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林業家は、山をつくる 【連載コラム】林業家はなにをつくるか②

前回の記事より続き。
【1から10までつくれない ー林業家はなにをつくるか①】

林業家は、山をつくる

結論を言ってしまえば、
林業家は、山をつくっていると思います。

前回、いまの林業家は、
木材の6~8までしかつくれない、と書きました。
ただし、それは木、一本一本の話、
そして、林業を木材生産のためだけのものと考えたときの話です。

林業家は、木を伐り出し、生産することしかしていないのか。
きっと、そんなことありません。

道をつくり、間伐を行ない、木を搬出する。
そのなかで考えていることは、
「木がどのくらい出たのか」ということももちろんですが、
それ以上に、「山が美しくなったか」。

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間伐前

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間伐後。なにを伐ったかよりも、山が美しくなったか。

林業家が「山」の写真を撮る理由

僕や、他の林業家の方々も、
SNSなどで仕事の発信をするときには、
生産した木、丸太の写真を撮るのではなく、
施業した山の全体写真をアップします。

それは、それほど意識しているわけではなかったので、
僕も最近気づいたのですが、
他と比べれば、なかなか奇妙なことだなぁと思います。

農業や漁業では、
収穫した野菜や、獲った魚の写真を撮ることが多いかと思います。
山の写真を撮ることは、
収穫後の畑や、海の写真を撮ることと同じ。
もちろん、なかなか写真では収めにくい、という理由もあると思いますが、
施業後に畑や海を、つくったものとして省みる、
ということは、なかなかないのでは、と思います。

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立木、作業道。残った枝葉、下草。光、風、土、水。
それらを総合的な「山」としてデザインする。

林業のそばにあるものは、森ではない

よく林業をしていると、「森」や「森林」という言葉を聞きます。
「森を守る」や「次世代へ森を受け継ぐ」など、
林業のフィールドが、森であるという表現もよく見ます。

もちろん、言葉の定義やイメージなどは、人それぞれで、
どんな言葉を使ってもよいのですが。

ただ、林業のそばにあるものは、
森というよりも、山ではないかと僕は感じます。

林業の仕事を、「山仕事」とも言ったりします。
昔は、山仕事をする人のことを「山行き」と呼んだそうです。
(侮蔑的な意味合いも含んでいるそうですが)
僕の住む智頭のような山あいの地域を「里山」と表現するのだと思います。

あくまで、僕のなかのイメージですが、
「森」とは、人の暮らしから少し離れた、自然の営みが豊かなところ。
「山」とは、人の営みに近く、暮らしに必要なものを頂いていくところ。

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同じように木々が集まる場でも、植生や人との関わり方によって雰囲気が
全然違うし、それによって、呼び方がもう少し変わってもいいのかなぁと。

もちろん、「山」という言葉にも、
登山をする人だったら、富士山とかそういう「山」をイメージする人もいるかと思います。
あるいは、林業をしているなかでも
「山」というより、「森」という言葉のほうが、
しっくりくるなぁ、というときも少なからずあります。

言葉というものは、曖昧で、個人的なもの。
明確な定義など、なかなか難しいものだとも思いますが。

今回は、林業は、生産物として、
「木」だけを見ているわけではないよ、
もっと広く「山」というものを見て、デザインをしているよ、

ということが、伝わればいいなぁと思っています。

補足ですが。
農業や漁業も、野菜や魚だけをつくっているわけではなく、
土をつくり、海を守り、あるいは農村の暮らし、漁村の文化を、
つくっているのだと思います。
(海だけは、つくるという表現が難しいのは、それだけ広大だからかな)

GDPには換算されないようなものにだって、
価値あるものは、きっとあるし、
そういうものこそ、大切にしていきたいなぁと思います。

これで終わりと思いきや、もう少し続きます。
次回は、「残す木を選ぶ林業」について。

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つばさ

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