見出し画像

20代のアレコレ

こんにちは。

2024年10月に独立開業予定のtsubasaです!
(サロンでは下の名前で活動しておりますので、以後お見知り置きお願いします!)

今回の記事では、前回の内容を少しずつ深掘りしていこうかなと思います。
(トップ写真はNYのセントラルパークにて)


1.専門学校卒業後〜


専門学校卒業後、当時高倍率であったブランドサロン(社員雇用)に入社し、丸2年で退社しました。


個人事業主である父の働ける時に、働きたい時に働き、休める時に、休みたい時に休む姿に憧れがあり、22歳で個人事業主になる選択をしました。


とはいっても新卒のお店ではスタイリストデビューどころかアシスタントカリキュラムも全ては終わっていなく、そんな中での個人事業主になるという選択は、無能な中ガムシャラに行き当たりばったり生きていた20代前半の結果そのものでした。
(今思えば本当に無能だった、、笑)



その頃の美容業界は、今ほど働き方も多様化しておらず、ましてや僕が生計を立てれるほどのお客様がいなかったのも事実。

数少ないお客様をフリーランスサロン(面貸し)で担当させていただきながら、業務委託サロンと掛け持ちで生計をたてる生活を選びました。

2.個人事業主のはじまり

その時よく聞かれていたのは、
「フリーランスサロン1本にするほどお客様がいなかったのは分かるけど、なんで業務委託サロン1本にしなかったの?」ということ。

表参道(面貸し)と銀座(業務委託)と、決して近くはない2拠点、しかも2拠点美容師!と謳うほどお客様もいなかった当時。

ただそこには明確な理由がありました。

僕が当時紹介で働きはじめた業務委託サロンは、圧倒的な低価格による集客と、短時間施術でお客様を効率的に入客するサロンでした。

いざ働いてみると、やはり価格に見合う立地、内装、商材、スタッフ、、
そして前述通り、圧倒的な集客がある分、一度きりの出会いがとてもありました。
(再来リピート<新規集客という比重経営)

今だから言えますが、新卒で働いたブランドサロンのお客様を到底その環境で施術するイメージが湧きませんでした。
(僕個人の見解でございます)

「じゃあ何故そのようなサロンで働いてたのか?」
その理由として大きく分けると以下の3つがあります。

① 新卒で入社したサロンとの対極サロンで働く
② 業務委託サロンの経営の在り方を知る
③ 自分自身の技術力アップと、顧客の獲得

美容師を目指した時から、将来は自分のお店を持ちたい!という気持ちが強く、社員雇用から個人事業主になるタイミングで「◯年後に独立する」と自分の中でのゴール(でありスタート)を明確に考えました。

そのゴール(でありスタート)から逆算したときに、当時の自分には①〜③が必要だなと思い、掛け持ちで働くことにしました。


3.更に掛け持ちを選択した23歳

そんな働き方をはじめ約1年経った頃、学生時代にアルバイトしていた居酒屋の社員さん(通称テツさん)から、「フリーランスなら副業できるよね?少し夜手伝って欲しいんだけど」と更なる掛け持ちのお声がかかりました。

テツさんは僕の一個上で、社員、先輩という位置付けよりも友達みたいな空気感を作ってくれる方で、あの時も今もこれからも好きな人。

バリバリ体育会系の雇用サロンから一変、ゆるっと自分の時間軸でも生計が保てるフリーランスで働いていた僕には体力が大余りしていたのもあり、二つ返事でOKを出しました。

晴れて表参道、銀座の2拠点美容師の傍ら、休み前夜に学芸大学の日本酒専門店でアルバイト生活が始まったのです。
(もともと食べる、飲む、が好きな僕は飲食業にも興味がありました)

大人(社会人)になってからアルバイトをする感覚が当時の僕には新鮮であり刺激的で、学芸大学という街柄、日本酒専門店という店柄、本当に色んな層のお客様がいて、これはこれは人が好きな僕にはたまらない空間でした。

