんは」
おそるおそる、半信半疑、話しかけてみる。
このかわいらしい人形には、いまでも得体の知れないオーラがある。でも、ほんとうに、館長さんの言っていたような力があるの……?
『こんばんは♡』
あっけなく、縁ジェルちゃんは言葉を発した。
「しゃ、しゃべった……!」
『そうだよ♡ しゃべるよ♡ 縁を応援する縁ジェルちゃんだよ♡』
口が開いたわけじゃない。でも、たしかに、縁ジェルちゃんから声がする。
録音でも、遠隔操作でもない。いま、縁ジェルちゃん自身がこちらに話しかけている──わたしにはそれがわかった。
「わたし、幼なじみの伊東悠紀と仲よくなりたいの……いや、付き合いたいの」
耳が熱くなるのを感じながら、わたしは縁ジェルちゃんに言う。
「だから、縁を──仲を深めるきっかけを、たくさんちょうだい」
『うん♡ オッケ~♡ 縁を結ぶよ♡』
縁ジェルちゃんの口調は、能天気すぎるくらい能天気だった。
「あ、でも、いきなりハデなことはやめてね。その、こっちにも心の準備があるし、段階を踏んでほしいの」
『もちろーん♡ も~ちろ~ん♡』
軽やかに、お気楽に、まるで歌うように縁ジェルちゃんは言う。
……ほんとに、大丈夫?
それから、一週間後。
「おはよう愛。なんだか最近、よく会うね」
となりを歩く悠紀が言う。
朝の登校中、わたしと悠紀は、偶然会ったのだった。
「うん。おはよう悠紀。……そうだ、英語の予習やった?」
「あっ、忘れてた!」
「もうっ、先生に怒られるよ?」
なんて言いながら、わたしは心の中でうなずいた。
よし、今日も話せた!
結論から言うと、縁ジェルちゃんの効果は絶大だった。
この一週間、今日みたいに登下校中にいっしょになったり、席替えでとなり同士になったり、授業でよくペアを組まされたり、家族で外食に行くとレストランで鉢合わせしたり。
わたしと悠紀が接する時間は、前より格段に増えていた。
まるで、小学生のころにもどったみたいに。
「愛、よかったら、英語のノートを見せてくれないかな? お礼に……そうだな、サッカーボールとかいる?」
「いらないって」
「ボールの空気入れは?」
「いるわけないでしょっ、もう、ほんとサッカーのことばっかなんだからっ!」
「ふうん? じゃあ、なんなら、いるの?」
「え? なんならって……まあ、とにかく、ノートは見せてあげるから。これくらいで見返り求めたりしないし」
「……そっか。うん、ありがとう」
悠紀がほほえむ。まぶしそうに目を細めて。
「やっぱり、愛はやさしいな」
「な、なに、急にっ」
「いつだって、ボクがこまっていたら、なんだかんだ言って助けてくれる。ほんと、昔から変わらない」
「もうっ、ほめてもなにも出ないからね?」
あきれたフリをしながら、心の中でヨッシャとガッツポーズを決めた。
悠紀にほめられた!
しかもノートの貸し借りで、さらに悠紀との縁が生まれた。
ありがとう縁ジェルちゃん──わたしは心の中で感謝するのだった。
それから数日経った、ある日の放課後。
掃除の時間中、わたしの頭には〝デート〟って言葉が浮かんでいた。
そろそろ、次の段階に進んでも良いと思う。
大丈夫、自分から誘えなくても、わたしには縁ジェルちゃんがいる。
縁ジェルちゃんにお願いすれば、わたしと悠紀がデートをするような縁を結んでくれる。
どこに行こうかな。なにを着ようかな。
そんなことを考えながら、わたしは廊下をホウキで掃いていた。
できれば、デートは明日がいい。いや、ぜったい明日。
だって、明日は──
「この間はありがとう」
ふいに、悠紀の声が聞こえた。
ふり返ると、廊下の先に悠紀が立っていた。しかも、女の子といっしょに。
とっさに、わたしは柱の陰に隠れた。
あの子、となりのクラスの吉野さんだ。
わたしの胸がしめつけられ、呼吸が速くなったのは、吉野さんが学年一の美少女だから。
どうして、悠紀が、吉野さんと……?
ふたりは身を寄せ合って話していた。
少し距離があって、ふたりの会話はよく聞き取れない。
でも、こんな風に聞こえた。
「付き合ってくれてありがとう──」「フラれたら、どうしようかと──」「今度、プレゼントを──」
わたしの体から、スゥーッと体温が失われていく。
そんな、悠紀と吉野さんが、付き合って……?
