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1から10までつくれない 【連載コラム】林業家はなにをつくるか①

いまの林業のメイン仕事「間伐」

いまの僕の仕事は、間伐作業。
それは、日本全国の林業でもそう。
主には間伐作業をしています。

それというのは、戦後、国の拡大造林という政策によって、
全国各地で植林が進んだ山林が、50~60年という時間が経って、
伐期(※)を迎えているから。

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出典:https://www.shinrin-ringyou.com/forest_japan/koutai.php
(齢級とは、木の年齢の表し方。1~5年生を1齢級として数える。
表で突出する9~12齢級とは、41~60年生が多いことを示している)

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出典:東北森林管理局「林業サイクル」https://www.rinya.maff.go.jp/tohoku/introduction/gaiyou_kyoku/nibetu/5_sodateru/index.html

木の間引きをする「間伐」に対して、
ある区画の木を一斉に伐る「皆伐」もありますが、その話はまた今度。

※伐期:伐り時。ある程度木が太くなり、建築用材などの使い道が増え、価格が上がった時期のこと。

「間伐」を行なう理由

間伐作業は、5~10年ごとに行なうとよいとされています。
間引きをし、林内に光を入れても、
また木々が枝を伸ばし、暗い森になってしまうから。

間伐には、主に役割が2つ。
ひとつは、林内に光を入れ、下層植生を豊かにすること。
もうひとつは、木の成長を促すこと。

間伐が遅れると、木々がせめぎ合い、光が満足に行き渡りません。
そうなると、細くてひょろひょろの木が立ち並ぶことになります。
これを適度に間伐を繰り返すことで、
木が上に伸びると同時に、太く横にも成長し、よい木が育っていきます。

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間伐遅れの山。
木が上にだけ伸び、太くならない。光が入らず、下草も生えない。

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間伐後の山。光が地面まで届くことで、下草が生える。

一度の間伐で、木に対してできること

では、一度の間伐で木がどれくらい大きくなるのかというと、
その影響は微々たるもの。
成長量は、歳をとるにつれて鈍化していき、
スギとヒノキでも違いますが、
おおよそ1年に数ミリ、1センチはなかなか超えません。

つまり、僕のいまの仕事は、
極論すれば、向こう10年くらいの年輪を、少し大きくするだけのこと。
例えば、間伐しなかったら2センチだった成長量を、
5センチにすることだけなのかなぁと思います。

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間伐しなかったことで、どんどん年輪の幅が詰まっていく。
これは成長が遅すぎるので、少しだけ広げて、木を大きくしたい。

例えば、林業を生涯で50年続け、
10年に1度、同じ山へ繰り返し間伐に入ったとしても、
50年分の年輪を、ちょっとずつ大きくしただけ。
林業で人ができることは、本当に小さなことだなぁと感じます。


過ぎ去った時間は、戻らない

もっと言えば、過去の年輪は変えられません。
50年育ってきた木の年輪は、
それが良かろうが悪かろうが、どうしようもない。

例えば、木の最初の年輪、1~10年目の年輪は、
植林された環境によって決まります。
単純に言えば、苗の間隔を狭めれば狭めるほど、
年輪は密になり、材の質が上がります。

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初期(中心)の年輪が大きい。

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(これは二番玉ですが)年輪が最初から最後まで、緻密に揃っている。
最高級の材の年輪も撮りたいけれど、なかなか伐りません笑。

ここで難しいのは、年輪の幅がある程度小さく、密であること、
そして、一定の幅である方が、材としての質を上げます。
逆に、成長は良いけれど、1年に大きくなりすぎた木は、
曲がりや反り、強度などの面から、それほど良い材とは言えません。
細くてガリガリもいけないけれど、
太くてぶくぶくも健康ではない、というイメージですね。

で、植林の話ですが、
これが地域によって差があります。

一般的には、3000本/haという本数ですが、
智頭では、5000本/haでも植えたという話も聞きますし、
吉野では、場所によっては10000本/haという、
超密植もあったと聞いたことがあります。

【植栽本数】1から10までつくれない ー林業家はなにをつくるか①.001

【植栽本数】1から10までつくれない ー林業家はなにをつくるか①.002

植栽本数を具体的に言えば、こんな仕組み。

材の質としては、最初は密植で、
それから、頻繁に手をいれ、少しずつ間引きを繰り返すことで、
年輪幅が、緻密に、一定に広がっていき、良質な材ができあがります。

僕は、6~8くらいまでしかつくれない

そう考えると、本当に良質な材とは、
植林された時点である程度決まってしまう。
けれど、もう現時点では、それをどうすることもできない。

例えば、一本の木を100年か200年かかけて育てるとき、
1~5までは、もうすでに決まっていて、
僕らはどう頑張っても6~8くらいまでしかつくれず、
次世代へと引き継いでいくしかない。

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例えば、茶色の内側がもう決まっていて、茶色の部分は僕がつくることはできるけれど、その外側は次世代へ託すしかない。

これが、親が植え、自分が育て、子や孫が伐る。
世代を超えて継いでいく、林業という仕事なのだなぁと、
この仕事を始めて、ひしひしと、その重みを感じます。

例えば、農業で。
自然栽培の野菜をつくろうとしたとしても、
1年サイクルで回る農業は、
収穫物としての「野菜」を1から10までつくることができる。

もちろん、農業は野菜をつくっているばかりではない。
それは、また次回に触れようと思うのですが、
具体的な「収穫物」に注目したときに。

しかし、林業の具体的な収穫物である「木材」はそうはいかない。
もちろん、最高級の10点満点の木材でなくたって、
8点の木を、製材や加工を通して、
価値を大きくつくっていく余地はあるけれど、
今回は、そこは置いておいて、木としての話だけ。

過ぎ去った時間は、変えられないし、
不確かな未来に、自分の想いが受け継がれるかはわからない。
それでも、いまできる手入れを施し、次世代へと継いでいく。

では、林業家はなにをつくっているのだろうか。
木のほんの一部だけを、つくっているのだろうか。
そう問われると、なかなか同意しがたいものがある。

林業家が見ているのは、木だけではない。
そんな話を、また次回に。

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つばさ

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