「やっぱ飲食事業も楽しいよな〜」
と将来を考えるなか、素人ながらにして何度もそう思いました。


ただ、体は嘘をつきません。

美容師→居酒屋の日は基本的に半日以上は仕事。
(もちろん休憩も、移動中での自由時間も含みます)

積み重なる疲労と寝不足から、「自分の本業って美容師だよな?本業である美容師としてこれで良いのか?」という自問自答を繰り返し、テツさんに頭を下げアルバイトを辞めさせていただきました。

4.念願の渡米チャンス。しかし、、

学生時代に専門学校の友人(マイメン田縁くん)と行ったNYには、今もなおとても思い入れがあります。

2013年 冬頃 inNY


そんなNYで働ける機会が、20代前半にありました。

それは2拠点美容師をはじめて4年ほど経った頃。

知り合いのご厚意で、NYにある日系サロンにて働けるお話をいただき、当時のフットワークの軽さからこれまた二つ返事で「是非!」と返答しました。

ビザの申請や、住環境を整えながら、2020年初め「いざ!」という時、コロナウイルス到来。


表参道と銀座のサロンの契約はNYを境に終了し、お客様も引き継ぎ等を行なっていたので、もぬけの殻状態。
(コロナ出始めの頃に焦って数ヶ月はやく渡米していたら、ロックダウンで自宅から出れず無職で高額家賃を払う謎のNY生活だったので不幸中の幸いと今では捉えられます、、笑)

初めての緊急事態宣言(2020年4月)は自主休業とし、実家にて甥っ子の面倒を見ていたのも今となっては良い思い出。


もともと働いていたサロンには戻れない(再契約が細かい手続き等でとても面倒だった)、NYにも行けない、じゃあどこで働こう?と求人サイトにて、縁もゆかりもない清澄白河に新店舗オープンと求人の知らせを見つけました。


当時の住まいである実家(千葉県船橋市)から通いやすいこと、当時働いていた表参道からも半蔵門線で一本で来れること、銀座エリアからもアクセスしやすいこともあり、すぐに志願しました。


5.26歳、最後の転職

晴れて新店舗のオープニングスタッフとして今働いている会社に、またもや業務委託契約で入社しました。

それまでの2拠点美容師で得た、それぞれの雇用形態のメリット、デメリットを踏まえ、業務委託サロン1本に決断しました。

求人内容や面接で社長と話す中で、既出の業務委託のイメージである「再来リピート<新規集客という比重経営」を払拭し、お客様との一期一会をとにかく大切にする会社。
雇用サロンの良いところと、業務委託の良いところを上手く掻い摘んだ経営を行ってると感じれたからです。



しかしいざ働いてみると、慣れないエリアでの壁や、当時の若さ故の間違った勢いもあり、なかなかお客様がつかない日々、、

社長や先輩方に優しくも的確な指導をいただき、少しずつお客様が増えていき、売上がついていきました。



飛んで2022年、秋。
押上にて新店舗の立ち上げに携わらせていただき、店長に昇進いたしました。

2022年9月11日 オープン



その後もプレイヤーとしては対お客様、店長としては対スタッフ、対お店、また幹部職として系列店舗の次回予約プロジェクトの管轄など、たくさんの経験をさせていただき、今現在も感謝の気持ちでいっぱいでございます。

任していただくことが増えてく中で感じること、見えること、思うこと、また今後の自分としてのビジョン、家族としてのビジョン等を考え、好環境での職場を辞め、独立することを決意し、2024年はじめに社長に打診しました。


入社から今に至るまでをサラッと書きましたが、自分のやりたいことを優先して生きたい!という20代前半からの思考回路は変わらず、より自分の好きな空間で、心から喜ぶセレクトをしていきたい!という思いで、独立の流れになりました。

ただ、ひとつ言えることは当時の「無能な中ガムシャラに行き当たりばったり」とは違い、しっかり考え、点と点が繋がった上での決断であると思ってます。


次回の記事では打診後について書いていきたいと思います。

独立する上での初手の部分で、やっとこ本題にありつけるかと思います。


では!

いいなと思ったら応援しよう!