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【コラム】排水処理。それから、語る主語を変え、ローカルに思考し、試行すること


●排水処理

先週、ひと現場の道づくりを終えました。
今日は、止水ゴムを入れ、水の処理を考えていきました。

「道をつけることは、水道(みずみち)をつけること」
という旨を、岡橋先生の作業道の講義で聞いたことがありますが、まさにその通りだなぁと実感をしています。

降った雨は、道を通り、集まり、速度を増し、道を削り、土砂を流していきます。
それを防ぐために、尾根(水の集まらない地盤の固いところ)で、道から水を流し、1カ所に集まらぬように分散排水をしていきます。

道から流した水の先には、枝葉や根株を置いておくことで、水をさらに分散させ、路肩が削れることを防ぎます。(これを流末処理と呼びます)

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ヘアピンの上から流れてきた水を、尾根の反対側へ流す。

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ビフォーアフター。できるだけ、水の流れの向きを変えないように。
これはもう少し長めの止水ゴムがあったらよかったな。

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●尾根を越えるということ

基本的に、尾根を越えてつくる「ヘアピンカーブ」というものは、この排水の面でもとても有用です。

山には「集水域」があります。一つの尾根に囲まれた区域に降った雨は、その地形から、いずれ一つの谷に集まり、川となります。

そのため、同じ集水域のなかで、いくら排水しても、結局山を下れば下るほど、流量は変わらないまま、水は集まっていく。流量を減らすには、尾根(=集水域の境界)を越えて、排水をすることが効果的になります。

これは自然の現象、物理法則。自ずから、そうなるもの。
ただ、ここに人の都合が介在すると、途端に難しくなります。

「尾根を越える」ということ。
これは、所有の境界を越えることを意味するパターンが、よくあります。
山林の所有境界は、尾根であることは多く、「ここから先は別の人の山だから、ハンコもらわなきゃ通れない」ということが、多々あります。というか、無いことの方が少ないです。

こうなると、もはや林業の技術、例えば、チェーンソーの伐倒、ユンボで道づくりとかではなくなってきて、いかに集落、地区、町、地域の人びととの調和を取っていくかが大事。

●主語を変え、ローカルに思考・試行する

智頭の林業の先輩が「山の調和を取るためには、まず人の調和を取らなければいけない」と、言っておられて、林業というものが、国や県においては、木材生産業な側面が大きいけれども、町や集落から見れば、その地域で生活すること、あるいは、里山、山あいの山村で暮らしを営むことと、いかに密接に結びついているかが、少しずつわかってきました。

智頭へ来るまえには、自然と共生する林業のあり方を模索したいと思っていました。それももちろん変わりませんが、「林業」の見方、その切り口や視点が増え、より広い視野で、より多角的に見ることが、少しずつでも、できるようになってきたかなぁと。

「山の調和を取る」とは、僕で言えば、自然の営みに逆らわない林業を追求していくこと。
しかし、そのためには、「僕がこうしたい」という主語を捨てて、より大きな主語へと変換していくこと。「五月田集落にとっても良いこと」「那岐地区にとっても良いこと」「智頭町にとっても良いこと」を考え、最終的には「智頭の山がよくなること」「日本の林業がよくなること」へと拡大していくこと。

●「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」

宮沢賢治は、「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」と言いました(『農民芸術概論綱要』より)。僕自身、この言葉をまだまだ本当に理解できているとは思いませんが、山のことを思うと、この言葉を思い出します。

国や行政、あるいは林業課題の解決を志す企業などを否定するわけではまったくなく、補い合いながら、いっしょに前へ進んで行けたらと思います。
一人の人間、一つの立場では、思いつかないこと、できないことを、
力を合わせて、思いつくこと、できることに、変えていきたいです。

それでいて、この地域感というか、ローカル感というか、現場感というか。
そういうものは、ここにこなければ実感できなかったなぁと思うこともあるので、それをちゃんと現場の人間として、つぶさに観察、思考、試行を重ねつつ、少しずつ、少しずつ言語化することで、少しずつ、少しずつ、伝わっていけばいいなぁと思います。

#鳥取 #智頭 #林業 #道づくり #作業道 #水

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つばさ

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