楽しげに話すふたりは、わたしの目から見てもお似合いだった。
……そのあとの記憶は、あまりない。
気づけば、わたしは自分の部屋にいて、勉強机の上の縁ジェルちゃんを見ていた。
『こんにちは♡ アイちゃん♡ 次はどうする~♡』
能天気な調子で縁ジェルちゃんは言う。
縁ジェルちゃんを使えば……わたしの頭には、そんな考えが生まれていた。
縁ジェルちゃんをうまく使えば、悠紀と吉野さんの仲を引き裂けるんじゃないか。
わたしと悠紀が、とにかく縁を結びまくれば、吉野さんが入りこむスキマはなくなる。
そのうち悠紀も、吉野さんよりわたしのほうを好きになる──かもしれない。
少なくとも、そのチャンスは作れる。
わたしのほうが、先に好きだったんだ。
ぜったいに、わたしのほうが、悠紀のことを好きなんだ。
「縁ジェルちゃん……」
『なになに♡ アイちゃん♡』
悠紀との縁を取り持って。吉野さんの邪魔になるくらい──そうお願いするつもりだった。
「悠紀との」
そこまで言ったとき、悠紀の顔が頭に浮かぶ。
悠紀の、まぶしそうに目を細める笑顔。
──愛はやさしいな。
悠紀の、言葉。
『どうしたの♡ アイちゃん♡ ユウキくんとの縁を応援するよ♡』
「……ううん、なんでもない」
わたしは首を横にふった。
やっぱり、ダメだ。そんなことしちゃいけない。
恋人との仲を引き裂くなんて、悠紀の幸せを邪魔するなんて、そんなのダメ。
悠紀のことが好きだからこそ、わたしは、悠紀の幸せを応援するべきなんだ。
そうじゃないと、やさしいとほめてくれた悠紀を、裏切ることになる……!
『アイちゃん♡ ユウキくんと両思いになろうよ♡ ふたりの縁を応援するよ♡』
縁ジェルちゃんはどこまでも能天気に言う。
もう、縁ジェルちゃんに頼るのも止めなくちゃ。ふたりの邪魔をしちゃいけない。
「あのね縁ジェルちゃん」
『なにかな♡』
「わたし、悠紀のことは、もう話したくないの」
『うん♡ わかった~♡』
縁ジェルちゃんの返事は、最後まで能天気だった。
次の日、その朝。
わたしは学校に行くため、ローファーを履いた。
たぶん、これから、悠紀と登校することもないんだろうな。
逆に学校で、悠紀と吉野さんのイチャイチャを見ることはあるかも。
胸の奥が、チクッと痛む。……でも、それもしかたないんだ。
周りの目を気にして、嫌われるのがこわくて、行動しなかったわたしが悪い。
大丈夫、もう、納得してる──そう自分に言い聞かせ、わたしは玄関のドアを開けた。
「おはよう、愛」
「……え?」
家の前に、悠紀が立っていた。
「な、なんで悠紀が!?」
「いや、ボクも、よくわからないんだけど──」
とまどいの表情を見せる悠紀。
「なんか、どうしても愛に会わなくちゃいけないって、少しでもはやく会わなきゃいけないって、急にそう思ってしまって……」
縁ジェルちゃんだ! 縁ジェルちゃんが、無理やり縁をつないだんだ!
……でも、どうして?
わたし、悠紀のことは話したくないって言ったのに。
「うん……ほんとは、あとで渡そうと思ってたけど」
悠紀はうなずくと、バッグからラッピングされた袋を取り出した。
「愛、ハッピーバースデー」
「あっ!」
そうだ、今日、わたしの誕生日だ! 悠紀のことで頭がいっぱいで、すっかり忘れてた……!
「あ、ありがとう悠紀。……でも、いいの?」
「なにが?」
「だって、吉野さんがいるのに」
「ん? なんで吉野さん?」
胸の痛みを感じながら、わたしは言う。
「だって、悠紀と吉野さんは、付き合ってるんでしょ?」
「いや、付き合ってないよ」
ほら、やっぱりそうだ。ふたりは付き合ってな……ん?
「付き合って、ない?」
「うん」
悠紀はあっさりうなずいた。
「え? え? あれ? で、でも……そうだ! 昨日、『付き合ってくれて』とか、『今度、プレゼントを』とか、ふたりで話してたじゃん!」
「……ああ、聞かれてたんだ」
納得した、というように悠紀はうなずく。
「いや、それは誕生日プレゼントの話なんだ。愛になにを渡せばいいのか、吉野さんに相談してて、それで、プレゼント選びに付き合ってもらったってだけ。ほら、なにがほしいか、愛は教えてくれなかったし」
「あっ」
──ふうん? じゃあ、なんなら、いるの?
──え? なんならって……まあ、とにかく、ノートは見せてあげるから。
「じゃあ、『フラれたらどうしよう』っていうのは?」
「当日は不安定な天気だったから、『雨に降られたらどうしようかと思ったけど、晴れたからよかったね』ってこと」
じゃあぜんぶ、わたしのカンちがい?
「なんでボクが、吉野さんにプレゼントを渡すんだか。……あのね愛」
「な、なに?」
悠紀が真剣な顔を作ったので、ドキッとしてしまう。
「ボクがこんなことするの、愛だけだから」
「えっ」
「ほら、そろそろ学校に行こう」
そう言って、悠紀は歩きだす。悠紀の耳は、ほんのり赤くなっていた。
あれ、もしかしてこれ、チャンスあり……!?
「まってよ悠紀っ!」
わたしは急いで、悠紀の背中を追いかける。
──縁ジェルちゃんはただ、縁を結ぶだけ。つまり、仲を深めるためのきっかけを作るにすぎない。恋が実るかどうかは、愛さん次第になるわ。
悠紀と並んで登校しながら、わたしは館長さんの言葉を思い出していた。
そうだ。結局、わたし次第なんだ。
もう、後悔したくない。
「ねえ、悠紀」
わたしは、となりを歩く大好きな人に呼びかけた。
自分の思いを、伝えるために──。
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